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僕は公立中学校の保健体育科の教師です。
10年ぐらい前まではBDK(部活大好き教師)で、
残業をステータスにして他の教師にマウントをとっていました。

その時の『ぼくがいきるりゆう』はきっと、「全国大会出場」やら「日本一のクラス」やら「日本一の教師」だったと思います。

今は違います。

今の『ぼくがいきるりゆう』は、「こどもたちのために生きる」ことです。

抽象的になっただけ?と思われるかもしれませんが、主語が違います。
昔は「学校の子どもたち」。
今は「自分の子どもたち」。

恥ずかしい話、一番上の子が生まれた時からしばらくするまで僕は「(学校の)子どもたちのために」をモットーに、家庭に顧みず、残業を繰り返し、妻や子どもに(今よりは)愛を注いでいませんでした。

妻が2人目の子どもを妊娠していた時のことです。
出産予定の数か月も前の検診に行った時に、医師から「今日から入院しなさい」と言われ、その日の妻は家にも帰れずそのまま入院しました。

切迫早産の恐れがあると。

そこから、私と2歳の長男の二人暮らし生活が始まりました。
保育園の送り迎え、家事、育児、遊び、絵本の読み聞かせ等等等。
今、思い返しても長く辛く楽しく愛おしい日々でした。

家事や育児にそこまで積極的では無かった僕は、とても負荷のかかる日々だったのです。

妻が入院したその日の夜。僕は長男と一緒にベッドに入りました。
妻頼みだった育児や家事をこれから自分一人でしていかなければならないという不安。長男を守らないといけないというプレッシャー。

そして、何より妻がいないことへの寂しさ(長男のかわいいところをその場で会話し合うことができないことがとても苦しかった)で、
僕は長男の前で泣いてしまいました。

僕「ママがいないとさびしいね。」
長男「うん。でもパパがいるから。」

言葉も覚束ない2歳児がどうして私の心を後押しする言葉を発することができるのでしょうか。寝ぼけ眼にウトウトしながら言ってくれたその言葉は、パパとして自信が無かった私に送る一生の宝物でした。

(自分はこの子たちのために生まれてきたんだ。)

恥ずかしい話、心からそう思いました。

その日から僕はBDK(部活だけ教師)から、お父さんになった気がします。

中学校の保健体育科教師として、色々な経験を積み、運動やスポーツの何たるかがちょっとだけわかってきた今。

その知識や経験や指導法を、自分の子どもたちに還元していくことが、私が生まれて、育って、このお仕事についた理由だと本気で思いました。

自分の子どもたちのために生きる。

それが、ぼくがいきるりゆうです。