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[文章] ガブリエル・フォーレの歌曲:La Revue musicale(1920年10月)より抜粋

音楽も生き方もエキセントリックだったフランスの作曲家、モーリス・ラヴェル。友人や家族に宛てた手紙、他の作曲家についてのコメント、レクチャーやインタビューなどシリーズで紹介します。
ファンタジー小説、評伝、ラヴェル本人の残したものの3部門で構成されるプロジェクト「モーリスとラヴェル」の中のコンテンツです。

ガブリエル・フォーレ(1845〜1924年)の重要性は、彼の歌曲を研究しないことにはわかりません。フォーレの歌曲は、かつてリート(ドイツ歌曲)が持っていた支配権をフランス音楽にもたらしました。

ドイツ・オーストリアの歌曲は、基本的に民謡です。シューベルトの素晴らしいリートの真の源泉は、学生たちが歌うメロディの中に見つけられます。フランスでは、民謡は地方の歌を起源にしているのではなく、いわば、表面的にクラシックのレパートリーに取り入れられたものです。いずれにせよ、フランスの民謡は、リートに影響をまったく与えてはいません。

*清水祐美子氏の論文によると:「(フランスは)19世紀に民族運動を経て国民国家形成に至った国々(東欧諸国など)とは異なる例外的な存在と位置づけられてきた。例えば民俗学者ブロンベルジェの1996年の論文では、スコットランドやドイツなどの欧州他地域とフランスとを比較すると、19世紀フランスでは民謡などの収集に対する関心が乏しかったと述べている。」
ただし清水氏は「この見解には批判の余地がある」としている。

フランス・フランドル地方における民謡収集とアイデンティティの形成ーー地域と国家との間で(フランス国立社会科学高等研究員博士過程・清水祐美子)

 フランスにおける歌曲の真の創始者は、シャルル・グノー(1818ー1893年)でした。歌曲『ヴェニス』、オペラ『フィレモンとボーシス』、オペラ『サッフォー』の中の「羊飼いの歌」の作曲者グノーは、17、18世紀のクラブサン音楽にあった「ハーモニーの審美性」の秘密を再発見した人物です。実際のところ、1880年ごろにフランスで起きた音楽のルネッサンスにおいて、グノー以外の先駆者はいないと言っていいでしょう。1895年世代の真の生みの親は、ガブリエル・フォーレとエマニュエル・シャブリエ(1841ー1941年)で、両者はグノーの仕事を引き継ぎました。それに続いて、ビゼー、ラロ、サン=サーンス、マネス、そしてクロード・ドビュッシーがいます。このすべてが多かれ少なかれ、グノーの恩恵を被っています。

サン=サーンス(1835−1921年)の元で学んだフォーレは、師が重視する形式への尊重より、グノー風の色彩の方に強く惹きつけられたように見えます。フォーレの歌には、サン=サーンスが生み出した真に新しいテクニック、ごく短い曲にも見られるような構造の追求といったものはほとんど見られません。フォーレの作品では、構造が熟考されることはなく、もっと自然発生的です。さらにそれが曲のしなやかさの元になっています。

シャブリエの革新性がフォーレの音楽様式に影響したかもしれない、とある程度言えると思います。この影響は、しかしながら曖昧なもので、実質というより精神におけるものです。アンリ・デュパルク(1848〜1933年)は、見過ごされるべきではない作曲家ですが、彼の歌曲には不完全ながら類いまれな才能が現れており、ときにフォーレの歌曲とも関連づけされます。しかしながら、どの作曲家がどの作曲家に影響を与えたかを特定するのは難しいことです。

フォーレの個性は初期の歌曲により現れています。1865年に書かれた作品7の『夢のあとで』の日付を見て、人は驚くでしょう(20歳のときの作品)。そして次にグノーの影響が喜ばしくも出ている『ネル』が、そして『揺かご』の前奏としての『秋』。成功はなくとも、この著名な歌は、心動かされる深遠な作品です。
『夢のあとで』(歌:Bourcet Gabriel)

『秘密』はフォーレの歌曲の中でも最も美しい「リート」の一つです。この曲では、うっとりさせられるメロディーラインと繊細なハーモニーがうまくマッチしています。曖昧模糊とした、普通ではない和声の解決(協和音への移行)、遠隔調(遠い調性)への転調、予測のつかない道筋による主音への回帰。これらはフォーレが巧みな技量で、ごく初期からつかってきた危険なテクニックの一つです。シャブリエもこれに似たテクニックをつかっていますが、フォーレ、シャブリエどちらにも、それぞれの手法があります。シャブリエはよりくっきりと直接的な形で、フォーレは控えめに品良く。シャブリエがその効果を強調してみせるのに対し、フォーレは尖ったところを削り、さらにその先をいきます。
『秘密』(歌:Paloma Pélissier)

