十大弟子ものがたり|舎利弗 ーサーリプッター
十大弟子を生きる「智慧第一の舎利弗」
1 祭り
「みんな、何がそんなに楽しいのだ。いつか死ぬんだぞ。どんどん死が迫ってくるというのに、ちきしょう、俺の人生これでいいのか。たのむ、誰か教えてくれ。俺はどう生きたらいいのだ」シャリホツは自分の心に向かって叫んでいた。
王舎城近郊のナーラカ村では、年に一度のお祭りが開かれていた。「山頂祭」と呼ばれるこの祭りは、近くの山に登り、飲めや歌えの大騒ぎを三日三晩行うのが慣例になっていた。山頂では太鼓の音に合わせ踊り狂う若者たち、酒に酔い潰れる者、夜の闇に消えていく男女。そこには欲望が渦巻いていた。
満月の深夜、まさに祭りは最高潮に達していた。村人たちが熱狂している中、シャリホツはただ一人、自分の居場所を見つけられずにいた。「あぁ、こんなことをして何が楽しいのだ」祭りに嫌気がさし村への道を下り始めた。中腹まで下りて休んでいると、「そこにいるのはシャリホツじゃないか」と声を掛けられた。小さなロウソクを手にして頂上の方から降りてきたのは、幼馴染のモクレンだった。「おぉ、モクレン久しぶりだな」二人は近くにあった岩の上に腰かけた。満天の星空を見ながら「祭りは疲れるな」とモクレンはつぶやいた。「キミもそう思ったのか」
シャリホツと隣村に住むモクレンは、共にバラモンの家に生まれた。年も近かったこともあり、二人は行動を共にすることが多かった。多感な思春期である。二人は共に人生に悩み、生きることの目的を見つけようとしていた。
「驚いたな、同じことを考えている者がこんな近くにいたなんて」シャリホツはモクレンと話しているうちに決意を固めた。自分は何のために生まれ、何を目標に生きたらいいのか。欲望に振り回されない清らかな生き方がきっとあるに違いない。それを教えてくれる先生の元で修行をしよう。シャリホツは自分の思いを素直にモクレンに伝えた。「同感だシャリホツ。でも、良い先生がいるかな?」シャリホツは村のはずれで修行会を開いているサンジャヤの名前を挙げた。「あぁ、その方ならオレも評判は聞いたことがある。なんでも新しい考え方を提唱しているらしい。さっそく明日一緒に行ってみようじゃないか」
満月に照らされ、二人は固い握手を交わした。
2 サンジャヤ
「いいか諸君。我々は本当の真理など知ることはできないのだ」サンジャヤはシャリホツとモクレンを最前列に座らせ、二百人以上の弟子たちに向かって説法をした。
二人は一生懸命にサンジャヤの話を聞き、すぐにその理論をマスターした。ある日、入門したての生徒から質問がでた。「先生、来世はあるのでしょうか」サンジャヤは長く伸びたあごひげをしごきながら「ウーム、来世はあるともいえないし、ないともいえない。来世に代わるものがあるとも考えないし、またそうではないのではないかとも考えない」サンジャヤは、問題に対して曖昧な回答をして思考や判断を止めてしまう『懐疑論』(または不可知論)という論法を提唱していた。初めの頃は、懐疑論法が新しい考え方だと思っていたシャリホツとモクレンだったが、教えをマスターしていくうちに「あの人の教えは、ウナギのようにヌルヌルしていて捉えどころのない」と次第に結論の出ない「うなぎ論法」に満足できなくなった。
3 清らかな比丘アッサジ
「サンジャヤ先生の話を聞いても、生きる意味は全く分からない。真理とはそんなに曖昧なものなのか」このところ、サンジャヤの教えに対し疑いを持つシャリホツであった。朝の説法会の帰り道、悶々としたシャリホツは、通りがかった一人の托鉢の修行者に目を奪われた。なんて清らかな姿なのだろうか。街の多くの人が、その修行者に手を合わせ布施をしている。托鉢中の修行者に声をかけることは禁止されている。それでもシャリホツは話しかけたくて仕方なくなり修行者の後をついて行った。修行者は、ゆっくりと町はずれまできて托鉢を終えた。すかさずシャリホツは声をかけた。
