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好物・柑橘類

 ガチャ、と扉が開く。都会に在るには随分とチャチでチンケなように思うボロアパートから、男が一人、出てきた。
 細身のその男は、ハア、と溜息を吐き、玄関からカクンと足を踏み出し、そのまま体を出し切ったところで振り返り、扉を閉める。かちゃかちゃと閉めた鍵にはひとつ、失くし難いようにと付けられた蜜柑のキーホルダーが揺れていた。

 さて。ヂリヂリと暑いこの真夏日、男が態々出てきたのには訳が有る。欲しい本が在ったのだ。近場の本屋では今日が入荷日と知り、その本がなんとも魅力的なものであったが故、重い腰を上げ、重い足を動かし、重い腕を使い、なんとかかんとかこうして外へ出ることに成功したところであった。男は、引き篭もりである。
 普段中々外へ出ない男にとって、こういう、どうしようもない用事によりどうしようもなく外へ出るしかないという日が、ようやっと季節というものを肌で感じ取れるひとときでもあった。
 蝉の煩い、よく晴れた夏の日。眩く照り付ける太陽、紫外線対策と涼しさを両立させた服装が多く目に付く人混み、視界に差し込む色彩鮮やかな夏緑樹、蒸し暑さが立ち昇るコンクリート、道の端に転がる蝉爆弾と抜け殻……。感じる全てが、夏を意識させてくる。引き篭もっていては知れぬことだ。
 ただでさえ男の住むボロアパートはボロアパートのくせして隙間風等が中々無く、年がら年中エアコンやらを働かせっぱなしにしているブラック企業主は、部屋に居座れば快適な[[rb:永遠 > とわ]]を過ごせるのである。そのためブラックもブラックな空調の使い方をしているこの男は、涼しい部屋から太陽が煩い外へ——よりにもよって昼過ぎという、日光降り注ぐ上の空からも吸収熱の放出を始めた下のコンクリートからも責苦を受ける時間帯に——出てしまい、汗を滴らせながら、水筒を持ってこなかったことを強く後悔した。

 夏というのはとかく、物語というものに於いて、まるで素晴らしいものかのように扱われることも多いが。然しこと現代の現実世界での夏というものは、身体への害が心底大きく、海だとか何だとか、楽しめたものではない。空を見てエモさを感じるより先、スポーツドリンクの購入を考えなくてはいけない世界なのだ。熱中症で死ぬ。特に日本は高温多湿だからよくない。ジメジメと、暑さが身に纏わり付いてきて、鬱陶しい。水分やらを取らなければ、待ち受けるは、死である。そういう、殺人的な環境下を、人間というのは知恵を振り絞りながら生きているわけだ。それにしても暑いけど。温暖化やらなんやら叫ばれる[[rb:今日 > こんにち]]であるし、もうそろそろ地球を捨てて宇宙に新たな住処を構えるくらいへ至ったって仕方が無いのではないかしら。本当暑い。死。服装をもう少し、考えればよかった……。

 ……とまあ、普段引き篭もってアイスも要らない涼しい世界に生きている男はグダグダと脳内で愚痴りながら街を歩き。日陰を行くことを意識しながら数十分。やっと店へと到着したのだった。
 家から店へは、近いと言えば近いが、男の緩やかな——体力・筋力の無さからくる細々とした——歩みの所為でそれなりに時間が掛かる、そんな距離。特に今日は暑さの所為か昼を食べるのを忘れていた所為か、足音の間隔が妙に広く、この揺れと共に子守唄を歌えば丁度よく眠りにつけるであろうといった具合の遅さで来てしまった為、気が付けば少し、昼の暑さが治まっているような、そんな感じがした。

