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十大弟子ものがたり|富楼那 ーフルナ

船長(キャプテン)

いつもなら静かな昼下がりの港町。酒場の前に、老人が倒れていて大騒ぎ。「おい海賊!こんな年寄り殴るなんてひどいじゃないか」老人をかばうように少年が海賊をにらんでいます。「人が気持ちよく酒を飲もうとしたら、そのくそオヤジが海賊には酒は出せねえっていうからよ、ちょっと口の利き方を教えてやったんだよ」と言うといきなり少年を蹴飛ばしました。「小僧、海賊なめんなよ」海賊が少年を踏みつけようとしたとき「なんだ最近の海賊も随分落ちぶれたもんだな」と前に出てきた男がいました。「海賊が子供と老人相手に暴れるなんて情けねぇ」というと、いきなり海賊の顔面に拳を叩き込み「いいか海賊。どんな理由があろうとも俺は友達を傷つける奴は許さない」男は海賊を蹴り上げ「とっとと失せろ」というと子分たちは、すごすごと親分を連れて消えていきました。少年は「フルナ兄ちゃんありがとう」と泣きながらお礼を言うと「おれ、フルナ兄ちゃんみたいな船乗りになりたい。今すぐ船に乗せてくれ」男はニッコリ笑い「そうか船乗りになりたいか。じゃ、早く大人になるんだな。そうしたら考えてもいい」「本当かい!」「ああ、約束だ」
 

船長(キャプテン)フルナ。人々からは勇者フルナと呼ばれておりました。彼の出身は、インドの西海岸。海洋貿易を生業とする大商人の子どもでした。長者の父が亡くなったとき、他の兄弟とは母親が異なっていることを理由に、絶縁を言い渡され無一文で家を出されてしまいました。しかし、父親譲りの商才があったのか、たまたま薪売りから手に入れた高価な香木を元手に海洋貿易をはじめたら、これが大当たり。自ら船長となり、高価な宝石や貴重な食材など手広く商う西海岸一の長者になったのです。このあたりの海域は無法地帯と言われ、ガラの悪い海賊たちが幅を利かせておりましたが、その海賊たちからも一目置かれるほど、人望に厚く、腕っぷしも強く、そのためか、多くの商人が彼の船に乗ることを望んだのでした。

希望と出会い

あるとき、北インドのコーサラ国の首都、舎衛城(しゃえいじょう)に住む商人がフルナの元にやってきました。「勇者フルナ船長。あなたの名声を聴き、私たちは命がけでここまでやって来ました。インドでは手に入らない医学の知識や薬草を手に入れ、沢山の人を救いたいのです。ぜひ私たちをバビロンまで運んでいただけないでしょうか」当時バビロンに行くなど、貿易商でも夢のまた夢でした。荒れた海を渡り、海賊が蔓延る中の航海です。おいそれと簡単に請け負える話ではありません。しかし、彼らの並々ならぬ熱意を受け止め、フルナは商人の願いを受け入れました。

その航海中、商人たちは、一心に詩のようなものを唱えていました。『この世に生まれてくることや、やがて誰もが死を迎えることを、全く考えないで百年も長生きするよりも、生死を理解して一日生きる方がよっぽど尊い』その言葉は不思議にフルナの心に深く響きました。

フルナが、何を唱えているのかと尋ねると、商人はお釈迦さまの教えだと言いました。お釈迦さまという名前をフルナは聞いたことがありませんでした。修行をして、最高の真理を手に入れ悟りを得た方だという商人の説明に、フルナは興味を持ちました。「お釈迦さまは、この世は苦しみに満ちているけど、その苦しみを救う教えがあり、自分自身で乗り越えることができるとおっしゃっています」それは本当のことなのか。苦しみを乗り越える教えとはどんな教えなのか。「もう少し、そのお釈迦さまという人の言葉を聞かせてくれないか」