「美しく清らかな沙門よ。あなたのような徳の高い心持は見たことがない。是非、あなたの師匠のお名前をお聞かせいただきたい。そして、その方は一体どのような教えを説いていらっしゃるのでしょうか」
真剣な眼差しのシャリホツに修行者は優しく微笑んだ。「私の名はアッサジといいます。師匠はお釈迦さまという方です。私は出家してまだ日が浅いので、お釈迦さまの教えをすべて知りつくしているわけではありませんが」と断ったうえでシャリホツに語り始めた。
『諸法は因より生ず 如来はその因を説きたもう。諸法の滅をもまた 大沙門はかくの如く説き給う』その詩句を聞いたシャリホツは、全身に戦慄が走った。「これだ、私が探していたものはこれなんだ」シャリホツはアッサジに礼を言い、一目散に走り出した。見つけた、見つけたぞ!ついに私は私の問いに答えてくれる方を見つけた。
モクレン、おれは見つけたぞ。真理を体得している人を見つけたのだ。
4 縁起
シャリホツは、すぐさまアッサジとの出会いをモクレンに話した。モクレンもまた話を聞いただけでお釈迦さまの偉大さを理解した。二人は、アッサジから聞いたことをサンジャヤとその弟子たち(二百五十人)にも伝えた。弟子たちは皆その場でシャリホツらとお釈迦さまのもとに行くことを決意したが、サンジャヤだけは頑なに拒否した。出ていく彼らの後ろ姿を見ながらサンジャヤは悔し涙を流し、怒りの為か血反吐をはいて悶絶した。
「シャリホツよく聞きなさい。この世のありとあらゆる物事や現象は、すべて互いに関連し合っていて、何一つ孤立したものはないのだ。だから、あらゆるものは『因』という直接的な原因と『縁』という間接的な条件が互いに関連し合い生じたり滅したりするのだ。これを『因縁生起』という。分かるかいシャリホツ。原因や条件が変われば結果も当然変化する。つまり、いつも同じ状態であり続けるものや、永遠に変化しないものなどない。だから、この世は無常なのだ」
お釈迦さまの前に、髪を剃り粗末な衣を身に付けたシャリホツが合掌して座っていた。隣には、同じ恰好をしたモクレンが、そしてその後ろには二百五十人もの新弟子たちが一心にお釈迦さまの話を聞いていた。シャリホツは涙が止まらなかった。私が求めていた人が今目の前にいて、私が知りたかった真理を説いている。渇き切ったシャリホツの心に、お釈迦さまの説法はしみいるかのように浸透していき、やがてシャリホツは悟りの境地に達した。
6 晩年
シャリホツは、お釈迦さまの教えをすべて理解した。やがて、お釈迦さまの弟子の中で智慧第一と言われ、時にはお釈迦さまの代わりに説法することもあった。それほどお釈迦さまは、シャリホツを信頼し自分の後継者としても考えていた。
80才になったシャリホツは自分の死期を知り、出来れば故郷のナーラカ村で最期を迎えたいとお釈迦さまに願い出た。お釈迦さまは、シャリホツの身を案じ、この修行場で養生するように勧めた。しかし、シャリホツの意志は固く衰弱した体で故郷へと帰った。
シャリホツは看病する弟子や別れを惜しんで駆けつけた人々に最後の説法を行った。懐かしい自分の部屋で横になり窓から外を見ると、夜空に大きな満月が浮かんでいた。「モクレンと会った時も満月だったな」穏やかな微笑をたたえシャリホツは静かに息を引き取った。
シャリホツの遺骨と衣鉢は同行していた弟子のチュンダがお釈迦さまの元へ持ち帰った。お釈迦さまは、嘆き悲しむ比丘たちに向かって「皆の者、そんなに嘆いてはいけない。大切な人と別れなければならない時が来る。この世は移ろいやすく、ひと時も同じものなどない」と諭された。
智慧第一と言われたシャリホツは、生涯アッサジとの出会いに感謝し、決してアッサジのいる方角に足を向けて寝ることはなかったという。
日蓮宗東京都西部教化センター「いのちに合唱」より
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