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十大弟子ものがたり|迦旃延 ーカセンネンー

1 憂国

「あーん?一晩泊めてほしいじゃと。お前さんたち、金は持ってるかい。おいおいまさかタダで泊まろうなんて思っちゃいないだろうね。食べる物?じゃ、さらに倍の金を出しな。誰だい舌打ちしたのは。言っとくけど、泊めてくれって言っているのは、あんた達なんだからね。そうそう、このあたりにゃ、腹をすかした人食い虎がうようよいるんだよ。日が暮れると毒蛇だって道に出てくる。ほら、泊めてやるから早く金を出しな。この国は金。金がもの言うんだよ。幸せだって金で買える。ちょいとあんた、汚い荷物をそんなところに置くんじゃないよ。部屋が汚れるじゃないか。あんた達が泊まるのは、向こうの馬小屋だよ。雨風しのげるんだから感謝しな」

カセンネンは愕然としながら、重い荷物を担ぎ上げ馬小屋に向かいました。これが王様と私が命をかけて作り上げてきた国なのか。この国の人間はこんなに心が貧しいか。

「おれは、何をしているんだ。この国を変えることなんて本当にできるのか」

背中に、荷物より重いものを背負ったような気がしたカセンネンでした。

2 パッジョ―タ王と七人の家来

昔、インドの西部にアヴァンティーという国がありました。経済が発展し、仕事に成功した大金持ちが沢山いました。その一方、貧富の格差が大きくて暴動や略奪などが頻繁に起こり、治安も悪くなっていました。

ある日、王様は側近の家来で一番優秀な七人を集め、重要な任務を伝えました。

この国の東、コーサラ国の舎衛城(しゃえいじょう)に、お釈迦さまという素晴らしい聖者がいるという噂を聞いた。本来は自分で会いに行きたいが、国王が国を離れるわけにもいかない。そこで、お前たちがコーサラ国まで行き、お釈迦さまの教えを手に入れて帰ってきてほしい、という話でした。

あまりにも突然のことに、家来の七人衆は驚きを隠せませんでした。しかし、ただ一人、情熱的な目で王様をまっすぐ見ていた男がいました。それが七人の中で王様の信頼が最も厚いカセンネンでした。数日前、カセンネンは密かに王様に呼ばれました。

「カセンネン、お釈迦さまという聖者の話はどうやら本当のことらしいな」

王様は、以前からこの国の政治や経済の考え方に色々な聖者の教えを取り入れてきました。それを知っていたカセンネンは、知り合いの商人から聞いたお釈迦さまのことを王様に伝えたのです。

「王様、コーサラ国の舎衛城にお釈迦さまという聖者がいて、大変素晴らしい方だそうです。おそらくこんなに素晴らしい聖者は二度と現れないだろうと言われております。是非お会いになってはいかがでしょうか」

王様がさっそく調査をしてみると、なるほどカセンネンの言うとおりの評判です。

「カセンネン、わしは是非お釈迦さまから、この国を立て直す教えを頂きたい。お前たちが弟子入りして教えを学び持ち帰ってきてくれ」

カセンネンたちは王様の願いを背負ってコーサラ国への旅に出発しました。それは困難を極めた命がけの旅でした。

3 コーサラ国の人

馬小屋で一晩を過ごしたカセンネンたち七人衆は、何日もかけて山を越え川を渡り、やっとのことでコーサラ国に入りました。やがて日が暮れかかる頃、小さな村を見つけ、その晩の宿を求めました。

 「あらあら、皆さんお疲れのようね。泊まるところ?こんな汚い家でよければ、どうぞお泊り下さい。ちょうど今、豆が煮えたところなの。お腹空いてるでしょう。沢山召し上がってね。えっ、宿賃?そんなものいらないわよ。困っているときはお互い様。いつの日か、私や私の子どもが、旅先であなたの家に厄介になるかもしれないじゃない。その時に、泊めてくれればいいのよ。私たちはあっちの馬小屋にいるから、今日はここを自分の家だと思って遠慮しないでね」

