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Count your blessings♡

私がいつも最後に書いている言葉
Count your blessings♡

これはあるオンラインサロンでアメリカ在住の方に教えてもらった言葉で、その時からずっと使っている。

その人達と3週間、
1日3つの幸せな出来事を書き込んでいきましょう
って企画があって、20人くらいと1日3つの
幸せな事を書き合った。

最初はみんな見栄を張って
美味しいランチを食べたとか、
新しい洋服を買ったとか、
◯◯へ行ってきたとか
他人が見たら
ちょっと羨ましそうな事を書いたりする笑

そのうち日々そんな事ばかり起こらなくて、
書くことも無くなってきて、

今日もご飯を食べられた
お風呂に入った
家族全員笑顔で1日を終えたとか、
些細な日常が幸せな事なんだと氣付いていく。

幸せって特別な事じゃなくて、
ご飯が食べられることや、お風呂に入れること、何なら生きてることも幸せな事で、
悩みがある事も、落ち込む事も結果全てが幸せな事だった。

それに氣付いた時の衝撃と一緒に3週間やり遂げた時の達成感だったり高揚感だったりをみんなで讃えあった。

なので、最近いい事ないなって人には3週間チャレンジをオススメする。
忘れちゃう日があってもいいし、どんな事でもいい。

1、今日も生きた
2、心臓がちゃんと動いた
3、息をした

これも幸せな事で、特別何かがあるから幸せという訳でもなく、本当に生きているだけで幸せな事だ。
そう思えない日もあるけれど、それすらギフトなんだよって氣付く日が来る。

Always full of happiness.

これはその後私が付け足した言葉なのだけど、
幸せはそこら中に溢れている。
探さなくても溢れているのだけど、
氣付いていないのかもね。 

大きい事だけが幸せなのではなく、
どんな事も実は幸せだったのだと氣付いた時
実は全てが愛だったんだと分かる。

自分はこんなにも愛されていたんだと氣付いた時、自分を1番愛していないのは自分だと氣付く。

自分を愛するって自分を甘やかす事ではない。
ワガママになる事でもない。
その辺を腑に落とすのに、私は時間がかかったけど、とにかくまずは自分を知ることが必須。

全てありのままの自分で愛されているんだと
無理しなくていいのだと腑に落ちると言うのかな?
全てのものから愛されていたんだとわかる。

特別が素晴らしいのではなく、
そのままで素晴らしい。

それを自分自身が認めないで他人に認めてもらいたいと思うのは傲慢なのではないかと思う。
実際私は傲慢だった。

自分で自分が嫌いなのに、他人には認めて欲しかった。

でも今は他人から認めて貰えなくても、分かって貰えなくても、例えば嫌われたとしても
私は私を認めているし、分かっているし、大好きなのでなんの問題もない。

Don't think,feel!
考えるな、感じろ。
Sharpen your five senses.
五感を研ぎ澄ませ。

五感を研ぎ澄ました先には、第六感があることに気付く。
でも研ぎ澄まさないと出てこない。

自分に集中して、感じてみること。
鼻で息をした時に感じる空気の温かさだったり冷たさだったり
遠くの山のてっぺんの木を1本1本見てみたり
アイスクリームの美味しさを目を瞑って感じてみたり
ペットを撫でる時の感触を味わってみたり
寝る時に静かな中で地球の音を聞いてみたり

Don't think,feel!

思考じゃなく感じてみる。

そうすると
The arrangement of the universe is always happening.
宇宙の采配は常に起こっていることに氣付く。

全てが良きようになっている。

大丈夫、幸せにしかならないから。

Everything
lt will be O.K.
Don't  need to worry
Just be happy

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