見出し画像

ご先祖さまと感謝でつながるお墓参り

私、食べ物の好き嫌いも多いのですが、行ける場所と行けない場所など場所の好き嫌いもとても多いです。

今はかなり平気になりましたが、お墓参りや病院には、具合が悪くなり、ひどい時は倒れる事もあるので1人では行けませんでした。

小さい時、夏になると病院勤めの叔母のところに預けられていたので、叔母の務める病院が遊び場になる事があるのですが、それがとても苦痛。
具合が悪いし、産婦人科なので産まれた赤ちゃんを見せられる。保育器に入って並ぶ赤ちゃんを見て、看護師さんが「かわいいでしょ?」と言うと従姉妹たちも「かわいい〜」と言うのを聞いてゾッとした。
子どもながらに私は、保育器に入って並ぶ赤ちゃんをかわいいとは全く思えなかった。
ただ、怖くて気持ち悪かった。
そして、看護師さんがおやつやアイスを出してくれたのですが、クスリのたくさん入った、冷蔵庫から出したクスリ臭いアイスは食べる気にもならず「いらないです」と断る私に「もう、遠慮して子どもらしくない」と言われてました。
私は逆に看護師さんたちを、鈍い人たちだなぁ、と思っていた。
従姉妹と妹は美味しそうに食べるのを見て、こんな気持ち悪い物良く食べれるなぁ…と思っていた。
そこで出されるジュースや麦茶も嫌だった。
氷嚢用の製氷器で作られたクスリ臭い氷を入れられるのが嫌だった。
どんどんエネルギーを吸い取られるようで元気のない中、やっとの思いで我慢できないくらい嫌で拒否していたのが、遠慮深い子どもらしくない子の印象になっていた。

そもそも、食べ物どころか、その場の空気事態がダメだった。息が詰まって呼吸がまともにできないのです。
行くだけで疲れ切っているのは、子どもの中で私だけ。

なぜかわからないが、特に苦手なのが、ガンの専門病院、それより苦手なのが産婦人科の病院。

よくわからなかった時は、そんな変な反応をする体がとても辛く先の見えない不安、人と違う不安で怖くて嫌だった。でも今では違いが感覚で体でわかるっていいじゃん!と180度見方が変わりました。

それは、理由がわかり対策ができて、身体に影響がでなくなったから。

それだけでなく、悪いと思っている事やついていない事に目を向けて変えたいと望んだ事から出産と死、病気と気、霊的存在と電磁波などいろいろな見えないエネルギーについて考えるようになりました。
そのおかげでホメオパシーに出逢えたし、助産院の先生と仲良くさせていただいたり、霊媒師の先生との出逢いや体内記憶の池川先生の講演会やらせていただいたり、自分でも思わぬ形でやってきた神社修行やお寺にとの出逢いや、電磁波対策など、いろいろな事を知る事で、恐怖は減り、対策ができるようになり、その効果で1人でもお墓も病院も行けるようになりました。さまざまな方と合わせて頂き、どんどん問題が解けて行くと不安がなくなり気持ちが楽になりますね。

でも、やはりお墓参りや病院など、まずそうな場所には、塩や数珠なしでは行けません。

数珠も私は槐という木でできた数珠です。
女の子らしくオシャレなローズクォーツなどの今どきの数珠がよかったのですが、私には波長的にこの木が合うようです。
パワーが全然違うのです。
数珠って、本当に御守りみたいになるんだと感じたのもご縁あって私の元に来たこの数珠だけ。 

物も合う合わないでパワーが違う。 
不思議ですよね。

病院に行けるという事だけでもパワーがあるし守られているという事。
私が具合が悪くなるところでも、看護師さんが平気なのは、人は同じ空気を吸ってるようで、実は違う事と、人を救うという志しや想いが強いエネルギーとなり、人だけでなく自分を守るエネルギーとなって、結果、自分も救っているのだと思います。
良いエネルギーの循環ですね。

そして身体が辛かった時は、人と比べて運が悪いのだと自分を運命を呪ってました。
みんながあんなに自由に身体を動かせるのになぜ?
私はこんなに努力してるのになぜ?
私が外に出ると大雨が振ってずぶ濡れになる。
クスリ漬けや注射がつらくて天からも見放された気持ちになってました。

