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コロナに対してできる、唯一のこと

考えられる準備は実行済み

老人ホームの管理者として、新型コロナウィルスに対しできる準備はしてきたつもりだ。

まずは、ハイリスクの高齢者の生活の場にウィルスが持ち込まれないようにする対策。それも、生活の質(QOL)と感染リスクを常に天秤にかけながら迅速かつ慎重にしているつもりだ。

緊急事態宣言が出てからは、生活している高齢者、スタッフどちらかに感染者が出た場合の一歩手前のレベルまで、感染リスク排除に比重をおいた対策をとっている。

それでも感染者が出てしまった場合には…。もちろんその時の想定もしている。想定はしているが、それは非常事態の特別体制であり、官民関係なく様々な機関からの応援が入るまでの暫定体制である。自力のみでクロージングできるなんて甘い考えは全くもっていない。


鬱の一歩手前?

準備万端、来るなら来いと強気に構えてみたいところだが、ウィルスの全容が掴めないうえに、命に関わることなので心配は尽きない。

まだ、何かやるべきことがあるのではないか。本当にこの対策で十分なのだろうかと、日々不安でしかたない。


とうとう今朝は、自らが感染する夢をみた。

休日に、家にいても心身とも休まらない。

それでいて何もする気がしない。

仕事中も、暮らしている高齢者やスタッフに、こんな風に接していて良いのだろうかと躊躇することがある。


そして、こんな思いが湧いてくる。

新型コロナウィルスを前に、僕にできることなんてあるのだろうか……。


結局、家にいるときにはずっとスマホでYouTubeかゲームかコロナのニュース。本を読む気すらしない。

これは、コロナ鬱の前兆!?

自分でもヤバいという感覚があり、余計に焦る。


少しくらいは自分のこと、何とかしようと

気分転換に掃除をしてみる

太陽に当たってみる

人のいなそうな場所へ、少しだけ出かけてみる

残念ながら、僕には全て効果なし。心配はますます僕の心をぐっと押し込んでくる。


相手を知る

心配という敵を知るために、僕の中の漠然とした心配を具体的に描いてみた。

・ホームで暮らす高齢者が感染すること

・ホーム内で感染が拡大すること。クラスター

・家族やスタッフが感染すること

・感染した人が命を落とすこと

・自分が感染し、誰かに感染させること


ミッション

僕たちが目指しているホームは、「自分の望む生き方を追求しながら生ききれる暮らしの場」だ。

もちろん、誰しも何もかもを自分の思い通りに生きられる訳ではない。しかし、加齢や心身機能の低下、認知症を理由に、望む生き方を諦めなければいけないという環境は、適切なケアによって変えられると僕は信じており、その実現に向け、日々研鑽を重ねている。

僕が働いているホームで生活している人の平均年齢は89歳。1年間で全体の約15%の人が天寿を全うし、お旅立ちになる。

最期まで望む生き方を追求し続けてもらうためには、当然、お看取りまでご一緒させていただく。従って、その人に対するサービスは、その人の死をもって終了となるケースがほとんどだ。


「死なない」は目標にならない

僕たちの目標は、どう生ききってもらえるかであって、死なないではない。

もし、死なないが目標だとしたら、僕らの目標達成率は永遠に0%である。

大切なのは、本人がどう生き切りたいか、どう死を迎えたいかであり、その望みにどれだけ近づけられるかに、僕たちのプロとしての専門性がかかっている。そのためにリスクマネジメントもしっかり行い、望まない事故や病気を防ぐ取り組みを行うのだ。

しかし、どんなにリスクマネジメントをしたとしても、命の長さは僕たちが完全に掌握できるものではない。従って、僕たちのおかげで長生きした、もしくはその逆になったと考えるのは、些か自分の力を大きく見すぎているのではないかと思う。


