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死者との食事 蔭膳(かげぜん)とは?食事と感謝

神事、仏教など、全く縁のない家に育ち、これと言った宗教感もなく、見えない神のような大いなる何かは絶対的存在は感じるし信じるけど、お天と様が見ている、お月様が見ている程度の宗教感しかなかった私がお寺とのご縁で得度を勧められたり、神社との不思議なご縁で志しもなく神社修行に行くなど自分でも思ってもみない予測のできない事に翻弄されながらも、宗教のおいしいとこだけ取り入れ、囚われず、自由にいろいろな事を知り、体験し自分教を楽しんでいます。

そんな私が宗教的儀式で興味引かれのが、精進料理と蔭膳(かげぜん)です。料亭で仲居のバイトをしてた時に知った「蔭膳」。
私はなぜか蔭膳の準備を頼まれる事が多かったのですが、私も蔭膳の準備が好きでした。

毎回、準備の度に、すーっと深呼吸して、ご家族で温かい良い時間が過ごせますようにと思いながら準備をするのが私の中の1つの儀式でありました。

日本には古くから死者を偲ぶ「蔭膳」という風習があります。

旅行や戦争、出稼ぎなどで家を離れている家族の食事の御膳を共に食事をするように用意し、健康や安全を祈る神事的な風習と、故人が安全に無事に極楽へ行けるよう祈う仏教的な祈願の風習で、安否の確認がすぐにできる現在では、個人を偲ぶ仏教的な風習が主になっています。

「蔭膳」は、影膳とも書き、現在で陰膳と書くのが主流ですが、私はあえて「蔭膳」と書いています。
それは、蔭の字が、おかげ、他人の力に助けられることを意味する文字で、仲居のバイトの時、蔭膳を囲むご家族を見てきて、この字が謙虚で感謝が込められている感じがして1番、言霊としてふさわしく感じたからです。

その、悲しいながらも個人を囲む仲で、故人を偲び故人の事を語る厳かな時間は、とても暖かく平和な空気を感じ、故人と魂でつながる異空間のように見えました。
そこには慈しみや感謝が溢れていました。

「蔭膳」は、食べること自体が供養となるので、最後は「おさがり」と言い、家族で分けて残さず感謝して頂きます。

私は、宗教感がなさすぎて、何も分からずいたので、お通夜についても、良く分からず、知り合いのお寺の住職に「お通夜って、飲み食い必要なくないですか?こんな時に喉を通りません」と聞きました。

通夜の飲食の振る舞いには、弔問のお礼と労いとしかとらえていませんでした。
お通夜の振る舞いには、故人を偲ぶ気持ちがお清めとなり、この世で故人と共にする最後の食事を通じての故人の供養だと初めて知りました。

この時に個人の良かった事をたくさん話すと、故人の喜びともなりますし、個人の得となりより良い場所に行けるのですよと。だから個人に何もしてあげられなかったと後悔などしないでください。個人の良い事をたくさん語ってくださいと。

それを聞いて涙が出ました。悲しみが減り、個人との感謝と喜びが蘇り不思議と身体にエネルギーが湧き食欲が出てきました。

今はエビやお肉、お魚のオードブルやお寿司が中心ですが、昔は精進料理だったそうです。

私は結局、食べれるものがないので、飲んで終わりですが、故人のよかった事を語ると、感謝としあわせ感で満たされました。

お世話になっている助産院の先生が主催していた木村まさ子さんの講演会では、木村まさ子さんが、「いただきます」と言う言葉をとても大事にされていました。
木村まさ子さんは、「いただきます」は「いのちをいただき生きながらえさせていただきます」と言う感謝が込められた言葉だと語っておられました。

食事といのちと感謝の祈りは本来、セットなのかもと思いました。

好きな友人と好きなものを食べれるしあわせ。

欲を言うと、植物好きのわたしには、
食事は精進か菜食にしてほしい。
蔭膳も草冠の方がいい。
自然のパワーと恵みを感じるから。

陰膳は大切な人を想う食膳だから個人の好きなものにしてあげてほしいですね。

因みに浄土真宗では故人は、亡くなるとすぐに極楽浄土に行けるという「即得往生(そくとくおうじょう)」という教えで、亡くなるとすぐに極楽浄土に行けるので、無事に極楽浄土へ行けるよう祈願する必要がないのと、仏になった故人は、この世の人と同様の食事は口にしない、と言われているそうで、浄土真宗では蔭膳はやらないそうです。
とにかく故人を慈しみ、故人の思いに合わせるのは大事ですよね。

当たり前のようで、当たり前でない
共に今、ここにいる尊い時間に

感謝♾合掌

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