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私の #音楽の履歴書 ~狭くとことん~

ささいな笹さんが始めた #音楽の履歴書
あんでぇこいつぁおもしれぇんだんに!おんもやってみんべぇ(なぜか方言)と私も書いてみることにしました。
このところ小林○子さまへの愛をnoteで垂れ流しているので○子一色の履歴書になる可能性を心配していますが、振り返ってみます。

こちらの涼雨零音さんの音楽の履歴書も、きしめんみたいに幅広くておすすめです。目次の項目を真似させていただきましたm(_ _ )m

音楽との出会い

私の音楽の土台を作ったのは、間違いなく祖母と母だと思う。

祖母(大正10年生)は美空ひばりの大ファンだった。
私はリアルタイムひばりの記憶はないが「あきここっちへこーよ!ひばりが出てるよ!」と呼ばれ、追悼番組のときは必ず一緒に見ていた。「ひばりは歌がうまいよねぇ」と話す祖母。そのうち川の流れのようにが大好きになって自分で歌うようになった。
大好きなおばあちゃんが好きだから私も。好きな人の好きなものは私も好き!になる説を推したい。
あと唱歌も色々教えてくれたようで、靴が鳴る日の丸の旗は今でも覚えている。日の丸の旗は祝日で人んちに掲揚されている日の丸を見たら必ず歌っていたらしい。

白地に赤く 日の丸染めて
あゝ美しや 日本の旗は

母は母で演歌・歌謡曲が好きな人だった。
母から初めて教わった歌は東京音頭東京流れ者。3人兄妹の末っ子。東京に出たくてもお前だけは地元に残ってくれと両親から懇願され、地元の工場に勤めた母は今流行りの #東京嫌い だったのだろうか…。
私も娘も歩きながら日常的に歌ってしまうのだが、そういえば母も車を運転しながらよく歌っていた。隣町のおどや(スーパーマーケット)に行く途中の車内で教えてもらったのが上記の東京2部作だ。母、なぜそのチョイス。

そういえば小学生のときフルートのコンクール伴奏で千葉市に行く際、母方の祖父が車で送ってくれた。そのとき祖父も車内で歌っていた。どうやら確実に受け継がれている。

アップライトピアノが我が家に来たのもこの頃。たしか4~5歳ぐらいのときだったはず。本家の親戚のお姉さんが音高に進学が決まったため、より良いピアノに買い替えたらしい。そのお古を母がもらったのだ。ここでもらってなきゃ私は音楽の道に進んでないのだから音楽の履歴書において大きな出来事だ。
すぐピアノを習い始めた訳ではないので、ピアノの扱いはかなり雑だった。そりゃもう酷かった。蓋をあけて中にカードやおもちゃを入れていたし、ひどいときはとりもちが入っていた。弟と二人でピアノに登って上で遊ぶのは日常茶飯事だし、弟はピアノ上でおもらしもした。
今だったら卒倒ものである。当時のピアノは手放してしまってもう手元にはないのだが今だから言いたい。ピアノさん、あの時はごめんね。

・・・もう1000字書いたんだけどこれから大丈夫かな。

小学生編

小学生になってピアノを習い始めた。ピアノ大好き!…とは言えずどちらかというと嫌いだった。練習が面倒くさくて毎週初見でレッスンに通っていた。

芸能人にも疎かった。テレビを見るより漫画や本を読む方が楽しかったからかもしれない。相変わらず美空ひばりは好きだった。この頃流行ったプロフィール帳?の好きな芸能人欄には「美空ひばり」と書いていたのを覚えている。
私はなかよし派だったので、セーラームーンを始め、魔法騎士レイアースなどのアニメにも夢中になった。主題歌のゆずれない願い大好きだった!ほかにもセイバーマリオネットとかスレイヤーズ…忘れてしまったものもあるけど、音楽を取り込むのはアニメからが多かった気がする。
そうだ、アニメと言えば私に絶大な影響を与えたのが少女革命ウテナ。これは本当に大好きで私も潔くかっこよく生きたいとどれほど思ったことか。サントラCDも全部買っていた。J・A・シーザー楽曲のインパクトは絶大だったし、楽曲も全部美しかったな。光さす庭を弾きたくてたまらなかった。主題歌の輪舞-revolutionはもはや座右の銘のようになっていた。引っ越しでCDを手放してしまったのが悔しい。これが人生で #はじめて買ったCD

4年生からは学校の吹奏楽部に入り、ユーフォニウムを始めた。
本当はフルートをやりたかったけど大人気につきあぶれてしまい、他の楽器も既に空きがなかったためパーカッションをやろうかと思っていた。しかし音楽の先生から「晃子は楽譜がよめるから」といわれ誰もやる人のいなかったユーホニウムに回された。最初の印象は、これホルン?だった。
コンクールで演奏した西部の人たちブランドン・ベイ、好きだったな。

