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「いわき」で生きるということ

物心ついた頃からいわき市民の私
若い頃は県外へ出るのが憧れだった。そう言いながらも、就職も結婚後もいわきを出る事もなく生活をしている…
のんびりした雰囲気と独特の訛りと人の温かさと。
田舎だけど、私にとっては自慢の街「いわき」

海が近くて魚が美味しい
夏涼しく冬暖かい。
雪がほとんど降らない。
暮らしやすい場所で…よくキャッチフレーズにあった「うつくしま ふくしま」という響きに誇らしさを感じてた。
なんだかんだで、いわきが大好きだった。
そう、あの日が来るまでは…

震災前

いつもの様に当時働いていた、ホームセンターでの勤務中の事。
接客中に地鳴りを感じて、お客さんと外へ。
ガタガタと揺れる…館内放送が入る
「震度4」だった
なんとなく嫌な予感がして、空を見ると…鳥の大群が飛んでいた…
その後にあの大震災が起こる…

震災当日の事は、こちら⬇️⬇️⬇️

震災当日、地震後。

息子を小学校へ迎えに行く。近所の子と一緒に家路を急ぐ…空が真っ暗になり、雪が降って来た💦
寒かったので、自販機でコーンスープを買い、行儀悪いけど「ポッケに手入れていいよ」と言いながら歩く。なんとなく気持ち悪い空…

幸い家族も親戚達も無事だった

数分に一度ガタガタと揺れる余震
みんなで雑魚寝。いつでも逃げられる様に、情報が入る様にテレビも電気もつけっぱなし
子供の前では強気でも、明日はちゃんと来るんだろうか?と不安になった日…
それでも「大丈夫」と自分に言い聞かせ、目をつぶる。

翌日

職場へ車を走らせる
あちこち道路が陥没していて、走行不能な場所があり。やっとの事で到着すると…店舗の前面のガラスが割れていて、営業不可能
でもほぼ水が出ないという事もあり、外には大行列が出来ていた。来た方にはとりあえず手売りで売ろうという事に

やれやれと家に帰り、長女と買い出しに。
大変な中、お店を開けてくれてた🙏
購入するまで、「マルト」が3時間待ち。
「くすりのマルト」が1時間待ち
お米が無かったので、くすりのマルトに娘と並ぶ。
ひと家族10点まで買い物が出来た。
自転車で来たのを忘れて、10kgのお米を買って、帰り唖然とする…
「いっぱいの方がいいべ」と娘。そうね💧
でもどうやって持って帰る?🤣🤣

2人で自転車をこぐ。
「坂道キツイって」 
「早く。お母さん遅いよ(笑)」なんて会話をしながら

次女から携帯に電話が…
「あのさ、急いで帰って来な!!」
「原発、爆発したって💦」

「原発?どこの?」「大変だね…」

「何言ってんの?」「双葉のだって!!」

原発が…爆発??
爆発すんの?したの?なんで?どうなっちゃうの??💦💦

半分パニックになりながら、ペダルを必死でこぐ。
涙目になって前が見えなくなって…途端に全身の力が抜けて行く感じがした…

それからは毎日、テレビとにらめっこ。
どこかのお偉いさんが
「直ちに影響はありません」を繰り返す。

水もガスも電気も普段通りに使えて生活を出来ていたので、我が家は避難をしない選択をする。
放射能はガラスをも通過してしまうけど…
何が正しいのか分からず、換気扇を止める、窓を閉める、洗濯物は室内に干す。
換気システムをも止める…
水道水は大丈夫なの?
逃げる所がないから、家にこもる…
全てがいっぱいいっぱいだった。

正直、この辺りの記憶がほとんどない…
思い出そうとしても、思い出せない…
それくらいメンタルもやられてたか。


原発がある場所に住んでる人が悪い
どうせ、恩恵受けてたんでしょ?
いわきナンバーの車には給油できません
福島産の食べ物、食べる人の気がしれない
…勝手な事言うよね…

ホント、切ない…
福島原発は地元ではなく、関東圏の電気を作ってたんだけどね。

過去の起こってしまった事を悔やんでも仕方ない
街が綺麗になっていって、元通りになりつつも
一度傷ついた心はそうは戻らない
その当時は、福島県民以外の人が、敵に見えた…

「いわきFC」

その後に知った「いわきFC」の存在。
こんな田舎にサッカーチームを作ったって…
(ごめんなさい🙏)

ひねくれてた私は、そう思ってた。

縁あって、ドームで働き、選手達を間近に見て…
いつしか夢中になっていった。
「いわきFC」が活躍する度に「いわき」の知名度も上がる。

当時一緒に働いていた選手に「いわきでサッカーしながら働いてて大丈夫なの?」と聞いた。
すると「え?だって、○○さんはずっと暮らしてんだよね?だから、大丈夫だよ」との答え。

「俺らが頑張って、いわきはこんなに頑張ってんだって、教えてやるよ」って。
嬉しかった…

いわきに寄り添ってくれて、東北一の街を作る
そんなの…って思ってしまった過去を許して下さい

当時はひねくれていた自分、こんなにいわきFCにはまり、あちこち応援をしに行くなんて考えもしなかったけど…90分間止まらず、走り続ける彼らをこれからも応援し続けたいと思う。
いつでも全力な彼らは、ホントかっこいいんだよ…
勝つのは大事だけど、楽しんで欲しいと心から思う

真っ赤なゴール裏は胸熱

いわきFCの試合を見に、たくさんの人達がいわきに足を運んでくれる。
アウェイで、来て、また来てくれる人がいる。
いわきを好きだと言ってくれる人がいる。感謝✨

いわきが無くなってしまうかも、と泣き明かしたあの日からもうすぐ12年。
街は少しづつ元通りに戻りつつあるけど、全てが戻る事はもう無い。
忘れたいけど、忘れちゃいけない出来事。

私は多分一生を終える時まで、いわきで生きる。
だからこそ、いわきの魅力を伝えて行きたいと思う

かつての「うつくしま ふくしま」と言われる日が来るまで…                                                   


私の思うままに書いています。
最後まで読んで頂きありがとうございます。



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