見出し画像

自律って、なんですか?


モンテッソーリ教育って、ご存知ですか?

将棋の最年少のプロ、藤井聡太さんが幼稚園の時に受けたということで注目を浴びましたよね。


モンテッソーリ教育の目的は、子どもが、さまざまな能力を獲得していく最適な獲得時期「敏感期」にあった援助して、
「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間に育てる」ことです。

モンテッソーリスクールでは手先を使った授業やお仕事と呼ばれる知育玩具を使って、一人で遊びに没頭する時間が多いので、自然と集中力が高くなり手先が器用になるそうです。

私も、現役時代、手先を使った知育玩具をたくさん手作りしました。

子どもたちは、とても集中して、繰り返し繰り返し遊んでいました。
1歳児の子どもで、1時間近く、同じものを繰り返して遊ぶという子どもも珍しくありません。
集中する事で、お昼寝もグッスリよく寝てくれます。

そういう姿を見ると、知育玩具がいいんだなーと思ってしまう。
ところが、ここが危険なところなのです。


それは、いくら素晴らしいものであっても、
「今は、これをやらなければいけない。」とか
「今は、これをやる時だから、他のことをしてはいけない。」と強制してやらせてしまう事に違和感を感じていました。

私が、手作り玩具をたくさんを作る時のこだわりは、できるだけコストをかけない。廃材や家にあるものを使って、クオリティーの高さでした。

知育玩具売り場に行き、「これを、お金をかけないで作るにはどうしたらいいかな?」ということを考え、喜んで遊んでいる子どもたちの表情や楽しんで遊んでいる子どもたちの姿をイメージしながら作りました。


子どもたちは研究熱心ですから、何時間もかけて作ったのに、一瞬で壊されてしまうということこともザラにありましたが、そんな経験をしながら、少々のことでは壊れない、頑丈なものを作る技量を上げている自分に満足感がありました。


想像してやってみて、更に改造していくことが好きなので、
子どもたちに「こんな関わりをすれば、こんなことを学んでくれるかな?」
「このことを身につけるには、どんな環境を用意したらいいかな?やどんな関わり方をすればいいかな?」


「今回、上手くいかなかったのは、何が悪かったのかな?どうしたら、良かったのかな?」などと考えながら試行錯誤し、保育を高めていくことこそが保育のプロだとと思っていました。


そんな私に試練が起きました。


ある日、突然、園で、一つの運動プログラムを取り入れるようになったのです。

初めて、その運動プログラム内容を聞いた時は、魅力的なプログラムだなーと感じました。


しかし、実際の保育に、どのように取り入れて行こうか?と考えたとき、わざわざ、その運動道具を使う必要はないのではないか?と思ったのです。
それは、運動プログラムで養われることと、私の独自の保育で養われることと、同じだと思ったからです。


なので、「この運動プログラムを取り入れないで、今のままでやらせて欲しい」という話をしたところ、「運動プログラムの導入について、納得できる納得できないという問題ではなく、園全体で取り組んでいくという決定には従ってもらわなくては困る」ということを言われました。


そもそも、この運動プログラムを入れた目的は、自律した子どもを育てるために導入したものです。


「この運動プログラムに興味を持つ子どももいれば、興味を持たない子どももいるのではないのかな?」と質問をしましたが、「子どもは、みんな体を動かせることが好きだから、興味を持たない子どもは居ない」らしいです。

でも万一、「やりくないってなった子どもが居た場合は、どうするのか?」というところを、しっかり話し合ってから導入する必要があると感じたのですが、考えすぎなのでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?