自己肯定感と「死ね」という言葉について

人に死ねって言えるくらい自分を肯定できる人になりたい。
人に死ねって言えるあの子はなんで自分のことをそこまで正当化できるんだろう。
なんで自分に対してそんなに自信を持っているのだろう。
自分が正しいことに自信を持って生きていきたい。
私はわからない。信じることもできない。
自分のことも相手のことも何もかも。
私にある知識も考えも能力もすべて不確定で不安定でとても自信なんてもてないのに
どうしてあなたはまるで自分がすべて正しいと思っているように見えるくらい堂々としているのだろう。
羨ましい。これはなんの皮肉でもなく、率直な意見。
人に死ねって言える人間は相手の死を決定できる権利が自分にあるとでも思っているのかな。
そんな驕り昂りでさえ、私には羨ましく思う。
私は自分にしか死ねって思えないのに。
人に死ねなんか言えないし言いたくもないけど
自分に対して死ねって思うような人生も、もう嫌だ。
何かが起こってしまうのは誰かのせいなんだ。それを相手のせいにして傷つけるなら自分が傷ついた方がいいと思ってしまう。
そんな自己犠牲は、何も正しくないのに。
私はあなたが羨ましい。そうやって簡単に人のせいにできるぐらい、自分を肯定する力を持ったあなたが。
自分を守るために誰かを傷つけてもいいと思っているあなたが。
心底羨ましくて、心底軽蔑する。
脳内お花畑なのはあなたたちだよ。
そんなあなたに、いや、おまえらに向かってわたしも言ってやる。

人を簡単に傷つけることができる
おまえらの方が、死ねばいいのに。

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