今では天候は操れるし、天は自分の見方だとさえ思えます。
自分が家にいる時や車の中にいるとき大雨が降ってても、自分が外に出たとたんに止んだりと、ほとんど濡れた事がありません。
大雨に濡れるなんて事は全くないです。

そんな時、うわー天が今日も見方してくれてるありがたいなぁ〜と思えるのは、過去の天から見放されたと感じた時があったから。

実は、どちらも用意されていた。私がついていない人生だと思っていたから、ついていないように思った通りなって。
結局、言った通りになっていた。望んだつもりはないけど、ついてないって言ってたし…

とんでもない不幸だと思えるような時、そこにある救いの手に気付けたら、ついていた!となる。ありがたいという感覚になる。
不幸な時こそ、転換するチャンス。

救いに気づけなかった男の話↓

今日は、遠くに住んでいて行けない妹家族の代わりに義理のお母さんのお墓参りに行ってきました。
行く時、どうしても数珠が見つからない。
大雨も止み、天は味方してくれているはずなのにと思いながらお寺に向かいました。
大丈夫、数珠なくてもなんとかなる。
と、首に手ぬぐいを巻きました。
(私の場合、邪気のようなものが首からくるので)
すると、車の中でボサノバを聞いていたのに急にダライ・ラマ法皇のお経が流れ始めました。
えっ?とびっくりしました。いつのまにか、車のトランスミッターがランダムプレイになっていました。
ダライ・ラマ法皇のありがたいお経を身に纏いお墓参りをしました。
なんかめちゃくちゃついてる!

しかも雨上がりで、墓石綺麗になってるし、根を張った雑草が抜きやすい!ラッキー!

手を合わせて、ご先祖さまの誰か1人でもかけたら、私もかわいい甥っ子たちもここにいない。

かわいい甥っ子、姪っ子がいるのもこの方のおかげ、ご先祖さまのおかげですありがとうございますと感謝の気持ちを伝え、これからもよろしくお願いしますと言って、般若心経をお唱えして帰りました。

家についた途端、豪雨。
あっ、やっぱり天が見方してくれたんだと思いました。

この世は、常に選択の道が無数に用意されているパラレルワールド。

恨んでもいい、憎んでもいい、最悪の状態を考えて、小さな軌跡に気づけるならマイナス思考もプラスに変わる。

雨なんてなんて事ない。
戦争で爆弾が降ってていた時に生きている人もいた。
痛みがない日がありがたい。
今日1日は、どこかで誰かが亡くなった時、もっと生きたいと望んだ1日かもしれない。
なんでもない日がありがたい。
ありがたい1日をおかげさまですと
しあわせに生きることで、
その人が神に等しい存在となる。

なんでもない日は、誰かの築いたおかげさまのとんでもなくありがたい日。
なんでもない日おめでとう
なんでもない日ありがとう
だってなんでもない日ではない
おかげさまであるいのち
無事いのち永らえさせていただいた、
ありがたい1日。

おかげさまと思うと全ての存在に神性を感じありがたく思える。
このタダのでもらえてる酸素も
ありがたいと思うと深く吸える。

世界をしあわせにしたいなら
自分がしあわせになって
自分からしあわせの空気で満たす事は、
何よりもの先祖供養だと思いました。

身体の中では毎日、自分1人のいのちを守るため、細胞、内臓や器官、細菌、ウイルス、免疫細胞などが一丸となってチームワークで休む事なく頑張って働いてくれている。
そんな体のいのちの営みがありがたい。

夜外に出ると待宵草が咲いていました。
暗闇にロウソクの炎のようで、
暖かい迎え火のようで美しい。

たくさん咲くけど1日花。

おかげさまで、いのちを頂き、
生きながらえさせて頂いてます。
ありがとうございます。 
おかげさまで元気です。
おかげさまで、ますます、
しあわせになると誓います。
どうぞ、これからも見守りください。

ご先祖さまに手を合わせた後
今日の自分にありがとう。
そして
今日の自分に
感謝♾合掌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?