恋人の死体を処理する話

 久々に恋人の家に行ったら、彼女は死んでいた。
 ワンルームのちゃぶ台に突っ伏す彼女を見下ろすと、気付かず頭に乗っていた紅葉がヒラリと一枚舞った。それは水の残るコップのそばに置かれた白魚の手へ落ちた。横には薬の残っていないシートが数枚と空箱がひとつ、散らばっていた。伸ばされた足の横、ご丁寧に古臭い折り方のされた白い手紙が置いてあった。遺書と書かれていた。メッセージで送ってきた「詳しくは後で話す」というのはこれのことか、と思い至り、思わず小さな笑いを零した。
 恋人の家に久しく来ていなかったのは、単純に家の外で会うことの方が多かったからだった。そもそも彼女は自分のテリトリーに易々と他人を入れたがらない質であった。それなのに渡され、嬉しくも思っていた合鍵を、まさかこんなことに使う羽目になるとは思ってもみなかった。
 恋人の家に久々に来たのは、メッセージがあったからだった。「できるだけ直ぐに私の家に来てほしい」「手伝ってほしいことがある」「詳しくは後で話すから、合鍵を使って入って」と、そんな具合の文面を見たのは目を覚まして直ぐの時間で、外は東の太陽が眩しい空をしていた。丁度大学も休みのこの頃、一体何があったのかと急いで来た結果がこれだ。

 大学三年の秋、己に初めての恋を教えた女が死んだ。自殺だった。

 彼女と出会ったのは大学のサークルでのことだった。興味本位で入った演劇サークルで、彼女は脚本を書いていた。
 彼女の第一声は「お前、美しいな」だった。きょとり、と初めて見つけたようにこちらを見て、真っ直ぐに言うから、唖然としてしまったことを覚えている。
「お前に当て書きしたいな。ねえ、役者をしておくれよ」
 元より趣味のように演技を学んでいた私はそれなりに早くサークルに馴染んでいった。彼女は脚本を好まれていて、けれど人としては少し遠巻きにされていた。元より変人ばかりのサークルではあったが彼女は人付き合いを好んでいなかったのだ。人に興味がないわけではないが、脚本の材料としか見ていない。仲良しこよしをしようという意思がない。そんなところで、私達は気が合った。私も人を『演技の材料』として見ていたから。そしてそれを隠し通せる嘘吐きでもなかったから。
 脚本家として、役者として、サークル内に馴染みつつも友人らしい友人はできないまま。私と彼女は仲を深めていった。
 或る日、彼女が言った。
「一目見て、恋に落ちたようだった。一目惚れしたの。お前に。お前の美しさに」
 嗚呼これを書いたい、と思わされたの。そう笑う彼女こそが奇麗だった。
「私こそ、君の脚本に初めから惚れてしまったよ」
 そう返すと、彼女は驚いたように目を開き、そして、心底から嬉しそうに笑った。
 私と彼女はいつの間にか恋人関係になって、一緒に居る時間が増えた。彼女のことをより知っていくようになった。好きな食べ物、好きな作品、好きな景色、好きな洋服、好きな手触り、好きな言葉、好きな声。好きな、ひと。
 彼女は人付き合いを好んでいなくて、友人の数がトンと少なかった。物語の中にしか人を見れないような人間であった。けれど私を真っ直ぐに見つめる瞳は奇麗だった。
 或る夏の日、数少ない交流のある後輩に貰ったという映画のディスクを回しながら、彼女は呟いた。
「人として生きるのが下手な人間は、得てして芸術の道へ堕ちるものらしい。きっと私はそれだね。そしてお前は私のミューズかな。初めて……欲しいと思ったから」
 窓の外の蝉の声が煩くて、クーラーを効かせた部屋は冷えていて、それでも垂れる汗に濡れながら、彼女は目を細めて映画を見ていた。狂った芸術家が華麗に描かれた作品だった。その芸術家は愛する人と出会って、芸術ばかりの動物から人の姿となっていく。つまらない、と彼女は切り捨てた。
「ストーリーは面白いが。この脚本家とは意見が合わないね。人になんてなれるわけないだろう。芸術に狂ってしまえば一生そのままだ。なによりそれを望む他ないのだし。狂気がなくなったらなにも作れなくなる。作れなくなったら芸術家は死ぬ。それが一番恐ろしいことだろうに。人のまま狂気的に美しい作品なぞ作れるわけなかろう」
 しかし映像美は素晴らしい、と褒め称える彼女の真っ直ぐな横顔が奇麗だった。ちら、と横目で見てきた彼女は、うっとりと微笑んで告げた。
「お前は美しいな」
 去年の夏の日のことだ。