中学生編

1998年 ポケットモンスター映画第一弾<ミュウツーの逆襲>公開。
遂にやってきました!小林幸子さまとの衝撃の出会いです。
弟がゲームボーイライトで夢中になっていたポケモン赤。アニメも第一話から見ていたので、映画ももちろん見に行った。そこできいた「風といっしょに」
良い曲だなぁ、歌ってる人なんか美人だなぁと気になり母に頼んでCDを買ってもらった。
昨年、ミュウツーの逆襲はリメイクされ、主題歌を幸子さまとしょこたんが一緒に歌った。CDも出ている。映画のリメイクが自身の55周年アニバーサリーイヤーに被るなんて幸子さまやっぱり”持ってるな”。

年末の紅白歌合戦で、風といっしょにを唄うおばさんとすごい衣装の小林幸子がようやく一致してから、小林幸子の歌う雪椿ってどんな曲なんだろう、聴いてみたい!とお年玉を握りしめてジャスコに買いに行ったアルバムがこちら。

これで落ちた。小林幸子沼に。12曲全部彼女の身に本当に起こった出来事なんじゃないかと思わせる歌唱力、表現力。他の曲も知りたくて母に頼んで色々と買ってもらった。

このブギを唄うが大好きで、特に買い物ブギ、コンガラガッタ・コンガ、大阪ブギ、ジャングルブギあたりが大好きだった。宮川泰先生のアレンジもすばらしかったし、名匠・宮川組の演奏もかっこよかった。片道2kmの通学路は行きも帰りも小林幸子の曲を口ずさみながら歩くのが日課だった。
同級生がMステを見る中、歌謡コンサートを見るのが習慣に。そこで色々な演歌・歌謡曲を取り込む。天城越え、飢餓海峡、スキ。
そして人生初めてのライブ&東京は新宿コマ劇場。小林幸子新春座長公演だった。

もう一つ大事な出会い。13歳の時から声楽を始めた。
きっかけはピアノの発表会で友情出演していた声楽の先生の演奏をきいたこと。オナカの大きな王子様を歌っていて、王子様はなんてかわいそうなんだろう、教育テレビで流れてるような曲もこんなに素敵に歌えるのか、私もあんな風に歌いたい!とレッスンに通うことを決意。初めて歌ったイタリア歌曲はトスティのSogno。コンコーネ50番(声楽の練習曲集)がマブダチ。

あとMALICE MIZERが好きだった。ヴィジュアルに衝撃を受けアルバムmerveillesを購入。そこでハマるかと思いきや、マリスが載ってる雑誌を買ったらそこに載ってたLAREINEに魅せられる。華麗な見た目と美しいメロディの楽曲が好きだった。それからヴィジュアル系はずっと好き。

ポップスは自ら進んでききはしなかったが、モーニング娘。、浜崎あゆみ、宇多田ヒカル、L'Arc〜en〜Ciel、シーソーゲーム、SPEED…あたりは耳に入ってきていた。

ちなみに通っていた中学校は運動部しかなかったので、ユーフォニウムは続けていない。吹奏楽部がないって珍しいよね。

代わりにといえば、地元の音楽教室がミュージカル部門を作ったのでそこに入り舞台に立つようになった。

高校生編

音大に進学することを決めた高校時代。歌唱に悪影響が出るので演歌を歌うの禁止令が出された。
それでも小林幸子熱はさめるを知らず、毎年新宿コマの座長公演に出かけていた。芸能生活40周年だった2003年、浅草は浅草寺で新曲のヒット祈願イベントが開催されることが決定!無料だし絶対行く!!と思ったらなんと月曜日。風邪ひきましたと高校とピアノのレッスンを休み、人生初の浅草に降り立つ。写ルンですを片手に小林幸子を撮りまくる。もう時効だからいいですよね、あのときは受験生(3年生)だったのにレッスン休んでごめんなさい。

LAREINEも引き続き大好きで、CDを買っていたのは小林幸子とLAREINE。この頃好きだったのは一青窈、森山直太朗、森山良子、モーニング娘。、Gackt

宝塚に出会ったのもこの頃で真琴つばさが大好きだった。好きになったとたん退団してしまったけど。彼女のCDはまだ持ってるな。

この三年間は受験勉強とミュージカル活動。
受験に必要なコールユーブンゲンが歌えなさ過ぎ問題。聴音できなさすぎ問題。楽典自学。イタリア歌曲集1が心の友。数学と生物の時間は内職して楽典とコールユーブンゲンを勉強していた。
ミュージカル活動も楽しくて全力で頑張ってた。

大学生編

無事に大学入学。東京に出てきてこれ幸いと小林幸子のコンサートとLAREINEのライブに行き始めた。
歌謡コンサート・スタジオ505の観覧、昼夜二回公演両方参戦、出待ちデビューもこの時代。ライカエジソンのイベントに行ったり、O-WESTなんかのライブハウスに行ったり、昔の音源を探しに新宿ヴィジュアル系専門店を徘徊したり。

