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父の日 つれづれ

父の日だからと言って、特段何かをした記憶がない。

そもそも、わたしの誕生日だからと言って特別何かしてくれる親でもなかった。
何もしてくれない…のではなく、したくてもできなかったのだとも思う。

彼らのやっていた宗教のせいで、クリスマスにケーキもチキンもなかった。

人並みにだの、世間がこうだから・・・というのに反発を覚えるのは、そういう体験によりヒガミが変化したのかもしれない。

そのうち大きくなったわたしは友達と過ごすことを覚え、高校の時は楽しかった。

父は若干ナルシストであった。たまの買い物も自分優先である。

紳士服コーナーを何度も歩き回り、あちこちに置いてある姿見を、ちら と横目で見ながら通り過ぎる姿にわたしは辟易していた。

母に話すと
「いつもそうだ」
と言う。

が、しかし母は父をハンサムだと思っていた節があった。

父の髪形に似た歌手が出てくると、
「この人お父ちゃんに似ている、ね、ね」
としつこいのであった。

恐らくオトコは父しか知らない母であった。

父がたいそうモテたという話を聴いたのは後のことである。
モテたのならもっと相手を選んでも良かったと思うのだが、父は母と見合いをし、2ヶ月後には結婚したそうだ。

父にたった一度、買ったものがある。

働くようになってふと気まぐれに、父の日も近いし・・・とそんな気になった。

とは言え、シャツの首周りも、サイズも知らない。
わたしが選んだのは淡いパープルのポロシャツであった。
それを父がことのほか喜んで着て、人に嬉しそうに自慢していたと聞いたのも後のことである。

家庭を持ってからは、両方の親に少しばかりの気配りもしたが、それは義務感に過ぎなかった。

父と関わった時間はとても少ない。
甘えた記憶もない。 むしろ距離を置いていた。 

本音を語れる相手ではなかったし、入り婿の気の毒なほどのどうでもいい気配りも、勿論宗教もわたしには合わないのだった。

血縁と言ってもわたしにはその程度であった。

が、父の日に思い出すのはあの時のポロシャツである。自分への言い訳として、思い出すのである。

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