 然し汗を掻く男にはそんな些細な変化は気に留めるようなことでもなく。嗚呼さっさと目的のブツを買って帰ろうと、暑さから避難するように涼しい店内へと入り込む。都会の本屋は、電気代を気にしてしまうような空調で涼を取っており、ともすれば肌寒ささえ感じてしまう程の空気が店内を満たしていた。風鈴や怪談では得られないだろう、物理的によく効く涼しさだ。そも温暖化が進むとされる現代に於いてそのような涼の取り方が未だ有効で有るかどうか……。
 そんなことを取り留めもなく考えながら、目的を探して視線を動かす。本日入荷と言うからてっきり店頭にでも置いてあるかと思い込んでいたが、然しそれは思い違いでしかなかったようだ。店に入ったその場で探しても中々見当たらず、歩いて少し先の奥、入り組んだ場所にあるコーナーに、ようやっと、ちょっとしたPOP広告と共にチョコンと幾つか重なってあるソレを見つけたのだった。
 グレープフルーツの描かれた広告を尻目に、やっと見つけた、と手に取るソレは、男の好む作家の最新作であった。SNSで作家本人が話していたその内容——要は宣伝——が気になってしまい、こうして購入する為の外出へ至ったのだ。
 男は作家のアカウントをフォローしている為、作家の投稿が目に入る。普段は猫がどうやら(物書きには猫好きや猫飼いが多い気がする)食事が面倒やら筆が乗らないやら私生活と仕事に関する心情等が主な投稿内容だが、こうしてしっかり宣伝もしてくれる為、ファンは作品へ有り付けるというものだ。男は手に掴んだソレを大事に抱え込み、さてレジへ向かおうと体の向きを変える。そこでふと、近くの別コーナーに置かれている、とある雑誌が目に付いた。

 鮮やかな色合いの、新鮮そうなレモンの画像が表紙に大きく使われていた。

 ……本屋に、レモン。反射的に口内で唾液が染み出すのはヒトとして当然のこととして。はてさて、読書家で尚且つ古い——特に、大正辺りの——話が好きな人間であるなら、パッと思い至ってしまうだろう。梶井基次郎の短編小説、檸檬。少なくとも本を読む人間ならば、名前くらいは聞いたことがあろう。その内容、あらすじを簡素に言ってしまうと……、味気無いからやめておく。あれは簡素に語っては詰まらなくなってしまう類いの話だ。

 兎に角。男はレモンを見て、檸檬を思い出した。そう、あの話、最後の最後に、本屋——文具書店が、舞台となるのだ。まあその後、店を出て歩いて行ってしまうのだが。
 その、出て行ってしまう、前の部分。男が特に心に残ったと思える部分を、彼は思い出していた。そう、脳裏に光景が残っているのだ。文章の手触りが非常に心地好く、噛めば噛む程滲むような味がして、初めて読んだ時なんか衝撃から何度か読み返してはついつい仰け反ってしまった程。なんとほんのこの間もまた檸檬を読み返していた男の脳裏に記憶は新しく、文章を読んで手に入れた光景が蘇る。とはいえ男の脳は、読んだ文章を、言葉のひとつひとつまで確かに記憶できるような性能ではなく。ただふわふわと、ボヤけたイメージ的な記憶を、手繰り寄せた。

 そう、本を——ただの本ではない。画集、だったか。カラフルなそれを積み上げ、そして最後に、この作品の真の主役とも呼べる“檸檬”を、乗せるのだ。さながら、頂点の王へ冠を授けるが如く。そうすることで辺りにパキッとした緊迫感じみたものが広がり、ただの文具書店がそうではないかのように思えてしまい……

 ……と。此処まで考えて、嫌になった。男は、自身の語彙に、心底嘆かわしい気持ちとなったのだ。
 あの作品は、もっと、もっと素晴らしい言葉遣いで全てを表現していた。あの言葉たちに私は魅了され、取り憑かれたとも言え、そうしてふとした時思い返しては読み返し、また取り憑かれ、その言葉選びや文章の運び方にハアと感嘆の溜息を吐くばかり。書かれている文字を意味も無く指でなぞり、そのまま拾い上げて口に放り込めてしまったら如何程かと、取り留めもないことを考える。そんな、そんな莫迦げたことをしてしまう程の、ものなのだ。
 それを、読んで浮かんだ景色を、改めて自分の言葉に変換してみた途端、まあなんとチャチでチンケでちっぽけでくだらない言葉の羅列だろうか。ウチのボロアパートじゃああるまいし、もう少しシャンとした、洒落た言葉で表現してもらいたい。然しこの脳みそでは、無理な話なのであろうか……。せめて、細かなところまで記録を残すような、そんな脳みそを持ち合わせていれば。であるならば脳内でパラパラと本を開き、この店の中、ある種の現実味を持ちながら[[rb:彼 > か]]の素晴らしい文字列を楽しむこともできように。

