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heとかsheは問題あり? じゃあ何ていうの?

ジェンダー的視点から、最近、アメリカでは女性を指す三人称代名詞「she」、男性を指す「he」の使用が問題視されている、、、とか。シカゴに住むアメリカ人の友人が言っていました。

えっ、、、!!! じゃあ、なんて言えばいいのかな。ジェンダー的な視点にそれほど疎くはないと思っていましたが、これは予想外の論点でした。が、まあ、わかる気はします。ただ、、、翻訳者の視点から見ると、またメンドウな問題が発生、という風にも感じられます。

日本でも最近のアンケートや登録の際、性別の欄が「男」「女」以外に、「どちらでもない」あるいは「いいたくない」という項目があったような。あるいは性別欄がないとか? もちろん堂々「必須」になっているものもありますが。「男」「女」にチェックを入れないと先に進めないなど。わたし自身は選択肢がある場合は、男女以外(どちらでもない、など)にチェックを入れるようにしています。

sheやheが問題、つまり男だの女だのいちいち区別(差別)するのはよくない、どちらとも言えない人、言いたくない人もいるときに、それ以上にどうしても分けなくちゃいけない理由があるのか、ということでしょう。100年前の日本人が聞いたらびっくりというか、言っている意味がわからないかもしれませんが。

she、heがだめだとして、では何を使うのか。三人称単数の代名詞といえば、it が思い浮かびます。it ? 昔『Itと呼ばれた子』というノンフィクションがありました。ヒトじゃなくて動物などと同じようにit と呼ばれて虐待されていた子どもの話だったと思います。人間に対して it というのはイメージが悪いかもしれません。逆に動物の場合、ペットであればsheとかheとか普通に使ってて、その方が愛情深く家族の一員という感じがするのではないでしょうか。家族同然の大事なペットの猫を it と指しているか。ない気がします。

it でなければ何が代用になるのか。あるいは造語するか。ひとつの答えとしてtheyというのがあるようです。普通 they は三人称複数に使う代名詞ですが、人だけじゃなくてモノにも使えますし、それを三人称単数の場合にも使うということらしいです。

Alison is a nice person, really generous and thoughtful, so I like them very much.
とか
Benjamin came back early this morning, and they told me they were so tired.
と言うのでしょうか。
they が三人称単数も表すという認識が充分あれば、意味を汲み取れますが、それがないと少々混乱しますよね。このthemってだれ? だれが疲れてるって言ったの? というように。

英語の中で使われる人称代名詞は、元々ときに混乱を招きます。男性が二人いて、最初は名前で書かれているけれど、同じ段落内で he とか his、himが多用されると、どっちの人?ということになります。コンテクストから読みとるしかありません。日本語の書法にはあまりないですが、英語だと最初名前で示されて、同じ段落内ではthe professor(職業などの属性)とかthe youngster、the accusedなどその人間を表す様々な言葉で対象になる人を指し示すことも多いです。(翻訳の際は、日本語になりにくいです)

they ではなく、新たに設定されたニュートラルな(あるいは包括的な)ジェンダー表現というのも、アメリカでは考案されているようです。

これが通じるようになって、普通にコミュケーション言語として流通するには、時間がかかるかもしれません。ただ、多くの人の意識の中で、男、女を区別する境界線がうす〜くなっていった果てには、あまり問題にはならなくなることも考えられます。作家の多和田葉子さんが、以前に「言葉は穴だらけ」と言っていましたが、ある言語の中で欠けている言葉(原語に対する訳語がない)というのは結構あって、それはそのことに対して意識があまりないからと思われます。

たとえば日本語には兄、弟、姉、妹、という言葉あります。それは男と女を分けるのと同様に、どっちが上かということが大事だと考えられているからです。英語には兄弟姉妹間の上下関係を示す言葉は単体ではありません。この話をアメリカの友人にしたとき、その人はすぐにはこちらの言っている意味が汲み取れないようでした。

翻訳をする際、ただhis brotherとかher brotherと書かれても、日本語にするときに「兄」なのか「弟」なのかわからないから困る。あなたは小説を読んでいるときに、どっちが兄か、妹か、気にならないのか、と聞いてみました。彼の答えは、もしそれが小説的に重要な意味をもつなら、本の最初の方に書いてあるのでは?というもの。確かに言葉としてはyounger brother、elder brotherなどの表現はあります。書いてないのは、たいして重要じゃないから、作家にとってどちらでもよいということなのか。

さらに言えば、英語の場合、siblingという男女上下関係のない兄弟関係を表す言葉もあります。これに対応する日本語はありません。いわば言葉の穴です。こういう場合(her sibling ...など)、他に参照できる情報が何もない場合、日本語訳では、「ええいっ、弟にしとけ」とするしかありません。
*「兄弟」ではなく、「きょうだい」とすればsiblingと同等の意味を表せると英辞郎ではしていますが、そうでしょうか。。。manが男ではなく、人間を表しているとするのと同じような意味ではそうかもしれません。