その日から、フルナはお釈迦さまの言葉を商人たちと唱えるようになりました。『どんな悪戯も行わず、出来る限り善い行いを心掛け、自分の心を清らかに保ち穏やかに生きること。これが真理である』お釈迦さまは、私の心が見えているのではないかとフルナは思うほどでした。
 

冒険の夜明け

インド西海岸の港町の中でも一番腕がいいと言われた船大工は、キャプテンフルナの船を見て「もうこの船はだめだ。長旅で、船の最も重要な竜骨が折れている。いやー、よくこの状態でバビロンから生きて帰ってきたな」船大工は、呆れた顔でフルナを見ました。フルナは船大工の腕を見込んで、誰も見たことがない大きな船を造ってほしいと頼みました。「えっ!この倍の大きさの船だって。この船だってこのあたりじゃ一番大きい船だぜ」フルナは、もっと大きな船で、もっと多くの人と荷物を運搬することができれば、もっと街が栄え、人々が潤い、恩恵を受けて豊かに幸せに暮らせるに違いないと考えていました。人を幸せにするために大きな船が必要だと、フルナは熱く語りました。船大工は「よし!わかった。俺が世界一大きな船を作ってやるよ。だが、そのためには少し時間がかかるぜ。5年いや8年はかかるな」8年かぁ、フルナは水平線の向こうに未来を見つめていました。

「ということで、みんなとはいったん解散することになった」乗組員たちに「もう一度、俺と一緒に船に乗ってもいいと思う者は、8年後の今日この日に、この港に来てくれ。世界一の大きな船を用意しておく。ここにいる皆は俺の仲間だ」別れの晩餐は涙と笑いで大きく盛り上がりました。

次の日、話があると、フルナのもとに舎衛城の商人たちがやってきました。その話とは、バビロンで手に入れた品々と私たちをコーサラ国まで届けてほしいという願いでした。この港町からコーサラ国の舎衛城へは、遠い陸路の旅になり、途中には盗賊がたくさんいます。フルナは、もしコーサラ国へ行ったら釈迦さまに会えるかもしれないと考え、お釈迦さまを紹介してくれることを約束に、仕事を引き受けました。
 

タイヨウへと続く道

フルナと商人たちは、数々の苦難や危機を乗り越え、何とか無事に舎衛城までたどり着きました。フルナは、商人から紹介されたスダッタ長者のもとを訪れ、お釈迦さまに直接お会いして、教えを受けたいので、ご紹介していただきたいと願い出ました。「それはお釈迦さまもきっとお喜びになるに違いない」といってすぐに二人で祇園精舎に向かいました。

祇園精舎には、多くの出家した僧侶が森の中で思い思いに瞑想修行をおこなっていました。フルナは、静かな森を歩いているだけで心が落ち着いていくのを感じました。そして、生まれてから今日までのことを考えていました。苦しみを乗り越え、富と名声を手に入れても、なお満たされない心。常に暴力と嘘と喧騒に満ちた毎日。そして両親や兄弟を恨んだこと。お釈迦さまに会ったら、何かが変わる。そんな確信をフルナは持っていました。

やがて森の奥深く、大きな樹の元に太陽の光が当たって輝いていました。スダッタ長者は「あそこにいるお方がお釈迦さまです」と教えてくれました。その人は太陽の光の中にいました。フルナは吸い寄せられるかのように近づいていき、気が付きました。お釈迦さまに太陽の光が当たっているのではありません。お釈迦さま自身が太陽のように光り輝いているのです。フルナは無意識に手を合わせ跪きました。「もう苦しむことはない」お釈迦さまの声です。「知識があるものが賢者ではない。静かな心を持ち、恨む心もなく、恐れることもない者こそが賢者である。その賢者への道を私が説こう。この道を行くものは悪魔の誘いを振り切り真の自由を手に入れるであろう」すべての言葉が、フルナの心の中へと落ちていきました。「私はこの方にお会いするために生きてきた」フルナは、その場で出家を願い出ました。

帰ろう

フルナはひたすら修行に励みました。やがて、修行で得たことや、お釈迦さまから教わったことを、他の人にもわかりやすく説くことができるようになり、人々は彼のことを説法第一と呼ぶようになりました。

