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反論の反論はどのようにすべきか(「おクジラさま」を見て)

反論する、つまり何かに対して反対意見を言うことは、簡単なことではないと思う。さらにある反論に対して、反論を重ねるのはさらに難しいことかもしれない。

『おクジラさま 二つの正義の物語』は、アメリカのドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』への反論としてつくられた映画だ。The Cove(入り江)は、和歌山県太地町のイルカの追い込み漁に反対するルイ・シホヨス監督の作品(2009年)。

制作側の動機

佐々木芽生監督による『おクジラさま』は2017年の公開で、その2年前には八木景子監督による『ビハインド・ザ・コーヴ 〜捕鯨問題の謎に迫る〜』が公開されている。八木監督の作品は見たような記憶はあるけれど、内容をはっきり覚えていないので、今回はそのことには触れないことにする。ただ『ザ・コーヴ』への反論という観点からは、この二つの映画は似た主旨の作品と言っていいかもしれない。

映画制作時の模様をつづった、映画と同名の佐々木さんの著書『おクジラさま』には、ニューヨークの映画館で『ザ・コーヴ』を見て衝撃を受けたときのことが、こう記されている。

何かがたまらなく悲しく、腹立たしく、そして不愉快だ。でも、それが何か、なぜなのか、言葉にできない。

佐々木さんは1987年からニューヨーク在住とのこと。自分の母国がある問題で厳しい非難を受け、その映像作品が映画賞をとることで、聴衆のさらなる賛同を得ているのを目の当たりにすることは、かなり辛いことだったのかもしれないと思う。おそらく日本に住んでいる日本人以上に身にしみたことだろう。

『ザ・コーヴ』を見たときに感じた佐々木さんの「説明のできない腹立たしさ」は、<このテーマをきちんと掘り下げて、海外に向けて発信する>という目的意識へと発展する。そしてそれを実行するには『ザ・コーヴ』と同じ、ドキュメンタリーの手法がよいだろうと考えるに至る。

その際、佐々木さんがポイントとしたのは、海外に向けて、太地町側(及びそれに同調する日本側)からの情報があまりにない(発信されていない)ことだった。だから一方的に言われたままになってしまう。

そのアンバランスなあり様は、『おクジラさま』の映画全編にわたって、ある程度表されていたと思う。たとえば太地町に住みつくことになった、アメリカ人の元通信員ジェイ・アラバスターという人を通して、英語によるSNSでのイルカ漁反対派の発信量の多さに比べて、太地町からの情報量が少ない(全くない)ことを訴えている。

日本の外での反応

海外に発信することが目的であるとされたこの映画が、どの程度海外で見られたのかははっきりしない。英語タイトル『A Whale of A Tale』は、くじらのwhaleとa whale ofというイディオム(とほうもなく大きな、素晴らしい)をかけていると聞いた。しかしGoogleで検索すると、まず出てくるのは同じタイトルの1950年代のアメリカの歌だった。アニメ映画『ファインディング・ニモ』でも使われている歌だそうだ。(すでにあるタイトルを使うのは失敗だったかもしれない。またイルカ漁の話なのに、dolphinではなくwhaleを使ったのも疑問が残る)

英語版Wikipediaでも、A Whale of A Taleはその歌のページのみ。この映画の項目はなかった。

映画『おクジラさま』を見た印象で言うと、海外の聴衆に向けてという視点や姿勢は、制作側が意図したほどには感じられなかった。確かに両者(太地町側と海外からのイルカ漁反対派の活動家)の言葉は、どちらも扱われているが、論点はバラバラのままに見えた。

そこで海外でこの映画がどのように受けとめられているかの詳細を知ろうと、試しに映画のタイトルとメディア名を入れて[ a whale of a tale new york times ]でGoogle検索をかけてみた。するとページトップにレビューが1件出てきた(それ以外は無関係の古い記事ばかりだった)。New York Times、2018年8月16日の記事で、Jeannette Catsoulisという名のこの新聞で常時映画評を書いている人のものだった。