1887年作曲の『月の光』は、フランス音楽すべての中で、最も美しい歌の一つです。多くの音楽家たちがヴェルレーヌの素晴らしい詩に魅了されてきました。その中でフォーレはただ一人、それを音楽に変える方法を知っていました。この名曲は、努力の必要などなく、溢れるひらめきに導かれて書かれたように見えます。詩が差し出すさまざまなイメージを無視し、メロディーは「そして噴水に恍惚の嘆きをもたらす」の1行のみに誘発されて生まれています。(詩の中に登場する)仮装したリュート弾きや踊り手に乱されることなく歌は流れ、その穏やかな流れの連なりは見事です。
『月の光』(歌:Teresa Stich-Randall)

同様の静けさをもつ空気感は、オペラ『ペネロープ』の素晴らしい場面の中でも再現されています。「誇りに満ちた夫ユリス」のところ。「短音階で」のセリフがアルペジオへと流れ、奇妙なやり方でハ長調の和音を縁取り、月の輝く風景に言い尽くせないメランコリーを与えていることにお気づきでしょうか?

作曲家が、歌声が求めるものをあまり考慮しなくなった現在、フォーレの歌は真に声のために書かれているという意味で特異な長所をもっています。彼の歌ものの作曲は、いつも正当であり適切なものです。適正であり、洗練と優美さに溢れるその歌われ方は、彼の同僚たちの作品より、ずっと精緻です。

フォーレの歌の理性に満ちた優美さが、モーツァルトの最も美しいアリアを思い出させるとすれば、その叙情性はシューマンのリートになぞらえることができます。実際のところ、『レクイエム』の中の「イン・パラディスム」を例にとれば、モーツァルトのオペラ『イドメネオ』の第三幕とごく自然に結びつけられます。しかしながらフォーレの官能性は、モーツァルトより南欧人的であり、歌曲『消え去らぬ香り』の作者であるフォーレは、間違いなくアッティカの音楽家であり、概してザルツブルクの巨匠(モーツァルト)と比べて、ギリシア人的なところがありません。

シューマンの音楽は19世紀のドイツの中産階級を反映しています。フォーレはシューマンと比べて、内面的なものを露わにしたり、感情を爆発させることに慎重です。ドイツ人の目には偉大なる抒情をもつ作曲家には見えないかもしれませんが、フォーレはフランス的な叙情を表す芸術家であることは確かです。控えめで過剰な心の叫びには走らず、ノスタルジックでソフトな叙情性は、(特に『秘密』において)いかに人の心を打つか、感情を掻き立てるかの方法を知っています。

ガブリエル・フォーレの手法は、繊細であると同時に個人的なものです。教師として、定型的なことを生徒に要求することはなく、それとは対照的にステレオタイプにならないよう奨励します。彼の際立った個性は、革新的というより繊細なもので、表面的な技巧を嫌い、亜流を評価することがありません。フォーレの全作品において、その素材は独特で、それを真似したり、盗用しようとする者には使いようがありません。フォーレの不思議な手法や技術は、微妙さや穏やかな外見によって、我々を強く惹きつけ、我々を疲れさせることがありません。その思慮深さこそが強さなのです。

フォーレが歌曲において、才能の開花を我々に提供してくれているのは本当のことです。歌における親しみ深い音楽表現は、最もつつましい歌の故郷へと我々を導いてくれます。フォーレの歌は、静かに控えめに、サロン的なものに取って代わっていきます。そして現在の聴衆の好みの方へ、好ましい変化をもたらしています。

本質において、大衆の中では貴族的すぎるフォーレの芸術は、微妙で繊細な刷新と言えます。こういったフォーレの歌曲の大きな影響が、1895年世代の若い作曲家たちに、「最も魅力ある道のり」として受け入れられ、そのことに人は感嘆しています。そしてそれは、フランスの官能性という伝統を大いに回復させ、控えめでありながら雄弁な伝達者として今日に残っています。

(アービー ・オレンシュタイン編 "A Ravel Reader: Correspondence, Articles, Interviews"より/訳:だいこくかずえ)


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