 いつからか、彼女はスランプにでも陥ったらしかった。なにも書けない、言葉が出てこない、と彼女は苦しげに唸っていた。けれど私と顔を合わせると「なんだか書きたくなってきた」と直ぐに言うから、大丈夫そうだなと思っていた。
 彼女は作品を作り出しながら「上手く書けない」とずっと苦しそうにしていた。確かに完成頻度は些か落ちたとはいえ、キチンと書き上げているのに。
 書けない、と言いながら彼女は書いていって、そして時折私を見つめた。「お前は美しいな」と眩しそうに目を細めて、そしてまた作品に向き合っては苦しんでいた。
 苦しみながら書くのが好きなんだ、と下手くそに笑う彼女は奇麗だった。気持ちは分かるよ、と頷けば「嗚呼、お前も演技に狂っているからね」と嬉しげに微笑した。
 苦しくても書くしかない彼女を、私は『同類』だと思いながら、愛していた。愛しながら眺めていた。
 結局彼女は書くしかない。私が演技をするしかないように、それしかない人間だ。
 だから大丈夫、と見境なく思っていた。

 ワンルームのちゃぶ台に突っ伏す体にはまだぬるさが残っていて、ただ寝落ちてしまっただけかのようにも見えた。しかし背に手を当てると、何の振動も感じなかった。
 遺書を開くと、メッセージにも書かれていた“手伝ってほしいこと”の詳細が確かに書かれていた。要するに、死体の処理を頼みたいとのことだった。山に埋めてもいい、海に捨ててもいい、兎も角死んだとバレないようにしてほしい。此処で私を見たことも誰にも言わないで、行方不明とでも思われるようにしてほしい。お前は演技が上手いから大丈夫だろう。そんな風に書かれてあって、笑った。演技と嘘の区別も付かないのか。私が酷く素直な女であると分かっての了見か。たとえそばに居なくとも何処かで幸せに生きてくれればそれだけで満足するような、殊勝な女でもあると、君なら知っていように。
 しかし、そんなことを思って彼女の顔を見ても、ただ沈黙を守るのみであった。東日の差し込むワンルームで、照らされた髪がサラサラと光っていた。
 そんな髪を暫く眺め、部屋を出た。近頃サークルで使う予定だった小道具の棺桶を持って戻ってきた。玄関口に通すのが少し苦労した。彼女は既に死後硬直が始まっていたがまだ完全ではなく、何とか棺桶へ納めることができた。ここで少し魔が差し、ワンルームに設置された、彼女はあまり使わない狭こいキッチンから、これまた彼女は真面に使わない包丁を取り出し、彼女の胸へ突き立てた。
 恋人のハツは思っていたよりも美味しくなかった。棺桶の中の彼女はつまらなそうな顔をしていた。
 胸に穴が空き、左の肘から先がなくなった死体を暫く眺め、ひとつキスをして、ゆっくり棺桶へ蓋をした。防火布とブルーシートで覆って運び、バレなさそうな場所を探して、野焼きをした。防火布とブルーシートの上で燃える棺桶は、適当によく焼けそうな思い出の品と油を入れておいたからか、ボウボウと黒い煙を吐きながら強く燃えた。肌寒さが強まってゆくこの時期に、猛烈な暑さを感じた。この中に、心臓のあった胸へ入れた己の写真も燃えているのだと思うと、不思議な気持ちとなった。
 もし誰かにバレたら役作りの一環とでも言って誤魔化すつもりだったけれど、田舎だったのが幸いしたのか、態々人影のひとつも見当たらない場所へやってきたが故の必然か、誰にもバレなかったようだった。