記事のタイトルは「 ‘A Whale of a Tale’ Fights Back Against ‘The Cove’」(ザ・コーヴに反撃する‘A Whale of a Tale’)。ニューヨーク・タイムズにレビューが載ったとなれば、載ったことだけでもその影響力に期待は膨らむかもしれない。が、残念ながらこの記事は、映画『おクジラさま』への批判として書かれているように見えた。

このあたりが日本の映画評とだいぶん違うところだろう。日本の映画評はPRがらみの提灯持ち記事が多く、本来の批評はあまりないので、作品がけなされることもない代わりに、社会への影響力もない。

『ザ・コーヴ』はアカデミー賞をとるなど、(実際の映画の出来不出来は別にして)評判になった映画で、それを標的にした日本映画となれば、ニューヨーク・タイムズが記事として取り上げる意味はあったのだろう。

読んでみたところ、記者のポイントとなる視点は次のようなものだった。

映画『ザ・コーヴ』の主張の柱は、絶滅危惧の問題ではなく、動物の権利の問題なのだ。

Catsoulisという記者がどういう考えや立ち場の人間か知らないが、この指摘はそれなりに納得できると感じた。『ザ・コーヴ』は太地町のイルカ追い込み漁への批判であり、その理由は、漁の主たる目的が水族館への販売だからだ。そのことが動物の権利問題に触れてくることは理解できる。

佐々木さんの映画を含め、日本における『ザ・コーヴ』への反論には、鯨類を食用とすることの是非や捕鯨問題が中心になっていることが多い。しかし『ザ・コーヴ』の主張の中心は、イルカ漁であり、その目的や手法への反対だ。そこを混同しているために、先ほどのニューヨーク・タイムズの記者に、記事の冒頭で、

「不平不満」や「論理のすり替え」をぐだぐだ並べた、とりとめのない映画である。説得力のなさはどこから来るのか。

などと書かれてしまうのだ。

このすれ違いはどこからくるのか。制作者側が当てるべき焦点を見誤ったのではなく、確信犯的な「論理のすり替え」の結果なのか。

欧米社会との歩みの違い

動物の権利問題、あるいは動物福祉(animal walfare)という概念は、日本の社会にはまだ馴染みのないものだ。普通につかわれている言葉としては、動物愛護という表現があるが、動物福祉はその21世紀型の最新バージョンと言ってもいいのかもしれない。この思想のルーツは、オーストラリアの哲学者ピーター・シンガーによって1970年代に書かれた『動物の解放』であると言われている。(日本語にも翻訳されている)

この動物福祉という考え方と現在の世界の趨勢を知らないと、イルカ追い込み漁の真の問題点は理解できないかもしれない。動物福祉には、野生動物だけでなく、豚や鶏など畜産工場(工場型畜産システム)で扱われる家畜の権利問題も含まれている(『動物の解放』の中で、工場畜産の現状を扱った部分は、もっとも読むのが辛い部分である)。イルカやクジラの食用について、「欧米人だって豚や鶏を食べているじゃないか」という反論をよく聞くが、欧米の家畜の扱いに対する問題意識は半世紀前から始まっており、それに伴う法整備も、日本よりかなり進んでいると思われる。(欧米だけでなく、インドや南アフリカも同様)

そう考えていくと、日本では野生動物も家畜も、生きものとしての権利に焦点が当てられる機会が少ないのではないか、という疑問が沸いてくる。動物を「愛する、可愛がる」ということと「権利を考える」ことは、同じではない、微妙に違うことだ。

身近なことを例にとれば、ベットを飼うとき、確かにその動物を愛し、大事に育てはするだろうが、生きものとしての権利を考えたことはあるだろうか?