しかしながらLAREINEは2006年3月に活動休止。10年の活動に幕を下ろした。同時期に小林幸子のファンクラブが解散。当時はネットもできなかったため、いつどこで何があるかわからなくなり、そして学業が猛烈に忙しくなったため(記憶曖昧)2006年新宿コマ座長公演『代書屋お幸奮闘紀 幸せとどけます』を最後に現場から足を洗う。

モーニング娘。はずっと好きでテレ東のハロモニを見ていた。久住小春が加入した色っぽいじれったいが好きだったし、笑顔yesヌード悲しみトワイライトも好みだった。細く長いファンだったがよっしーが卒業するときは泣いた。

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小林幸子、LAREINEの代わりに私の音楽の履歴書を埋めたのはクラシック。
そう本業の声楽。大学の4年間はひたすらうたの練習をし、オペラの勉強をしていた。

大きなターニングポイントは3年生で魔笛夜の女王を演じたこと。あなたなら歌えるんじゃない?と教授が推してくれたのだ。この役をやり遂げたことは大きな自信になった。
「お前たちはモーツァルトと仕事をするんだ」演出家の先生の忘れられない一言。あ、私も一つの音符になってモーツァルトの魔笛という音楽をみんなで作り上げるんだ、と感動でふるえた。

好きなオペラは椿姫、夢遊病の娘、リゴレット、ノルマ、連隊の娘、魔笛、ランメルモールのルチア、蝶々夫人。
好きな歌手はナタリー・デセイ、アンドレア・ロスト、ミレッラ・フレーニ、ジョーン・サザーランド、エディタ・グルベローヴァ、マリエッラ・デヴィーア。
デヴィーアの公開レッスンを見に行ったら、レガートの息の流れが美しすぎて、興奮でその晩眠れなかった。

作曲家はベッリーニとレスピーギ、ドビュッシーが好き(なんか浅いね私)
歌の曲に労力を全振りしていたので、オケ、吹奏楽、ピアノほとんどわからない音大卒業生は私だ。

クラッシックのことはもっと語りたいけど力尽きてきた…。

その後

卒業後は生きるのとレッスンに通うので精一杯。CDを買う余裕もなかったが、聴き続けていたのはモーニング娘。2008~2010年頃は全然テレビに出ていなかった時代だったが、後に「プラチナ期」と呼ばれ高橋愛を筆頭にダンス、歌唱ともにハイレベルのパフォーマンスを見せていた。PVやライブ動画をYouTubeであさりまくった。特に好きだったのが下記アルバム辺り。Songs、リゾナントブルー、泣いちゃうかも、気まぐれプリンセス。そして涙ッチは名曲中の名曲。CDよりライブ映像が断然オススメ。

9期メンバーが加入したときが最高潮に好きで、ツアー初日の、ライブに参戦したのはいい思い出だ。あの場所には楽しさしかなかった。のちにDVDもライブ写真集も買った。
道重さゆみメインのFantasyが始まるは未だに大好き。


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なんとか東京で生き延びて、ご縁がつながり音楽でのお仕事もいただけるようになってきたのが2011年ぐらい。

久石譲さんの娘さん、麻衣さん主催の女声コーラスグループLittle Carolに参加し紀尾井ホールの舞台にたったり。
福井晶一さんのファーストアルバム『Blessings ~いつもそばに』にコーラスで参加させていただけたり。
冨田勲先生の『イーハトーヴ交響曲』の北京公演に合唱で乗らせていただいたり。2016年のオーチャードホールでの追悼公演に参加させていただいだことは生涯忘れません。

初音ミクをソリストとして迎えたこのイーハトーヴ交響曲は本当に大好きで。歌い手として大きな経験をさせていただいた曲で。皆さんに聴いてほしい。小林幸子より聴いてほしい。いつか別記事を書きたいと思います。

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そうだ!8年の空白を経て小林幸子の現場に戻ったのはこの曲がきっかけ。

ニコニコ動画にうたってみたを投稿するなんて思ってもみなかったよ!!!!!!面白すぎてもう一度あなたのことを好きになったよ!!!!!!!

現在

子育て真っただ中で聴いてるのは安定の小林幸子さま。CD買うのも幸子さまだけ。現場になかなかいけないのはちょっと寂しい感あります。
でも今の時代はいいですね。YouTubeでなんでも見れるし、歌ってみた動画は見れるし、ストリーミングでなんでも聞けるし。スマホも新しくしたので何かストリーミングサービスに登録してみようか検討中。Mica ひらいみかさんおすすめの米津玄師も購入せねば!

こんな感じで音楽の履歴書を書きあげましたけど、これ世間様に公開していい文章ですかね…?語尾もめちゃくちゃ、頭の中をただ垂れ流しているだけの文章…。

書いてみてわかったのは、私の音楽の守備範囲狭い!好きなものは脇目もふらずとことん追求!この2点です。

それでも音楽がいつもそばにいてくれてよかった。

今日も当たり前の幸せに感謝を。

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