それは公式が勝手にいっているだけ

とつぜん要のない自己語りを許してもらえるなら、私は人と深く関わることが苦手である。

かわいそうな奴と思われるかもしれないけれど、案外そうでもなく、人について美しい妄想をするのは大得意なのである。あ、もっと可愛そうとか言わないで。

朝ゴミ捨て場に駆けていく人の、バスの停留所で待っている人の、ベビーカーを押して歩く人の、悲喜こもごもの、でも美しいであろう様子を思い浮かべるのはとても楽しい。そうして、誰とも話さずただニヤニヤしている人間が誕生するわけである。

人と深く関わるとき、その人には必ず解決しきれない悩みが存在する。
その悩みが気持ちで解決するものならいいのだけど、多くは社会の仕組みや法律、行政などが絡んでくる。そうなると妄想どころの騒ぎではない。そこを美しく辻褄が合うようにしようとすれば、もう活動家になるしかない。

かくして、人と距離をとりながら、その人が幸せに暮らしている様子を夢想するのである。


息子がグレて「こんな家、出てってやるよババァ」と言ったあと、「何言ってもいいが大学にだけは行っておけ」と送り出し、旅立つその日に「これ持っていけ」と渡します。