また牛・豚肉や鶏肉を買うとき、その動物がどのような環境で育てられたか、どういう方法で屠殺されたか、に関心をもつ人は日本では少ないかもしれない。松阪牛などのブランドや「霜降り肉」に関心をもつ人の方がずっと多いはずだ。(この種の牛が、商品価値を高めるために、飼育上大きな負荷をかけられていることは、あまり注目されていない)

たとえ家畜として育てられ、いずれは殺されて食べられる運命にある動物であったとしても、この世に生まれた限り、生きている間はなるべく良い環境の中で、幸せに暮らしてほしい、という考え(動物福祉ではこれを功利主義という)はあってよいと思う。余命短い人間をどのように扱うべきかを考えれば、すぐにわかることだ。どうせ死ぬんだから、、、とは誰も考えないだろう。

こういった動物福祉の考え方を取り入れて飼育や処理が行なわれている家畜は、実際に存在する。テンプル・グランディン博士によるアメリカやカナダの人道的な食肉生産の工場や、イギリスの放牧養豚、エジンバラ大学における畜産動物の研究や教育、また日本でも生活クラブ生協が取り組んでいるアニマルウェルフェアに基づく「平飼いたまご」(開放型鶏舎による採卵養鶏)や豚舎の広さや採光、適切な飼育日数に配慮した養豚、と実例はある。(下の動画は、生活クラブが提携する平田牧場の紹介)

人間と関係をもつ(もたされている)生きものにとっての幸せを考えることは、人類にとっての務めだ、ということを否定するのは難しい。50年前、100年前なら通っていたことも、今の時代では通らない。

動物の権利は守られるべきか

「動物の権利」というものを考えるのであれば、太地町のイルカがどう扱われるべきか、扱われ方に問題はないか、を今一度検証する必要がでてくる。もし佐々木さんの映画が、広く普遍的な、日本人だけでなく地球上の多くの人々と共感しあえるような作品を目指すなら、世界で標準的な思想になりつつある「動物福祉」を避けて通ることはできないだろう。

そのためには『ザ・コーヴ』で批判された主要課題、「水族館に販売するためのイルカ追い込み漁*」について、きちんとした考えを示すことが一番だった。それができなかったことが、『おクジラさま』が、海外で広がりをもてなかった理由の一つと思われる。

現在、水族館やマリンパークに野生イルカの提供をしているのは、世界中で太地町だけと聞いている。他にもイルカ漁をしているところはあるのに、太地町が非難の的になってきたのは、そのためだ。佐々木さんがこの点に目をとめず、太地町が批判にさらされていることを、他の理由に求めようとしているのは不思議だ。

欧米の水族館では、イルカショーやイルカの展示を縮小する方向に動いてきた。イルカショーの大元と言っていいアメリカの水族館も、野生イルカの捕獲はやめており、ショー自体も停止し、将来的には飼育そのものもやめる方向のようだ。

現在、太地町で捕獲されたイルカは、アジアや中東などの16ヶ国に販売されていると聞く。イルカの展示が日本と同じようにまだ問題視されていない国々だ。日本動物園水族館協会(JAZA)は、2015年に、太地町から野生イルカを購入しないという条件を飲むことで、世界動物園水族館協会(WAZA)からの会員停止通告を免れた。太地町の「くじらの博物館」を除く日本の他の水族館も、この条件に従い、JAZAにとどまった。

太地町で捕獲された野生イルカは、以降、日本では、太地町立くじらの博物館と、2017年にJAZA脱退が判明した、新江ノ島水族館など4館のみに売られている(はずだ)。

佐々木監督の映画が成功しなかった(海外に向けて太地町側の意図を伝える、という目的が果たせなかった)理由の一つは、映画が、反論(イルカ漁への反対)に対する反論、という域を出ることができなかったからかもしれない。もっと別の方法で、この問題に迫ることはできなかったのだろうか。

動物福祉という視点(世界で標準となりつつある思想)を受け入れ、『ザ・コーヴ』から8年経った時点での太地町の現在や人々を紹介し(その中には改善された追い込み漁の実態も含まれるはずだ)、佐々木監督がそれをどう見るかの論評を加え、未来のありように触れることがあれば、もっと違った作品になっていたのではないか。