 ネットというのはとても便利なもので、少し探せば剥製の作り方くらい直ぐに見つかった。左手は己の住む部屋の飾り棚へそういうインテリアのように置かれることとなった。ガラスケースの中、美しいポージングを保つそれを見て、ふと思い至り、スマホで後輩に連絡を取った。
 桜舞う道を直ぐにやってきた後輩へ左手を見せると「先輩、いつからインテリアの趣味変わったの?」と聞かれた。
「奇麗だろう?」
「えぇー、マア、そうだね。奇麗っちゃ奇麗……飾り立てたいかも」
「ダメ、これは私のだから」
「インテリアに独占欲抱くのなに?」
「でも、これに指輪を嵌めたくてね。何かよいデザインの物を知らないかな」
「それでわたし呼ばれたの? うぅん、そうだなぁ。これって左手?」
「そうだよ」
 彼女はいつも右手で書いていたから、とは言わなかった。
 悩みながらも、可愛らしい後輩はキチンと奇麗な指輪を探す手伝いをしてくれた。少し時間が掛かりつつも見つけた指輪は、ピタリと当て嵌まるようなもので、これしかないと思える物であった。揃いのデザインをふたつ買い、ひとつをインテリアと化した左手の薬指へ嵌めた。キラキラと輝く指輪を身に付けたソレは奇麗で、思わずその手の甲へキスを贈っていた。揃いのもうひとつは細いチェーンを通して、自分の首に掛けた。華奢なデザインのそれは細首にも軽かった。擦り減らないよう、あまり研磨はしないようにしようと決めた。磨かないでいて輝きが薄れても、映えそうなデザインであった。
 いいデザインの物をありがとう、という感謝のため、後輩をもう一度家に招いて食事を振る舞うことにした。お行儀よく年下然として「ご馳走になりまーす」と可愛らしい笑みを見せた後輩は、食事を待っている間、ローテーブルの前に座って、飾り棚の方を見た。
「うん、似合ってるじゃん。流石はわたしの見立てだね」
 半分独り言のような声に、キッチンから「お前のお陰でより良いインテリアとなったよ。有難う」と伝えた。どいたま〜と軽い調子で返された。
 食卓に着き、後輩は舌鼓を打った。自分の料理を喜ばれることは素直に嬉しく思った。そんな中後輩が不注意でお茶を溢してしまい、慌ててしまったから「落ち着いて、大丈夫だ」と声を掛けつつタオルを探し、渡した。
「ほら、これで拭くといい。火傷はないかな?」
「嗚呼、ウン。大丈夫。有難う先輩」
「怪我がなさそうならよかった。しかしもう少し気を付けて食べておくれよ、お前に傷付いてほしくて作ったわけでもあるまいし」
「……先輩、なんだかあの人に似てきたね」
 ふと、とした様子で言われ、箸の動きが止まった。あの人?と聞き返すと、「あの人だよ」と後輩は続けた。
「もう随分経つけど、未だ見つかってないんだってね」
「……嗚呼、そうらしいね」
 少し低くなった声で言えば、後輩はそれ以上踏み込んでこなかった。相も変わらず気遣い屋さんだった。
 彼女を燃やし尽くした後、スマホに残ったメッセージは消去した。そのメッセージに書いてあったパスワードで彼女のスマホのロックを解除し、データを初期化して、入念に壊してゴミに出した。暫くして彼女が行方不明だと噂が流れた。大学で彼女と恋人同士だと当たり前に知られていた己の元にも警察が来たため、「前に家に行ったことはあるが留守にしていた」と伝え合鍵を渡した。ワンルームは軽い掃除を済ませてから暫く経っており、埃が舞っていたらしい。入念に洗い流した血も、棺桶へ入れた薬の屑や遺書も、警察は何も見つけられなかったという。
