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英語ハイクが窓をひらいてくれた(2)

英語ハイクが窓をひらいてくれた」(1)では、俳句をまったく知らなかったわたしが、English language haikuと出会ったことで、俳句の本を訳して出版するまでになったことを書きました。

考えてみればたいした冒険というか、暴挙というか、俳句の知識ゼロで、英語で書かれた世界のものとはいえ、日本語訳だなんていいんだろうか、という思いは(今なら)あります。当時はまったく気にすることなく、嬉々として「英語ハイクって面白い!」、日本語にしたらどうなる??? ってなもんでした。

それからさらに何年かたって、ナナオ・サカキさんという詩人と出会って、小林一茶の俳句の面白さに気づきました。ナナオさんが小林一茶の俳句を英語に訳していたからです。

ナナオさんの詩の朗読会が東京であって、それを聞きに行ったのが2004年ごろのこと、ナナオさんはそのとき81歳でした。そのときのナナオさんの印象をサイトのReviewに書いたことがあるので以下に引用します。

ナナオサカキは今年81才、白く長い鬚と赤いひもで結わえた長く美しい髪の、そしてスニーカーをクールに履きこなし、今も世界の街々を飛びまわる、定住の地をもたない詩人です。今年5月に、ナナオのリーディングイベントでお会いしたときは、詩のリーディングのほかにアイヌやアメリカ・インディアンの歌を聴くチャンスにめぐまれました。ナナオにとってどんな作品や表現も、自身の詩であれ翻訳であれ、また原住民の歌であれ、なんの境界もない同じ地平のもの、という風にわたしには見えました。

ナナオさんがどんな人か、どんなタイプの詩人かイメージしていただけたでしょうか。このナナオさんをつうじて、わたしは一茶の俳句と出会いました。"INCH by INCH - 45 HAIKU by ISSA"というタイトルの、ニューメキシコのLa Alameda Pressという出版社から1999年に出た本です。アメリカの出版物なので、巻末のインタビューを含めベースは英語ですが、一茶のオリジナルの俳句と英訳がナナオさんの手書き文字で書かれ、また音を表すローマ字表記も付加されています。(トップのタイトル画像は、この本の中ページです)

ナナオさんはこの本のインタビューの中で、一茶と芭蕉を比べて、面白い発言をしています。

ナナオ:芭蕉には革命的な資質を感じますね。位の高い武家の生まれで、教育を受けていた。受けすぎていたくらい。もっと無教養だったら、きっともっと素晴らしい俳人になってただろうね。

これに対して一茶は農家の生まれで教育を受けていない、芭蕉がインテリの生まれだったのに対して、一茶は実生活からのみ学んでいた、とナナオさんは言っています。だから「芭蕉にはリアリティがない、と感じることがあるんだけどね。一茶のほうがずっとあるね」とも。

また山頭火について質問されると、興味ないと答えています。

センチメンタルでしょ、彼は、とっても。いつも自分のことだけ、社会とか世界とか外に広がっているものに関心ないからね。人間以外の生き物にも関心ないみたいだしね。わかる?・・・だからセンチメンタルなの。でもセンチメンタルな詩人も必要だね、世の中には。(笑)いろんな詩人がいていいですよ、それぞれ必要とされているでしょう。

ナナオサカキさん、なかなか面白い人です。そして小林一茶にシンパシーを感じていて、だから英訳をしているわけです。"INCH by INCH"には45の俳句が含まれています。ナナオさんは一茶の2000くらいある俳句から500句を読んで、そこから45句を選んで訳したようです。たとえば次のような俳句です。

初蛍 なぜ引きかえす おれだぞよ

First lightning bug this year
Why do you turn away?
It's me, Issa!

Hatsubotaru Naze Hikikaesu Oredazoyo

苔清水 さあ 鳩もこよ 雀こよ

From mossy stones
clear water ----  ha!
Come on pigeons, sparrows!

Kokeshimizu Sa Hatomokoyo Suzumekoyo

能なしは 罪も又なし 冬ごもり

No talent
No blame either
Now I'm in winter retreat

Nounashiwa Tsumimomatanashi Fuyugomori

インタビューで一茶の今日的な意味について問われて、ナナオさんはこう答えています。今の時代、みんなもっと楽しいことを必要としているのに、それが得られずに固い表情をしている。ユーモアや笑い、悪ふざけ、そういうものがもっと欲しいわけで、一茶の俳句にはそれがあるんです、と。

わたしの一茶の俳句との付き合いは、そこで終わりになりませんでした。それから何年かして、ダン・ウェイバーというアメリカの詩人から、一茶の俳句を英語にする手伝いをしてくれないか、と誘われました。彼の望みは全訳!でしたが、さすがにそれは達成できず。ただ200句近くを訳したと思います。その中から100句あまりが手元に残っているので、何句か紹介したいと思います。(この一茶の翻訳は公開には至らなかったので初公開です)

空腹に雷ひびく夏野哉

Thunder rumbles
My empty stomach --
A field of grass in summer

春風に尻を吹るゝ屋根屋哉

Shirt ruffled
By a puff of Spring --
Roofer's rear end

窓開けて蝶を見送る野原哉

Open the window
Butterfly waves farewell
into the fields

のの様に尻つんむけて鳴く蛙

Mooning
Mr.Moon
A frog croaks

こうして俳句とまったく縁のなかったわたしが、葉っぱの坑夫の活動の中で日本語の俳句を英語に翻訳するまでになりました。これはいろいろな偶然が重なった結果かもしれませんが、俳句という詩の形式のもつオープンさ、どんな人をも受け入れるもともとの性質から来ているのかもしれません。俳句で問われるのは、文学的な価値だけではないということもあるでしょう。その意味で万人のものであり、言語の壁さえ超えて人々の心に伝わっていくものなのです。