アメリカの友人には日本語では上下関係を示すことが重要なので、兄なのか弟なのかわからないと訳すのに困るし、読者も安心して読んでいられない、と話しましたが、反応はふ〜ん、アメリカではあまり気にしない、みたいな感じでした。

兄なのか弟なのか言葉によって区別をつけたいという日本人と、男か女かの言葉上の区別(she、he)はつけるべきと考えるアメリカ人の心理(生物学上の区分だから、などの理由で)は、少し似ている気がします。

ところで最初のところで、アンケートなどで選択肢がある場合、男・女のところにチェックを入れないと書きました。これはジェンダー的な視点からということ以外にも理由があります。そのデータがマーケティング的なことに使用される可能性がある場合を考えると、自分は女ではあるけれど趣味嗜好はどちらかというと男に近いとか、自分は男だが女性的な感性が強く、女性向けの商品に関心があるなど、そういう人のもつ多様性が無視されて、大雑把に男か女かを知りたがるのは何故か、おかしいんじゃないか、と思うわけです。女はこう、男はこう、というステレオタイプにはめたがる傾向は、日本ではけっこう強いかなと思います。

属性というのはある意味、人を区分けするのに便利な道具かもしれず、男か女か、年齢層はどこか、会社員か学生か、といったことでその人がどういう人かを判断しようとします。でも一旦就職した後に、何年かして大学に行く人もいて(日本では少ないですが)、年齢層と身分(学生か会社員かなど)が想定内に収まらないこともあります。日本では大学生と言えば、18歳からせいぜい20代前半と思われていますが、そこには本質的な根拠は特にありません。単なる慣習ですね。どちらかと言うと、人の自由な思考を邪魔する慣習だと思います。

と、このように考えてくると、男と女の人称代名詞を分けないというのは、社会をよくする方向に働く可能性があるのでしょうか。アメリカ人が兄弟姉妹の上下関係を気にしないからそれを特定する言葉がないように、男と女、どちらでもいい、気にしない、と多くの人が思うようになったら、男女を特定しない代名詞がふつうに使われるようになるのかもしれません。

ただ日本のことを考えると、兄、弟、姉、妹、という言葉がなくなるのは遠い未来かもしれません。現在、国内でこの上下関係に対する疑問があるわけでもなく、近い将来起きるかどうかも不明。いやー、これ、あっちゃダメ??? っていう人もきっといますよね。兄と弟、いいじゃないですか、なんで上下で分けちゃいけないの?と。むしろ大事にされている言葉かも。

he、sheに関しては、「彼」「彼女」という訳語が文学の中で使われるようになったのが、確か明治〜大正時代。いまは普通に文章でも会話でも使われているけれど、ただ、どこかもう一つ収まりが悪い気はします。ガールフレンドのことを「カノジョ」と言ったり、以前のボーイフレンドを「元カレ」と言うのは日本語として収まっているけれど、それ以外の彼、彼女は、どこか訳語っぽい響きがあるように思います。

翻訳をする際、sheとかhisと出てきて「彼女は」とか「彼の」と自動的に訳すことは、わたしの場合あまりありません。「彼女の望みは、、、」「彼から知らされて、、、」「彼女と彼が出会ったとき、、、」のように彼、彼女が何度も発せられると、どこかよそよそしい、翻訳くさい文章になります。なのでたまに彼女、彼を使いながらも、別の言葉に(名前を再度つかったり、hisを「その人の」とかtheyを「島の人たちは」「クラスの人たちは」のように)置き換えます。

なぜ心理的に「彼」「彼女」と距離があるのか、おそらく日本語の世界では、他者をそこまで対照化する心理が働きにくいからではないかと。その意味では、we=わたしたち、you=あなた、またはあなたたち、も同じようでいて日本語と英語では同じではないのかもしれません。日本語であなた、と言えば、目の前にいるその人を指していますが、英語でyouと言ったときは、それ以外に一般論としての「人」を指している場合もあるからです。またわたしたち、と日本語で言うときの範囲はある程度限定されていると思いますが、英語でweと言った場合、どういう範囲を指すのかは、コンテクストによってはかなり広いものになります。

もしheとかsheが英語の世界で使われにくくなったら、日本語の世界では何が起きるでしょうか。彼、彼女、という言葉が同様に使いにくくなるでしょうか。それとも英語とは無関係に、日本語の世界で彼と彼女は残っていくのか。新しい言いまわしや造語は、日本人の生活や感覚にフィットしていればあっという間に広がり、使われるようになります。ただ兄、弟、姉、妹といった上下関係を表す言葉、彼、彼女、といったジェンダー・ニュートラルではない言葉が、違う言葉に置き換えられることは簡単ではないかもしれません。それは単なる表現ではなく、日本人の歴史や慣習、心理や思想と深く結びついたものだからです。


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