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人生この期に及んで考えた

2022年も半年が過ぎようとしています。そう考えるとあっという間なんだけど、この1.2か月はとてもとても長く感じています。


だって、こないだ鞍馬に登って

だって、こないだ京都でイベント出て


なんだかずっとずっと、遠い昔のような錯覚に陥ります。


人生折り返しを過ぎました。子どもたちほど年の離れた人たちとともに活動でき、とてもとても幸せです。好きに学ばせてくれて、わがままに飛び回れる環境があり、行く先々に歓迎してくれる人がいるって。

本当に感謝しかありません。


もちろん。

幸せの数だけ、いろいろあります。


私は基本、人は分かり合えないと思っています。親兄弟はもちろん、パートナーや実子でさえ、他人と思っているし、分かり合うことはないと思っている。それを言うと、怒られる時もあります、悲しませる時もあります。私には「自分」と「他人」しかいないし、自分のこともわかんないのに、相手のことなんかわかるはずがない。


だけど。


「わかりあう」をこえて「通じ合う」ことはできると思っている。


あなたはあなた、私は私。認め合い、寄り添い、ベクトルを同じ方向にむけることはできる。大前提として言葉は必要不可欠であり、自分の気持ちは伝えないと始まらない。


京都で。

私は、愛する人たちに全力で愛を注ごうと決めた。ちゃんと、愛を伝えようと決めた。伝えたうえで、受け取るも受け取らないも相手の自由。相手に委ねようと決めた。

「あなたを、愛しています」

誰かがあなたを非難しようが関係ない。私が愛しているから。

そして。

どんな選択をしたとしても、私はあなたの気持ちを尊重する。あなたの行動を否定しない。だって、そうせざるをえない理由が必ずあったはずだから。もちろん、人として逸脱した行為は許されるわけではない。償うべきは償わないといけない。でも、そうせざるを得なかったあなたに寄り添いたい。


全部きれいごとだよ、反吐が出る。

そんなこと無理だよ。


でも、そう決めたんだ。

わたしは私のまま、ここに在り続けます。


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