心配と対峙する

では、今の僕の心配ごとは、どうしたら解消できるのだろうか。一つ一つ検証する。


・ホームで暮らす高齢者が感染すること

→完全な防止策はない。外出を制限しても、外からウィルスが侵入したら感染の可能性はある。外からの侵入で一番確率が高いのは僕を含めたスタッフ。症状がなくても感染していたり、感染させてしまったりする可能性があるからだ。しかし、適切なケアを提供し、生活を支えるためには、スタッフの出入りを一切ストップすることはできない。(一部ではスタッフが一定期間泊まり込む施設もあるようだが、長期にわたり継続することは難しいだろう)


・ホーム内で感染が拡大すること。クラスター

→完全な防止策はない。防護服や消毒、隔離など考えられる限りの対策は実施する。しかし、日本そして世界を見渡しても、病院や介護施設といった、最も感染対応を熟知してるであろう場所で、最も多くクラスターが発生している。それだけ抵抗力の落ちた人への感染を防ぐことは難しいということだ。


・家族やスタッフが感染すること

→完全な防止策はない。家族やスタッフに対し、健康チェックや感染防止のための行動を促すことはできる。しかし、それぞれに自分の生活がある。どうしても外部と接触しなければならない機会もあるだろうし、ほんの一回の気の緩みで感染する可能性だって大いにある。


・感染した人が命を落とすこと

→僕が心配する中でも最悪のケース。早期の対処まではできたとしても、命が助かる助からないは、僕の力の遠く及ばぬ領域である。


・自分が感染し、誰かに感染させること

→他人との社会的距離を保ち、自分が感染しないようにする。手洗いを励行し、体内への侵入を防ぐ。ウィルスは見えないけれど、自分の身を守れるのは自分しかいない。とにかく自分だけは感染しないように気をつけること。これはできる!


「僕にできることなんて、あるのだろうか」の答え

ある。たった一つだけ。

それは、

自分の身を自分で守ること


施設長だろうが、何だろうが、

僕が完全にできるのは、結局自分を守ることだけなのだ。


「みんなを感染や死から守らなければならない」という心配は、自分の影響の範囲を誇大妄想した思い上がりだった。

確かに、予防策を講じたり、注意喚起したりはできる。しかし、所詮そこまでだ。僕が他者を感染から守り切ることは、できないのだ。

結局みんな、最終的には自分で自分を守るしかない。


こうしてみると、5つの心配のうち4つは、僕の影響の及ぶ範囲ではなかった。

つまり僕は、どれだけ心配しようとも解決できないことについて心配していたというわけだ。

もちろん他者の感染についても、投げ出したりはしない。僕にできる最大限のことはする。僕が守れる範囲で全力で守る。

それでも、完全に可能性を排除することはできない、と認めざるを得ない。


感染拡大を止める唯一の方法

とにかく自分自身を感染から守ること。

すぐ近くにある感染リスクに対し、自分の身を守る行動を徹底する。


世界的な流行につき、どうしても「数」に注目してしまうが、シンプルに考えると、結局一人一人が自分の身さえ守りきれば、感染の拡大は止まる。

自分が罹らなければ、他人にうつすこともない。

もし1人の感染者から3人にうつるならば、僕が罹らないことで、僕を含めて新たな感染者を4人減らすことができる。

だから、他人にさえうつさなければ、自分は罹っても仕方ないという考えは捨てよう。


医療従事者など、すぐ目の前に感染のリスクがある人たちも、自分の身を守るために懸命な努力をしている。それでも感染してしまう。自分を守ることは、それくらい難しく、手強いのだ。

それでも使命感から、現場に立ってくれている人たちには感謝が尽きない。

僕と同じように、ハイリスクの人たちの近くで働き続けている人たちのプレッシャーも容易に想像できる。結構きついよね。本当にありがとう。がんばろうね。


心配や不安を抱えている人。

閉塞感の中で心が鬱々としている人。

まずは自分を守ろう。

他人のことは守れなくてもいいから、自分だけは必死に守ろう。


僕は、決めた。

とにかく手を洗う。うがいする。

いま接触する必要のない人や物や空間との接触を避ける。

家族や全幅の信頼を寄せている職場のスタッフ、そして仲間たちと支えあいながら、心の健康を保つ。


今は、自分の守りを固めたうえで、大切な人たちの支えになる。


立崎 直樹






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