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十大弟子ものがたり|須菩提 ースブーティ


1 怒りのスブーティ

ガチャン!大理石の床に高価な茶碗が砕け散りました。「誰がこんなまずいお茶を淹れろといった」女中は若者の足元にひれ伏しました。「も、も、申し訳ございません、お坊ちゃま」若者は、泣きながら詫びる女中の髪をわしづかみにし、部屋の隅でおびえる女中たちに向かって「早く誰かお茶を入れなおしてこい」と叫びました。

若者の名前はスブーティ(須菩提)。コーサラ国の首都である舎衛城で、指折りの商人シュマナ(須摩那)の子どもです。生まれたときから何不自由なく育った彼は、甘やかされて育ったせいか、わがままで短気で怒りっぽい性格でした。

「お茶は、もういい。僕は出かけるぞ」スブーティはテーブルを蹴り上げ部屋を出ていこうとします。「お待ちください、お坊ちゃま。今日はお客様がいらっしゃるから部屋にいるようにとご主人さまから言われておりますが」女中の制止も聞かずスブーティは部屋を飛びだしていきました。

2 大長者スダッタ

「くそー、なんであの女中はお茶もロクに淹れられないのだ」悪態をつきながらスブーティは、広い庭に生えているマンゴーの木を蹴飛ばしました。「イタタ・・」思いのほかマンゴーの木が固く、足を抱えてうずくまっていると「おお、そこにいるのはスブーティじゃないか」突然、背後から声がかかりました。振り向くと伯父のスダッタ(須達多)長者がにこやかに立っていました。「あっ、伯父さん。ご無沙汰しています」スブーティは立ち上がり、足をさすりながら挨拶をしました。お客って伯父さんのことだったのか。スブーティは大好きな伯父さんに久しぶりに会えて気分が少しよくなりました。

父の兄であるスダッタ長者は、舎衛城一の大富豪です。ただのお金持ちではなく、貧しい人や一人で暮らしている人たちに食べ物を施し「給孤独」と呼ばれ、人々から尊敬されていました。

二人は並んで屋敷に向かって歩き始めました。「お前もそろそろお父さんの手伝いをするような歳だろう」スブーティは俯きながら歩いています。「将来の夢とか、やりたいこととか何かあるのか」父親から同じことを言われると腹を立てていたのに、大好きな伯父さんから言われると、素直な気持ちで受け取れます。

ー伯父さん、聞いてください。やりたいことが分からないのです。どう生きたらいいのかわからないのです。暴力なんか振るいたくない。僕は何者なんでしょうか。僕らしく生きるってどういうことなんでしょうか。伯父さん、教えてください。僕はどう生きたらいいでしょうか。ー

スブーティは心の中で叫んでいました。しかし、口から出た言葉は「別に・・・」ただその一言でした。「そうか。ところで今日は、いい話を持ってきたのだ。お前もお父さんたちと一緒に聞くといい。」スダッタ長者はスブーティの肩を抱きながら屋敷の中に入っていきました。

3 祇園精舎

応接室にシュマナと妻、そしてスブーティが揃いました。「やぁ兄さん、お元気そうで何よりです。最近調子はいかがですか」と話を続けようとするシュマナの言葉をさえぎって、スダッタ長者は「実は、お釈迦さまにお会いしたのだ」と驚くような話しを始めました。

先日、仕事で隣のマガタ国に行ったとき、その地にある竹林精舎にお釈迦さまが滞在していて、偶然説法を聞くことができたのです。お釈迦さまの説法は、深く心にしみこんで、体全身が喜びにあふれ、例えようのない幸せを味わったのでした。

説法に感激したスダッタ長者は、その場でお釈迦さまに「是非、舎衛城にお越しください。そしてもっと多くの者たちに教えをお説きください」と懇願しました。お釈迦さまは、温かな笑みを浮かべて承諾してくれたのです。
すぐに舎衛城に戻ったスダッタ長者は、さっそくお釈迦さまたちが滞在できる精舎(僧侶たちの修行場であり宿泊もできる寺院のこと)を建立しようとしましたが、なかなかいい場所がありません。条件を満たす場所は限られています。

