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あかんたれにいちゃん7

母の代わりに借金地獄がはじまった

さて、これから始まる私の借金地獄ストーリー。前作でお話したように銀行が融資の審査結果を出さず、約1年引っ張ったことにより、私は泥沼にはまっていったのである。株式投資で損切りというものがあるが、その決断は難しい。
ここまで損したら損切りするということを事前に決めておかない限り、その決断をすることは容易ではない。私は、限度を決めていなかったため、融資が下りるまでがんばるという誤った方向に進んでしまったのである。というよりも、もっと早く決着がつくと思っていたのが間違いだったのかもしれない。

笑える話というか、「えっ?」という話が次々とドラマのように登場してくるのだが、それを1つ1つ紹介してもつまらないので、代表的なものをこれからいくつか紹介していこう。もうおわかりの通り、これから始まるストーリーに、お金が入ってくると話はない。ただ、ただ、出ていく一方である。私のストレスと不安と怒りとの闘いのはじまりである。

LED無料設置しましたーの巻

兄が事務所の移転等の手伝いをしていた事務機器メーカーからの紹介で
事務所の照明をLEDに交換するというビジネス話が舞い込んできた。
その会社の案件をリースにするために何社かリース会社に打診・審査したらしく、1社だけOKが出たとのことで、その承諾書の写真を兄が私に送ってきた。

リースがOKなので、話を進めたいが先にLEDを購入する必要があるため、お金を貸してほしいとのことだった。普通ならリースの承諾もあるから大丈夫だと思うかもしれないが、私はなにか嫌な予感がした。80万のリースを数社から断られている企業。しかも、初めての取引となるとリスクが大きい。私が少し怪しい匂いがすると兄に伝えると、兄はリース会社は融資を申し込んでいる銀行の関連会社であり、この取引がうまくいけば、実績になり融資への道が近づくと力説した。また、この案件がうまくいけば、その企業の社長から紹介をもらえることになっているという。よくある話だが、そういう約束が実行されたことを私は殆ど知らない。

しかし、ここでいくらか戻ってくれば助かるという気持ちもあり、私は先にLEDの購入代金を立て替えたのである。しかし、設置終了後、1週間程度でリースが実行される予定であったにも関わらず、リース申込書の口座の印鑑相違があり、リースが実行されなかったのである。印鑑の再取り付けを含めて、リース実行は1ヶ月延期となるとの話だったので、私は兄に自分で印鑑をすぐに再取り付けしてくるように依頼したのだが、リース会社がそれを拒んだのだ。
その結果、その企業の社長は、リースをやめて現金による分割払いにしてほしいと頼んできたのだ。NOという選択肢はなく、それを認めたのだが、3回払いの1回目の支払い期日になっても支払いがなかったのである。兄は社長のところに飛んでいったが、社長曰く、商品に不備があるから解消するまで支払いはできないと言ってきたのだ。

兄はLEDメーカーの担当者を引き連れ、社長に商品に問題がないことを説明したのだが納得は得られなかった。メーカー側は責任がないと言い張り、社長は問題があると言い張り、堂々巡りになり、弁護士に相談するお金もなく、この一件は未解決のまま自然消滅したのである。その会社は無料つまり、私のお金で明るく、電気代も節約されるという状況を手に入れたのである。きっと高笑いしていたと思う。

やはり、私の予感は当たったのであるが、良い予感と違い、全く喜ぶことができない。たぶん、はじめから仕組まれた罠だったような気もする。そんな卑怯なことをする企業はいずれ痛い目にあうと思うが、そんなことを思ったところで私のお金は返ってくるわけではない。騙されたと片付けるしかなかった。
兄が必死だったのは理解できるが、足元を見らたのだと思った。とにかく、売上が欲しいというために、うまい話に飛びついてしまう。そういうお客を引き寄せてしまうのだ。このような話は、この話にとどまらず、兄の仕事が謂れのないクレームをつけられて支払いがされなかったことは何度かあった。

兄の周囲に対する姿勢、特に家族に対する裏切り行為がお客様を通じて自分に返ってきているのではないかと私は兄に解説した。類は友を呼ぶというのはそのとおりだと私は思っている。誠実な人には誠実な友人・知人が集まる。嘘をつく人には嘘をつく友人・知人が集まる。何十年か前に「鏡の法則」という本が大ヒットしたが、その法則とおりだと思った。

じぶんの周囲や現状をよく観察して、自分がどのような状態にあるのかを知り、自分を良い方向に修正していくことはとても大切だと思った。私も兄も、この件で大きな学びを得たと私は勝手に思っていたが、兄にはほとんど学びになっていなかったようである。それは、兄は一銭もお金を出しておらず痛みがほとんどないからである。私から罵られようが一時的なこと。そんなことで心を痛める人間だったら、とっくに事象から学び成長し、今までの無礼を私達家族に詫びて、新しい堅実な人生を歩んでいるはずである。私は兄の鈍感さを羨ましく思うことがある。兄とは正反対で私はどちらかというと敏感である。それゆえに、私は精神的に少しずつ削られていくのであった。
                                 つづく


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