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空海・宿曜占星術/ 地球―月―太陽が一直線上に並ぶ

空海は多くの密教経典をもたらしましたが、
その中に宿曜経・正式には「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」二巻が有り、この経典こそが日本の密教占星術の原点であり、
本経は釈迦や大日の説法ではなく、
文殊菩薩が香山仙人等に対して説かれた。

唐より帰朝した空海が最初に行つたのが、
高雄神護寺での灌頂で、弘仁三年(812)十一月十五日の金剛界の灌頂で
この日は「鬼宿」にあたる。

鬼宿は宿曜経で「所作皆吉なり」とされる。

又、「檀に入り・・・密法を学ぶは吉なり」と有り、
さらに月の十五日は、これまた「吉祥日」とされ「善事、求法に大吉なり」とされている。

弘仁七年(816)六月十九日、空海は嵯峨帝に金剛峯寺の創建の為「紀伊国の南山の地」の下賜を願い出ている。

この日は「壁宿」であり、「安重宿」にあたる吉日、「安重宿」は伽藍・寺社を造るに良い日とされている。

この十九日は夜分は凶とされているが日中は差支えないと言う。
この日が火曜であると、壁宿曜と合して宿曜経でいう「金剛峯日(こんごうぶにち)」と言う「大吉日」を形成する。

弘仁十二年(821)四月三日より九月六日まで、この日四月三日より両部曼荼羅、真言七祖像、五大虚空蔵、五大尊像などの密教の重要な仏画の修復と新調にあたらせている。

この日も「鬼宿」であり、「大吉祥日」である。

こうして見ると空海は宿曜経の択日法を用いていたと考えられる【3、空海筆「心経」・破体心経】を書写したのも
この弘仁十二年(821)であり「大吉祥日」であります。

唐・玄宗の命により新暦を作成した一行禅師(禅師とは僧侶の通
号)は真言密教の摘伝である伝持の八祖の一人で、
天台密教でも遠祖と仰がれる唐代きっての碩学で
善無畏・金剛智の両三蔵に密教を学び師の善無畏と共に
大日経七巻・大日経硫二十巻を著し
そのほかに蘇悉地羯羅経・蘇婆呼童子経など多くの重要経典を訳している。

密教以前には道教も学び天文学や暦術に秀れた一行は
727年に「大衍暦」52巻を完成した人物として
古代天文学史上でも名高い存在である。

又、宿曜経の訳者不空三蔵も「祈雨」の達人であった。
古代の農耕社会で最も密教に期待されていたのは「祈雨」であった。

宿曜占星術は印度占星術をベースにした日本の占星術であり、
月の周期(白道)を二十七の宿と宿道十二宮に分け、
月の状態によって、人の性質や吉凶、吉凶となる日を、
い占う事が出来る。

暦は旧暦で詠む。
西洋の占星術は太陽の運行を中心として黄道十二宮を配するが、
宿曜占星術は月の運行を中心として宿曜十二宮を配する
対照的なものとなっています。

密教では修法・灌頂・造像・造画などを行う際には
吉日良辰を選ぶ事とされ、一行の大日経硫には吉日良辰の選定は
阿闍梨の資質が問われる大切な作業とされていた。

自然界に起こる異変や変事を 「天変地異」と言うが、
日食・月食・雷・突風・彗星など天空に起こる異変を
天変、地震・津波・洪水・火山噴火・大潮・小潮・潮の満ち引きなど
地上に起こる異変を地異から成る用語、
この時代には 天変地異 は天皇の責任にされると言う不文律があり、
病になっても大した治療法もなく、
無論天気予報も無かった時代の人達が
空海の密教に抱いたイメージは現代人が最先端の科学技術に抱く
イメージに似ているはずでした。

ましてや帝の空海の密教に対する期待度はとても大きかったはずです。

空海請来の大悲胎蔵曼荼羅の最外院には九星(七曜・九曜)と
眷属神、二十八宿、星神、十二宮星神、といった、
多くの星神が描かれています。

単に守護神として描かれただけではなく、
『月―太陽―地球』と言う大宇宙の自然界のシステムの重要性を
含んで示しています。

又理趣経の講伝家の根本である
印融所伝の 理趣経秘密曼荼羅 や 理趣経総曼荼羅にも
最外院の重要性を示し、四種の種字を描き加えて
理趣経十二段~十五段の重説の主として
能説曼荼羅の集会に加えられています。

唐から帰国後、弘仁元年(810)空海は密教により
鎮護国家の為に修法を行うことを朝廷に願い出、その上表文の中で鎮護国家に霊験あらたかな密教教典として
請来した仁王経・守護国界主経などを上げ、これらの経を用いて修法を行えば「七難を摧破し四時を調和し国を護り家を護り、己を安んじ他を安んじる」と言い切っています。

注目されるのが、修法の眼目の筆頭に
挙げられている『七難摧破』であり仁王経に由来します。

具体的には
1、日・月 失度難(太陽・月の運行の異変に基ずく災難)
2、宿星  失度難(諸星の運行の異変に基ずく災難)
3、災火難
4、雨水難
5、悪風難
6、亢陽難(日照りのこと)
7、悪賊難、
以上の七つの災難を摧破することでした。