ドキュメンタリーにおける反論はどうあったらいいのか

佐々木監督が批判するように、結論ありきの『ザ・コーヴ』の「暴力的な」制作法がよくないのであれば、自身がつくる映画は本来のドキュメンタリー(嘘のない、真実を追求することの中から結論が導き出されるような)をつくって世界に問うことをすればよかった。

たとえ佐々木さんが『ザ・コーヴ』に対するいらだちや不快感から、映画制作をスタートさせたとしても、反論を目的化、固定化しなければ、数年に及ぶ制作期間中にもっとたくさんの気づきがあり、日本の外の良識ある人々(必ずしもイルカ漁や捕鯨に反対する人ではない一般の人たち)の考えにもつながっていく可能性があったと思う。

おそらく反論への反論というのは、相手の顔だけ見てやるのではなく、一度問題の起点にもどり、原点を解明しながら、その中で相手が問題にしている点とその実情を観察・分析し、自分の論点をはっきりさせていくのがいいのではないか、と思う。

それには最終結論が、当初のもの(この場合は、太地町のイルカ漁の弁護)から外れてしまっても受け入れる、という勇気が必要になるだろう。その覚悟をもつことはとても大変なことだと思うが、映画が真の、意味あるドキュメンタリーになるには必要なことだ。

『おクジラさま』は太地町の人々にも、イルカ追い込み漁に反対する人々にも、それ以外の日本や世界の良識ある人々にとっても、一定の納得度に達する作品になることが理想だった。残念ながらどちらにとっても、誰にとっても、そうはならなかったというのが現実だと思う。

<注釈1>水族館に販売するためのイルカ追い込み漁:1969年に太地町立くじらの博物館がオープンする際、展示用イルカの捕獲を町から依頼されて始まったのが、この追い込み漁である。(関口雄祐著『イルカを食べちゃダメですか?』、佐々木芽生著『おクジラさま』)

<注釈2>食用に販売するより、水族館に販売した方がイルカは何倍も高く売れるそうだ。経済的な問題として、太地町の漁業組合は水族館への販売を柱にせざるを得ない。佐々木さんの本には、『ザ・コーヴ』では、海外には1頭、数千万円で売れるとされているが、太地町の漁師がその金額を受け取れるわけではない、と書かれている。しかし野生イルカを数千万円という取引の道具にしていること、その一端を「イルカ漁を伝統とする」太地町が担っていることは構わないのだろうか?

参考記事

*この記事と関連して、過去に書いた「動物をめぐる問題」を取り上げた記事を紹介します。

1)ニュースサイトSynodosに「バハマのイルカの暮らしから、日本の水族館のことを考えるーー海洋生物学者デニース・ハージングの『イルカ日誌』を訳して」(2016.11.11)を寄稿しました。

2)2018年に5回に渡って、動物園や工場畜産のことを調べてブログに書いています。

野生と飼育のはざまで(1)動物園、水族館の実情

野生と飼育のはざまで(2)動物園の広報活動、新たな試み

野生と飼育のはざまで(3)自閉症の体験から得た、動物の行動原理の実際

野生と飼育のはざまで(4)スポーツハンティングが野生動物を救う?

野生と飼育のはざまで(5)「獣害」と日本人の暮らし、自然環境




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2000年4月からウェブ上でさまざまなコンテンツを公開してきました。海外文学や音楽家インタビューの翻訳もあれば、写真家の世界紀行、ゾウやイルカのストリーなどいろいろです。またコンテンツの中から紙の本や電子書籍も作っています。

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ほぼ2週間に1度、ジャーナルをブログサイトで書いてきましたが、今週からnoteで発表することにしました。たいてい4、5000字前後の長さで、テーマはその時々関心をもったこと、もう何年も続けています。葉っぱの坑夫の出版活動と直接的には繋がっていないけれど、ここで考え調べながら書いたことが、あとで役に立って、企画が生まれることもあります。トップの画像:Yoshiyasu NISHIKAWA(CC BY-NC-ND 2.0)

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