十大弟子ものがたり|目連 ーモッガラーナー
十大弟子を生きる「智慧第一の舎利弗」
お釈迦さまの周りには沢山の弟子たちがおりました。その中で、特にお釈迦さまから信頼を受け、修行者たちの見本となるような優れた十人の弟子たちがおります。今回は、最も優秀な舎利弗と一緒に弟子になり、神通第一といわれお釈迦さまの代わりに修行者の指導にもあたった目連尊者のお話です。
コーサラ国の首都で、繁栄を極めた舎衛城という街に「世界一美しい蓮華」と呼ばれる遊女がおりました。彼女は男から貢がれた最高級のサリーをまとい、豊満な身体からは甘い香りが漂い、濡れた唇から洩れるため息は男たちを狂わせるほどでした。
ある日、彼女は街で自信と威厳に満ちた説法をする僧侶に出会いました。「ふん、偉そうなことを言ったって、この人だってただの男じゃない」そう思った遊女は臆面もなく僧侶に声をかけたのです。「ねぇ、素敵なお坊さま。遊んで行かない」僧侶はじっと彼女の眼を見つめました。
「美しい人よ。あなたの美しさは、残念ながら外見だけだ。私には見える。あなたの体の中には鼻汁、唾、涙、糞尿が満ち不浄を極めている。さらに心は怒りと憎しみ、苦しみと悲しみに満ちている。なぜ、そこから目を逸らし地獄へ向かう道を進もうとしているのか。」
思いもかけない僧侶の言葉に、彼女は驚きました。不意に心の中を見透かされたようだったからです。慌てながらも強気で言い返しました「ふん、アンタなんかに私の何が分かるっていうんだい」僧侶は彼女を見据えたまま
「女よ、私は修行によって神通力を手に入れた。だからお前の現在も過去も未来もみんな見えるのだ。過去はもう変えようがない。しかし今の生き方を変えることはできる。そうすれば未来は変わる。汚れた服は洗えばいい。苦しみや怒りで汚れた心は悟りの教えで浄めればいい。どうだ、私に今までの事をすべて話し懺悔する気はないか」
僧侶の言葉は遊女の胸に響きました。それはまるで、悪い夢から覚めたときのような気持ちでした。彼女は、自分のあさましさ、罪深い人生が走馬灯のように蘇り、気が付けば大粒の涙が溢れ出ていました。「お坊さま、私は裕福な家に嫁ぎ、娘を出産しました。幸せな人生だと思っていたら、なんと夫は私の知らないところで母親と不義を働いていたのです。私はいたたまれず娘を置いて家を出ました。街から街へさまよい、数年後、大金持ちの商人と再婚しました。しかし、幸せは長続きしませんでした。彼は若い女を妾として囲っていたのです。その妾は、なんと私がかつて捨てたわが娘だったのです。人を愛することも信頼することもできなくなった私は娼婦となり快楽を求めて暮らすようになりました。私は醜い女です。お願いです。どうかこんな私をお救い下さい」
僧侶は、彼女が落ち着くのを待ってから「私の師匠はお釈迦さまという方だ。この町はずれに祇園精舎という修行場がある。そこで尼僧として生まれ変わり新しい人生を生きてみないか」と誘ったのです。遊女は大きくうなずき僧侶の名前を尋ねました。「私の名前は目連(もくれん)という。お釈迦さまのもとで修業し六つの神通力を手に入れたので、修行場では神通第一と言われている。」この後、出家をした遊女は、四年間熱心に修行をして多くの女性から慕われる尼僧になりました。
2 母の業
修行の結果、神通力を手入れた目連だったが、その神通力も叶わない出来事があった。
祇園精舎の朝は早い。日の出とともに、修行僧たちは街に托鉢の修行に出かけます。修行に熱心な目連は、みんながまだ寝ている暗いうちから林の中で精神の統一をはかり瞑想修行に励んでいました。その甲斐あって、六種類の神通力を身につけたのです。その力とは、神足通(あらゆる場所に自由に行ける能力)、天眼通(未来を見通す能力)、天耳通(すべての音を聞き分ける能力)、他心通(他人の心の中を知る能力)、宿命通(過去世の状態を知る能力)、漏尽通(すべての煩悩を滅し再びこの世に生まれ変わらないという仏の真理を悟る能力)で、六神通と言われるものでした。遊女を苦しみから救うことができたのは、この六神通のお蔭です。
その朝の瞑想は、いつになく深いものでした。五感が研ぎ澄まされ、次第に身体の感覚が無くなり、意識はまるで深海に潜っていくようでした。