やっと見つけたのは、ジェータ太子(祇陀太子)が所有していた荘園でした。スダッタ長者は、荘園を譲ってほしいとお願いに行きました。しかし、ジェータ太子は、すぐにいいとは言いません。「そんなにあの土地が欲しいなら、必要な土地に金貨を敷き詰めろ。その土地だけお前に譲ってやるよ」と意地悪な目をして言いました。

スダッタ長者は、その言葉通り自ら毎日金貨を運び荘園に敷き詰めていきました。あのスダッタ長者が自ら汗を流して金貨を運んでいる。この噂はすぐに街中に広がりました。すっかり評判の悪くなったジェータ太子は「お前ほどの大富豪が、なぜそこまでするのだ」と尋ねました。地位も名声もあるスダッタ長者の目的が分からず不思議で仕方ありません。スダッタ長者は、お釈迦さまを招くための精舎を造ろうと思っていることを打ち明けました。

「そのお釈迦さまとかいう人はうわさに聞いたことがあるが、そんなにすごい人なのか」半信半疑で尋ねるジェータ太子に、スダッタ長者はお釈迦さまの教えのばらしさを熱く語りました。その話に心を動かされたジェータ太子は「よし、あなたがそこまで言う人に私も会ってみたい。精舎建築に力を貸そう」と言って荘園を譲り、寺院を立てるための樹木を寄付しました。

しばらくして、静かな林の中に荘厳な寺院が完成しました。給孤独といわれるスダッタ長者と祇陀と言われるジェータ太子、二人の名前を冠して『祇樹給孤独園精舎』略して『祇園精舎』という名前が付けられました。
そしてついに、お釈迦さまが近々、この祇園精舎に来ることになったのです。「シュマナ、そしてスブーティ。私は君たちを誘いに来たのだ。一緒にお釈迦さまのところに行って説法を聞こうじゃないか」熱く語るスダッタ長者は、じっとスブーティの目を見つめていました。

4 祇園精舎の説法と出家

スブーティは、父と母、女中など屋敷にいる全員で、祇園精舎にやってきました。静かな林の中に、お釈迦さまは穏やかに座っておられました。
「あぁ、なんて美しい人なのだろうか」スブーティは金色に輝いているお釈迦さまを見ながら、悟った人はこんなに美しいのか、と感動していました。私もこんな風になれるのだろうかと思ったとき、なんとお釈迦さまが自分のことを見ていることに気が付きました。恥ずかしくなりスブーティは目をそらします。しばらくして前を見ると、まだお釈迦さまが自分のことを見ています。そして説法は突然始まりました。

「若者よ、苦しいだろう」スブーティは驚きました。自分に向かってお釈迦さまがお話になっているのです。

「そなたは心も体も毒に犯されている。その毒は怒りであり、愚痴であり、無知である煩悩という毒である。その毒は幸せを生み出す種を焼き尽くし、心に悪魔を生み出し、自分自身を地獄へ落とすものである。その毒がそなたを苦しめているのだ。心は騒ぎ、常に動き回っている。だから心を守り制御することは難しい。若者よ、自分の心を制御できないのは真理の法を知らないからである。今のままでは善悪の区別もつかず、苦しみだけが自分を支配することになる。父や母がどんな幸福を与えようとも、正しい真理は心にもっと大きな幸せをもたらすのだ。」

気が付いたら泣いていました。止めどもなく涙があふれ出てきました。
「若者よ、真理を知り尽くし、あらゆる束縛から解放され、煩悩の毒を滅したものは、心と言葉と行動、すべてが静寂である。真理の智慧を求め手に入れるのだ。若者よ、自分を救うものは、自分以外にはないのである」


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