お釈迦さまの弟子になってから八年。ある日、フルナはお釈迦さまのもとを訪れ「偉大なるお釈迦さま。私は故郷の港町に帰って、そこでお釈迦さまの教えを説きたいと考えております」と願い出ました。彼の故郷は、人々の気性も激しく、戦や争いが絶えず、海賊強盗人殺しなど、荒くれが集まるすさんだ街です。お釈迦さまは「そこは、かなり治安の悪い所だと聞いている。もしも、君のことを、ののしる者がいたらどうする」「お釈迦さま、もしそんなことがあったら、私は、殴ったり蹴ったりしないだけ、この人たちはいい人なんだと考えます」「では、彼らが殴り掛かってきたらどうする」「その時は、石を投げてこないだけ、いい人だと考えます」「では、彼らが石を投げてきたらどうする」「その時は、杖で叩かないだけ、いい人だと考えます。」「では、彼らが杖で叩いてきたらどうする」「その時は、刀で切り殺されないだけいい人だと考えます。」「では、彼らが刀で切り殺ろそうとしたらどうする」「その時は、私の命を絶ち、この世の苦しみや悩みを解放してくれたいい人だと、そう考えます。」フルナの答えを聞いたお釈迦さまは、大きくうなずき「フルナよ、それだけの覚悟があるのなら、どこに行こうと大丈夫だろう。自ら願うところに行き、教えを広めなさい」

フルナはお釈迦さまの御足に自らの額をつけ礼拝しました。そして、次の日の早朝、祇園精舎から故郷に向けて旅立ちました。
 

受け継がれる意志

「どうですかキャプテン、じゃなかったフルナ尊者さま。世界一大きな船だ。これならバビロンどころか、もっと遠くの国まで行くことができますよ。しかし、お坊さんになっちゃうとは思わなかったなぁ。どうしましょうかこの船」と船大工は言った。フルナが舎衛城に出発する前に頼んでおいた船である。船を見上げているフルナのもとに駆け込んできた青年がいた。

「キャプテン、大人になったら一緒の船に乗せてくれるって約束したよね。俺、他の船の下働きをして、ずっとキャプテンが帰ってくるのを待っていたんだ。体も鍛えた、船のこともいっぱい学んだ。だから俺を仲間にしてくれ」昔、街で出会った少年でした。フルナは彼のことをよく覚えていました。「そうかい、頑張ったな。それじゃ、この船を君にあげよう。この船でたくさんの人を幸せにするんだよ」青年は驚いて言葉も出ません。船大工は「確かに彼はこの港で、一番真面目で働き者の船乗りです。でもいいんですか、フルナ尊者さま。本当にこの大きな船をあげてしまっても」「ああ、いいんだよ。私はお釈迦さまに出会って、もっともっと大きな船を手に入れたんだ。その船に皆を乗せて向こうの岸に渡ろうと思っているんだ」「向こうの岸って、どこです?バビロンですか」「いいや、悟りの浄土さ」

約束通り、八年後にフルナは港町に帰ってきました。帰りを待っていた船乗りたちは、フルナの説法を聴き、その場で弟子になったものも多くいました。それからフルナは、その港町を中心に布教活動に励み五百人の弟子を得ました。しかし、一年後、残念なことに仲間と弟子たちに看取られ、彼はその地で亡くなりました。「仲間になってくれてありがとう」最後の言葉を残し、ひとり先に彼の岸へ出航していきました。

フルナ的生き方

フルナの生い立ちについてはバラモンの子として生まれたという説もあります。いずれにしても、説法第一と言われるフルナは、お釈迦さまから「耐え忍ぶ心」を学びました。怒りは、他人を傷つけ、自分自身も傷つける苦悩でしかありません。怒りで解決することはなにもありません。優しい慈悲の心だけが悪に勝つのだと、お釈迦さまはお説きになりました。その教えを守ったフルナのように、私たちも耐え忍ぶ心を持って生きていきたいものです。


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