 ——良く言えばインドア派悪く言えば社会不適合者の彼は読書家で、尚且つ細々としながらも作家生活を営んでいるのであった。大正あたりの文豪の、その生活模様でさえも模範としているのかと勘繰る程の不健康な生き方をしているとはいえ、男は文章を書く人間であった。そして、檸檬という作品を——殊更、最後の、メインディッシュと言うべき場面の部分を——よくよく気に入っており。[[rb:彼 > か]]の作品を己の言葉では表現し切れない、憧れの文豪の文字列を思い出せない、というのは、屈辱や物悲しさを胸に強く染み込ませるものであった。そう、叶うことなら、[[rb:彼 > か]]の文豪と同じような脳でも持てれば、なんて、無為なことを考えてしまう程。

 然しそれは叶わぬ願いというもの。男は雑誌のレモンを眺めながらボーとして、檸檬のことを考え、肩を落としていた。はてさて、もし、あの景色の再現でもすれば、よい感じの言葉のひとつも思い浮かぼうか。然し、肝心のレモンが無い。画集ならば探せば在るだろうが、最後の一手間である、あのイエローの果実が無ければ、話にはならない。とはいえ代わりとなるような物も、懐には入れてこなかった。当たり前だ。部屋を出るその時には檸檬のことだなんて頭から抜け落ちていたのだから。そも、幾ら柑橘類が好きだからって、持ち歩く趣味は無い。今日は本屋へ来る用事しか無かったわけだし、あの話のように途中で買うということもなかった。柑橘類はおろか、今の男の手荷物は財布とティッシュハンカチの類い、またスマートフォン等、の外出必需品くらいなものである。蝉でも拾ってくればまだよかっただろうか。パイナップルを買ってもよかったかもしれない。要は爆弾でなければいけないわけだ。

 ——ふと、レモンの描かれた雑誌を見遣る。そう、レモンだ。
 まさか、これを頂点へ持ってこようか? ……そんな、そんな詰まらない話はない! 男は、脳裏に過った己の考えを、すぐさま否定した。なんてことを考えたのだと、思考したことすら罪深く思う程だった。
 だって、アレは、作品内での作品とも呼べるアレは、レモン在ってこその物なのだ。画集を積み上げ、崩し、積み上げ……最後に好物のレモンを置く。それが大事なのだ。その作業が有ってこその完成であり、そうであってこその、あの、完成したものを表現する[[rb:彼 > か]]の文字列なのだ。——そう。男が惚れたのは、レモンを置いた瞬間からの、あの、出来上がった作品について及びソレを見た主人公の思考についてを書いてある、最後の最後の一番重要とも呼べる部分である。そこが、男にとって一等好みの、素晴らしいと思える代物であったのだ。それこそ、——有能で無い頭は言葉の一片さえ碌に思い出してもくれないが、然し——読んで幻視した景色が強烈に記憶へ残る程。
 なので、あのレモンエロウに代わり、鮮やかにチンケに黄色が描かれた雑誌を積み上げるなんて、そんな所業が許される訳がなかった。本の上に本を置いたって、どうにもならないのだ。せめて、爆弾に置き換えられるような、それでいてカーンとした色気の有るような、そういう物でないと。そして、ソレに一等当て嵌まるのは、やはり。梶井基次郎の書いた、主人公の持つあのレモンであった。そも男がもし、この本屋に来る前に何かしら果物——それこそレモンを買っていたとして。そしてこの店の画集を積み上げ崩し積み上げ、よい感じの時に手に持ったレモンエロウを最後そこへ当て嵌めたとして。やはり、それは違う物なのだろう。あの主人公の、憂鬱とした気持ちと、幸福の象徴たる冷たいレモンと、文具書店と、カラフルな画集たちと。アレらでなければいけないのだ。この都会の、しぶとく生き残る本屋の、よく効いた空調の中での作品作り等、足元にも及ばない。男が何をしたって、アレを再現することは叶わないのだ。せめて、この場に檸檬があれば、また別かもしれないが。

 ……ハア、とひとつ、溜息を吐いた。幸せが逃げると言うが、寧ろ体の力を抜くのによいと何かで知り、以来遠慮無く吐きたい時に吐いている。そんな男は、手に持ったブツにふと目をやり。
 ——嗚呼、目的も果たしたのだし、さっさと帰ってこれを読もう。……その前に、檸檬を読もうか。
 そう考えながら、インドア派で読書家の彼は、改めてレジへと向かうのであった。

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