 結局、身内の居なかった彼女は真面な捜索もなされず、見つからないままでいる。
「わたし、あの人と結構仲良かったんだよねー」
「知ってる」
「B級映画が好きだったんだ、あの人」
「それも知ってる」
「どれだけ個人情報渡してたのあの人」
 笑った後輩は、ふと、壁の飾り棚の方を見遣った。左手の収まるガラスケースの隣に真白く長い蝋燭、その向こうに細工の奇麗な小壺、真逆の端に倒れた写真立て。
「よく一緒に観てたんだよ、わたし。つっまんないやつもくっらいやつも、隣で」
「……それは知らなかった」
「だよね。わたしも初めて他人に言った」
 箸で一口分掴んだ後輩は、目を伏せ
「最後に見た映画、心中モノだったな」
 と言って一口食べた。箸が止まり、後輩へチラリと目を向けると、後輩は咀嚼を終え、言葉を続けた。
「いい終わり方だって言ってたよ。わたしもあの監督好きだけど、殊更、あの人はあの映画を気に入ってたと思う。や、エンディングだけかもだけど」
 右手に持った箸を揺らしながら、つまらない日常話のようにそう言って、後輩は食事を再開した。
 飾り棚の方をチラリと見る。左手の収まるガラスケースの隣に真白く長い蝋燭、その向こうに細工の奇麗な小壺、真逆の端に倒れた写真立て。
「こんな終わり方がイイって言ってた」
 一口食べて後輩を見遣ると、後輩は飾り棚へ目を向けていた。
「でも、わたし、あの人には無理だと思ったんだよね。だってあの人、結局誰かを巻き込めないでしょ。楽しいことならまだしもさ」
 飾り棚の方を見た。左手の収まるガラスケースの隣に真白く長い蝋燭、その向こうに細工の奇麗な小壺、真逆の端に倒れた写真立て。全部己で用意した物だ。
「……馬鹿らしいな」
 後片付けは全て任せておいて、なんだというのだろう。
 小壺の中身も、写真の中身も、ガラスケースの中身も、物言わぬただの物として、其処にある。インテリアだ。
 もう少し早くに家に着いていたのなら、巻き込んでくれただろうか。
「……そういえば」という声で後輩は話題をくるりと変えた。
「次やる作品、先輩が持ち込んだやつなんでしょ? アレって何処から持ってきたの?」
「知り合いから貰ったやつだよ。名前は秘密」
「誰だ〜? 先輩の知り合いなんてそうそう居ないと思うんだけど」
 彼女はパソコンを持っていなくて、いつもスマホで脚本を書いていた。データを初期化する前、覗いた執筆アプリには幾つも書き掛けの作品があった。そのデータの全ては今、私のパソコン内に存在している。
 書き掛けの作品は、全部全部が暗い話で、絶望をよくよく書いていた。主役は奇麗な人で、歪な形をしていた。人になれないヒトだった。
 私は何食わぬ顔でそのデータの中からひとつ、サークルへと流したのだ。無理矢理にエンディングをくっ付けて。
 主役が人に混じれるエンディングにして。
「なーんか見覚えある作品な気がするんだよね。先輩はあの作品どう思ってるの? わたしは結構好きだけど」
「え、駄作」
 絶望を叫ぶ作品は、救いを求めていた。
 与えられなかった救いを私は無理にくっ付けた。
「駄作持ち込んだの? 先輩」
「良い作品でもあるから」
「なあにそれ」
 可愛らしく笑う後輩に、私も笑い返した。
「あの作品の主役はお前にあげるよ」

 左手に待った箸で食用肉を持ち上げる。口に入れたそれは、キチンと食べ物の味がして美味しかった。

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