一茶の俳句を英訳してから2、3年して、また新たなな展開が起きました。なんとパラグアイの俳人の句を日本語に訳すことになったのです。パラグアイ、、、といえばスペイン語です。スペイン語は少しだけ勉強したことあり、メキシコに旅行したときは地元の人と長距離バスの中で、片言で楽しいおしゃべりしたこともありますが、そんなもの、今となってはすっかり忘れています。

きっかけはわたしがネットで、ハビエル・ビベロスの "En Una Baldosa"というタイトルの俳句集を見つけたことでした(En Una Baldosa、訳せば「1枚のタイルの上で」のような意味です。限られた字数で言葉を操る俳句のことを表しているのだと思います)。何を探していたときだったのか覚えていませんが、それはPDFにきちんとまとまっていて、全編をダウンロードして読むことができました。インターネットって素晴らしい、と感激したのを覚えています。

そして辞書を片手に読み始めたところ、これがこれまで触れてきた俳句の作家たちの誰にも似ていない、初めて読むタイプの俳句だったのです。スペイン語だからというだけでなく、なんというか、熱い! ラテン系の率直で楽しさに溢れ、ユーモアがあり、ときに官能的、こちらの顔が赤らむようなあけすけさもあって。

あまりに魅力的で面白いので、全編を読み終わる前にハビエルにメールを書きました。当時やっていた「ことばの断片:Fragments」というプロジェクトに、日本語訳とともに掲載させてくれませんか?と。それが2011年12月6日の15:07のことでした。幸運なことにGmailには当時のメールのやりとりがそっくり残っています。なぜ時刻まで書いたかというと、そこからわずか15分後くらいにハビエルから返信があったからです。しかも英語で!

Hello Kazue! Greetings from Asunción, Paraguay. It's 03:22am here, I just read your mail on my iPhone and I decided to answer immediately. I am very happy to know you liked my little book.

パラグアイと日本は時差がちょうど12時間。こちらは昼間ですが向こうは真夜中。よく起きていたものです。ハビエルはコンピューター・エンジニアでアクラ(ガーナ)で仕事をしていたことがあり、英語がつかえました。ラッキー! その真夜中に、わたしとハビエルの間でメールが何回も行き来しました。両者ともなぜかすごく興奮していました。ちょうどその前年、南アフリカでサッカーのワールドカップがあり、ハビエルはケープタウンまで対イタリア戦を見に行ったとか(ガーナで仕事をしていたからでしょう)。そしてベスト16のパラグアイ対日本戦。延長戦+PK戦で日本は負けました。ハビエルいわく、ぼくらはラッキーだった、日本は本当に強かったね。

そして「ことばの断片」への掲載を経て、その後ハビエルの100句の俳句を収録した俳句集『一枡のなかで踊れば』を出版することになります。約半年後の2012年6月のことです。スペイン語(+先住民の言葉、グアラニー語も少し)の俳句を、辞書とハビエルの助けを借りて、なんとか、でもとても楽しく訳し終えました。毎朝1句コーヒーを飲みながら、1句のみ訳しました。1× 100句で100日間、そういう超スローペースで訳しました。訳者あとがきに次のように書いています。

 ハビエルのハイクを読んでいると、南米に暮らす心熱き若者の姿が浮かんできます。古今東西の文学に親しみ、星空のもと詩を読み、愛する女性への想いで胸を焦がし、故郷の大豆畑の風景に心和ませる。なんと率直にして開放的なハイクたちなんでしょう。こうしてまた新しい俳句の世界を知ることになりました。

では最後に、『一枡のなかで踊れば』の中からいくつか俳句を紹介します。

Che mbyry’áima
ha amosâingo che poncho
jasy ratîre.
*これはグアラニー語の俳句。なんでもレベルは違えどパラグアイ人の多くはグアラニー語がわかるとか。わたしの好きな俳句で日本語訳はこれ。

汗かいて           ase kaite
ポンチョを月の        poncho wo tsuki no
角に掛け           tsuno ni kake

Soy navegante
del movedizo piélago
de tus cabellos.

舟でゆく
波だつ海は
きみの髪

Mi intolerancia
a la lactosa curan
tus tibios senos.

乳糖不耐症
治してくれるのは
君のおっぱい

Viaje al sureste.
fronteras de mi patria
hechas de soja.

南東への旅
祖国の国境地帯
大豆の地

Las aves deben
ser versos de un poema
que alguien escribe.

鳥とは
詩の一行
誰かが詠んだ

英語ハイク4

一枡のなかで踊れば(パラグアイ作家によるスペイン語俳句集) (amazon)

*日本語タイトルの『一枡のなかで踊れば』は、中身のハイク同様、ハビエルと相談して決めました。1枚のタイル(una baldosa)を何と言うか、「枡」という言葉を思いついたのはわたしですが、元タイトルにはない「踊る」は、ハビエルの説明から得たインスピレーションです。狭いスペース内でバレエの優雅さにも例えられるテクニックを見せる、フランスのサッカー選手ジネディーヌ・ジダンの動画を送ってくれたりして。1枚のタイルの上で巧みに踊るように言葉を扱う、それが俳句というのがハビエルの解釈のようです。

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