やがて意識の彼方に何かを見つけました。温かで懐かしいもの。意識を向けた目連の前にあらわれたのは優しく微笑む亡き母でした。しかし、近づくにつれ優しい母は、腰は曲り、歯は抜け落ち、髪の毛はまばらに、目だけが異様にギラギラと血走った地獄の鬼と化したのです。「腹が減った。食べ物をおくれ」骨と皮だけの手を目連に差し伸べる母。すぐさま目連は、神通力で椀に山盛りに白飯を差し出します。「おぉ、飯だ飯だ」目連の手から奪い取るように母は白飯を口に入れようとしたその途端、真っ赤に燃え上がり母の顔を焼いたのです。「ぐげげ、があぁぁぁ。」顔を押えてのた打ち回る母を呆然と見つめる目連。
しばらくすると「喉が焼ける。飲み物をおくれ」身の毛もよだつようなおぞましい声で母は目連に向かって手を差し出すのです。またもや神通力で、水を入れた椀を差し出します。奪い取るようにして母はその水を口に入れようとするのですが、今度はその水が火と化し母の口の中を焼いたのです。「ごぼぼぼ」と火となった水を吐き出す母。「あぁ、私の神通力では母は救えない」瞑想から目覚めた目連は、溢れる涙をぬぐうことも忘れお釈迦さまのもとへと向かいました。
目連の話を聞いたお釈迦さまは
「お前の母は、生前多くの罪を重ねながら反省することもなく生きてきた。生きものを平気で殺し、言葉で他人を傷つけ、自分に徳になる事ばかり考え、困っている他人を助けることもなく、財産を独り占めにして自分だけの幸せを考えていた。その業の報いで母は地獄に落ちることになったのだ。そんな罪深い母を救うには、到底お前ひとりの力では及ばない。」
目連は、地獄に堕ちた母をどうしたら救えるのかとお釈迦さまに尋ねました。「もうすぐ雨安居が終わる。最後の七月十五日の日は修行者たちの懺悔の聖日である。この日に修行を終えた清僧をすべて招いて、たくさんの食べ物や飲み物を供養し、地獄に堕ちた母のために功徳を捧げ祈るのだ。目連よ、お前の清浄な行いによって必ずや母は救われるであろう。そして、この儀式はお前の母だけではなく、すべての人の親たち、さらには七代前のご先祖までをも救うことになるに違いない。」とお釈迦さは救済方法を目連に伝授されたのです。
そして目連は、七月十五日に修行が終わった僧侶を集め、多くの食べ物飲み物をお供えし、法要を行いその功徳によって母を地獄の苦しみから救い出したのです。
3 自分の業
地獄に堕ちた母を救った目連の噂は、街の人々にも伝わりました。当然、師匠であるお釈迦さまの名声も高まり、舎衛城の街はお釈迦さまに帰依する者が増えていきました。
面白くないのはジャイナ教をはじめとする異教徒たちです。「くそ!目連のお蔭で弟子たちが皆、奴のところに行ってしまった。憎き目連。あいつさえいなければ」仏教以外の異教徒(外道)たちの目連に対する憎悪は次第に高まり、ついに目連は命を狙われることになりました。
ある日のことです。目連が家にいると、手にこん棒を持った外道たちがやってきました。「目連を殺せ、目連を殺せ」呪文のように口ずさみながら目連の頭にこん棒を振りかざしました。間一髪でその一撃をかわした目連は、神通力で鍵穴から抜け出し難を逃れました。しかし、外道たちの攻撃は治まりません。暴徒化した外道たちに度々命を狙われるようになりました。「こんなに命を狙われるには何か訳があるに違いない」そう考えた目連は神通力で自分の前世を調べてみると、遠い過去世で親を殺した罪があることが分かったのです。自分の業の深さを知った目連は、もう逃げることを止めました。そして、舎衛城の街に托鉢の修行に出たときの事です。異教徒は暴漢を雇い、托鉢中の目連を襲いました。目連の体は、こん棒や岩などで激しく打ちたたかれ、肉が裂け骨は打ち砕かれました。瀕死の状態で祇園精舎に運ばれた目連に真っ先に駆け寄ったのは盟友の舎利弗でした。「なぜ、何故なんだ目連。神通力第一と言われるほどの力を持っているのに、どうして彼らの襲撃を避けなかったのだ。」
「あぁ、良いのだ舎利弗。これも私の業なのだ。前世における悪業の報いなのだ。これで私は涅槃に入ることができる。」
目連の死を嘆き悲しむ弟子たちに向かい、お釈迦さまは「この世に永遠に変化しないものなどない」と無常の真理をお説きになったのです。目連は自分の死をもって、修行者たちに業の深さとその恐ろしさを伝えました。過去の業が今生の苦しみを生む。だからこそ、今生で悪業を消滅させ、来世に向かい善業を積み生きていくことを教えたのです。
日蓮宗東京都西部教化センター「いのちに合唱」より
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?