カセンネンは驚きを隠せませんでした。国が違うだけで、こんなにも考え方が違うのか。私たちの国の方が経済も発展しているしお金持ちも多い。それなのに人々の心は荒んでいる。それに比べてこのコーサラ国はどうだ。この国は決して豊かな国ではない。しかし、人の心はものすごく豊かだ。なぜだ。カセンネンは、豆をよそっている女性に、お釈迦さまを知っているか聞きました。

「えぇ、知っていますよ。直接会ったことはないけど、会ったことのある人から、お釈迦さまの教えを聞かせてもらいましたよ。『人と争っている場合じゃない。争っているうちに私もその人も死んでしまう。喜びもない争いだけの人生でいいのか』ってね。なんだか胸に響いちゃってさ。えっ?あたしがいい人だって。そんなこたぁないよ。でも、もし少しでもあたしが良い人だと思ってくれるなら、そりゃお釈迦さまの教えのお陰だよ。この言葉を教えてもらってから、人と争うことは無くなったよ。そりゃ怒ることはあるけど、長引かせない。怒っているうちに人生が終わってしまうのはご免だからね」

カセンネンは、初めて心からお釈迦さまに会ってみたいと思いました。政治ではなく、悟りの教えで国や人々の心を変えていく。そんな大きな力を持ったお釈迦さまに早く会いたい。真っ直ぐ行こう。もう迷わない。これは王様の命令じゃない。おれが行きたいんだ。おれが、お釈迦さまに会いたいのだ。次の早朝、カセンネンは心の迷いを吹っ切り朝日に向かって歩き始めました。

4 祇園精舎のお釈迦さま

コーサラ国の舎衛城に辿り着いた七人は驚きました。自分たちの国とは全く違う景色だったからです。街並みは美しく、バザールは人々の笑顔と活気に満ちていました。カセンネンたちは、お釈迦さまの居場所を探すために街の人に尋ねてみました。

「あぁ、お釈迦さまなら祇園精舎にいるさ。すげー人だよ。あんな人は他にはいないね。とにかくありがたい方だよ」

誰に聞いても、お釈迦さまの悪口を言う人は一人もいません。カセンネンたちは焦る気持ちを抑えながら祇園精舎に向かいました。

祇園精舎は、静かな森の中にありました。そこでは多くの僧侶が思い思いに瞑想をしたり、車座になって教えを語り合っていました。若い僧侶に案内され、カセンネンたちは森の奥へと入っていきました。ひときわ大きな樹の根元が太陽のように光り輝いています。近づいてみるとその光の中に、静かに座って瞑想している方がいらっしゃいました。お釈迦さまです。

カセンネンはお釈迦さまに会ったら聞きたいことが一杯ありました。人はどうしたら苦しまなく生きていけるのか。どうしたら国が豊かに繫栄し、人々が幸せに暮らすことができるのか。愚か者の私は何一つ答えを持っていない。きっとお釈迦さまなら、そう思った瞬間です。

「愚か者とは煩悩に染まった者であり、煩悩に左右される者が愚か者である。愚か者は常に迷う者であり、迷いが苦しみを生み出す。悟りの智慧だけが迷いを滅する」

カセンネンは雷に打たれたような衝撃を受けました。まるで、自分が抱えていた悩みを知っていたかのようなお言葉。カセンネンたちは、お釈迦さまの御足に額をつけ、その場で全員が出家を申し出ました。

5 一夜賢者の偈

お釈迦さまの言葉に心を打たれたカセンネンは、いつの日か自分もお釈迦さまのように、人々を救う教えが説けるような、そんな僧侶になりたいと修行に励みました。そのかいあって、お釈迦さまの言葉を誰もが理解できるように解釈して伝えることができるようになりました。

ある日のこと。カセンネンは、お釈迦さまと一緒にコーサラ国の東側にある、マガダ国の都である王舎城に行くことになりました。ここにもお釈迦さまの弟子たちが修行をしている場所があり、温泉が湧いていることから温泉精舎と呼ばれていました。