この『日・月・諸星』の運行の異変によって
もたらされる災難と言う考えは印度、
中国に限らず広く古代世界全般に見られた思想ですが
密教もこの考えを色濃く継承した。

この事は、空海思想の密教哲学は「大日経・大悲胎蔵曼荼
羅」にあり、と言う事で、【般若心経秘鍵】でも説明致しました。

又我国には密教以前から
信仰されていたものに北極星(北辰)、及び北斗七星がある。

北極星は天における不動の中心であり、諸星はその周りを巡る。
そこで北辰は中国では国家の中心である皇帝に例えられた。

日本でも北辰は天皇の星とみなされ厚く祭祀されてきたが
この星を密教では王の守護を本誓とする
北辰菩薩(妙見菩薩)の応化とみなした。

「七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経」
などを基に北辰菩薩を祀りその真言を唱えれば
鎮護国家・壌災・怨敵退散などは意のままである。

と説いて色々な国家修法を行った。
天帝の乗り物である北斗七星のうちの一星が
人の運行を支配すると言う信仰も密教が広めた。

そこで北斗に延命長寿などを祈る「北斗法」が
広く行なわれるようになった。

真言の星神祭祀には北斗法を始め、七星如意輪法・三九秘要法など
多数の秘法がある。

三九秘要法は空海請来の宿曜道から生じている。

現在我々の使用している『暦』は、
地球が太陽の周りを1周する期間を1年と定めた「新暦」と呼ばれるものですが、昔の暦の「旧暦」は月の満ち欠けをその基準としていました。
新月の日を1日と定めて新月から満月になり、
満月から又、新月に戻るその期間を1か月としていた。

月暦を見ますと1日目の所に「朔」と書いてあります。
音読みで「さく」と読み訓読みでは「ついたち」と読みます。
「朔」の字の中心イメージは「はじまり」であり、新月は月がすべて影
に隠れて見えなくなる状態ですが、これから満月に向かう「はじまり」でもあります。

依つて新月は「朔」の日を「月が復活する日」と考えたのです。
これを表すものに朔旦冬至・朔旦立春(そたんりつしゅん)があります。

冬至は一年中で日照時間が最も短く太陽の力が最も弱い日ですが、
別の見方をすればここからパワーが徐々に拡大していく日でもあります。

いわば太陽が復活する日、
朔旦冬至とは月が復活する日と太陽が復活する日が重なる為、
非常に目出度い日と考えられました。

又、朔旦立春は一年の始まりと考えられました。

元々「春が立つ~立春」と言うのと同じで、
「月が立つ~つまり三日月の様な初めて見えた月を意味していました。」・「月生」と書いて「ついたち」と読ませているものも有り、月が生まれる=「つきたち」なので「ついたち」とは、月が新しく生まれると言う言葉なのです。
『地球―月―太陽』が一直線上に並ぶ・・・これは天文学の分野の話になりますが地球と月の公転に依って
毎日、太陽・地球・月の位置関係は変化しております。

・日食~太陽と地球の間に月が入り、『太陽―月―地球』の順番に一直線に並んだ時起こります部分日食・皆既日食・金環日食など

・月食~太陽と月の間に地球が入り、『太陽―地球―月』の順番に一直線に並んだ時起こります部分月食・皆既月食など

・潮の満ち引き~『月の引力』に依つて起こる、地球の自転と月の公転が日々繰り返されることによつて毎日繰り返される

・大潮・小潮~大潮は潮の満ち引きの差が一番大きくなることで、小潮は潮の満ち引きの差が一番小さくなることで有り、これらは太陽の引力の影響。


『地球―月―太陽』が一直線上に並ぶ時が大潮になり、満月・新月の時起こ
 る現象、月2回。

 小潮は『太陽―地球―月』が直角の関係に並ぶ時起こる現象、
半月の時(上弦下弦の月)の時起こる現象、月2回。

・彗星~せいぜい10㎞程度の雪の塊で、メタン・ドライアイス・アンモニア・鉄などを含んだ雪。

突然のように現れて夜空に長い尾をたなびかせる彗星は
古来から忌まわしきものと言われてきました。

我国最古の彗星出現は日本書記に欽明六年(634)のことであり,
当時唐との国家間交流が始まり遣唐使船によつて
天文知識が輸入され始めた頃で、この彗星について解説した
のは小野妹子に従つて隋へ留学した僧旻だったそうです。

その後50年後天武13年秋7月23日彗星西北に出ず。

長さ丈余(684)年9月7日、これはハレー彗星出現の記録です。
『地球―月―太陽』が一直線上に並ぶ・・・・これ「日食」であり「大潮」なのです。    
「七難摧破」・・・の説明どうり、すべて『地球』と『月』と『太陽』が関係しています。

現代では当たり前の話ですが、古代の人達には 日食や大潮はどちらもこの時代重要なことで、当時の人達が知るよしもありませんでした。

唐で天文学を学んだ空海は確実に、自然界に起こる異変や変事を知っていたと思われます。

大宇宙のシステム、大自然の地球の原理など、
当時の人達が空海に、あるいは密教に尊崇の念を抱いたに違いありません。

当時空海は両部曼荼羅を始め、天文学や暦術、宿曜占星術を駆使して活躍していたに違いありません。



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