この温泉精舎で修行しているサミッディという修行僧が、お釈迦さまから「一夜賢者の偈」という教えを聞かせていただきました。

『過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来たらざるを念うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ到らざるなり
されば、ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺るぐことなく、動ずることなく
そを見きわめ、そを実践すべし
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ
たれか明日死のあることを知らんや
まことに、かの死の大軍と遭わずというはあることなし
よくかくのごとく見きわめたるものは
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん
かくのごときを、一夜賢者といい
また、心しずまれる者とはいうなり』
(増谷文雄訳)


サミッディは、忘れないように繰り返し唱えて暗記しました。しかし、内容がさっぱりわかりません。

「せっかく覚えたというのに意味が分からなくては何の役にも立たない。そうだ、カセンネンさまに解説していただこう」

お釈迦様いらっしゃるのにと、始めは断っていたカセンネンも、サミッディの真剣な願いを受け入れ解説を承諾しました。

「サミッディ。私たちは過去に縛られている。昔は若かった、美しかった、楽しかった。過ぎ去った日を追うことは、欲望と貪りにしばられ、その虜になっているのだ。しかし、過去にこだわっていては心静かな境地には至ることはできない。未来も同じことである。まだ見ぬ未来に希望も絶望も必要のないこと。なぜなら、未来はまだ現実になっていない。そんなことにおびえる必要ないのだ。大切な事は今を一生懸命生きることだ。そのためには、目の前の問題を観察し解決していくのだ。決して目の前の出来事から目をそらすな。そして昼夜に精進を怠るな。そういう生き方をするものが賢者であり、静かな境地を手に入れられる者なのだ」

サミッデイは、お釈迦さまの教えが、こんなにも深く尊いものだと初めて実感しました。それもカセンネンの解説があったからこそです。サミッディは、すぐさまお釈迦さまにこの出来事を報告しました。

「サミッディ、よかったな。カセンネンは真の賢者である。もし君が直接私に尋ねたとしても、私もカセンネンと同じように解説した。彼の解説をよく覚えておくのだぞ」

6 帰郷

カセンネンは、お釈迦さまと行動を共にし、常に教えを聞いて、分かりやすく解釈できるように修行しました。それはいつの日か王様のもとへ帰った時に、お釈迦さまに代わって教えを説き、国のすべての人々を救うためでした。

そのためには、お釈迦さまの教えを聞いて覚えるだけではなく、内容まで正しく理解し、どの人にも理解できるように伝えられる能力が必要だと考えました。だから、カセンネンは弟子の中で、お釈迦さまの教えを誰もが理解でき、間違えなく伝えることができる第一人者として「論議第一」と言われるようになったのです。

やがて、アヴァンティー国に帰ったカセンネンの教えを聞いた王様は出家しました。お釈迦さまの教えを正しく届ける。カセンネンの願いは叶ったのです。

7 カセンネンから学ぶ生き方

お釈迦さまは、この世で大切なものは智慧だと説かれています。どんなに財産があっても、智慧がなければ、幸せに生きていく目的を見失い、欲望の海に沈み苦しむことになるというのです。その教えを受けてカセンネンは数々の解釈を残しています。

「人から良く思われたい、人より勝れている、他人から尊敬されたいなどの気持ちは、心を汚すものでしかない。人前でどんなに素晴らしい行いをしても、心の中が欲望で汚れていることを天の神々は知っている。どんなにすばらしい人と褒めたたえられていい気になってはいけない。自分の心が汚れているのは自分が一番よく知っているはずだ。だから悟りの智慧で心を浄化させなさい」。

煩悩に染まり、欲望の中で生きても幸せにはなりません。人と争うのは欲望が原因です。すべての苦しみは、自分の無知から生まれてくるのです。その無智を克服するには、悟りの智慧を知り、理解し、実践するしかないのです。

カセンネンの生き方は、私たちの生き方の手本です。智慧を知り実践する先にしか幸せはありません。私たちはもっと幸せに生きられます。お盆に帰ってこられたご先祖様たちに恥じぬよう、真っ直ぐ生きていきましょう。

  

 

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