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横須賀 佐藤さとる原風景 平川恒太展示

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【スカ1】「だれも知らない小さな国」は横須賀にありました^_^
「…その日は、すばらしい秋日和だった。ぼくは何年ぶりかで、小さな町の駅におり立った。
戦災もほとんどうけなかったようすで、ほっとする思いだった。 おさないころをすごした町なみに近くなると、ひとりでにむねが鳴った。道ばたの石ころ一つにも、小学生のぼくが見えるような気がした…」
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佐藤さとる『だれも知らない小さな国』1959

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【スカ2】塚山公園へ
かなり急峻(-。-;
どれだけわんぱくだったのか佐藤少年たちは
「…峠というのは町のはずれにあった。うら通りからつづく細い道が、町のうしろの丘にぶつかっ
て、ゆきどまりのように見える。それでもかまわずに丘のふもとまでいくと、左におれて、きゅ
うな石段があった。それをのぼりつめると、やっとひとりが通れるくらいの、せまい切り通しの
道になる。」
佐藤さとる『だれも知らない小さな国』1959
⭐︎

…このあたりの町は、どこもおなじように、ごちゃごちゃした小さな家と、迷路のようなせまい道と、あぶなっかしい大谷石の石だんとでできあがってしまった。
「…このあたり
から柿ノ谷だ。もう夕ぐれだった。
道のわきには、小川があり(この小川が橋までつづいている)、道はやがて石だんにつながる…
『わんぱく天国 按針塚の少年たち』1977
⭐︎
「…狭い谷戸のどんづまりで、道はこのあたりから、急斜面に刻まれた石段を登ることに
なる。地形を変えたくても変えられないようなところではある。その石段を登りきると、
当時から桜の名所として知られた、神奈川県立の塚山公園がある…
…迷路のような小道が藪の中を縦横に走り、そこを巧みに抜けると、ひょっこり広場にでたりするという、野趣に富んだ公園だった。土地
の少年たちはそういう地理を知悉していて、自分たちの遊び場にしていた…」

『オウリィと呼ばれたころ』2014

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【スカ3】安針塚 塚山公園。家康に仕えた三浦按針(ウィリアム・アダムス)夫妻の墓

「…ここが峠だ。ぼくたちはそうよんでいた。このうす暗いトンネルのような切り通しをぬける
と、ぽっかりと明るい村の景色が目の下にひろがってくる。いままでの町の感じが、いきなり村
の景色にかわるのだ…
…そこには、小さな流れや、迷路の
ような細道があり、いろいろなえものがあった。春はさくらんぼ、夏は木いちご、秋になると、
くりの実やあけびがとれる。やまいもをほるのもおもしろかった。小川のふなやどじょうを追い
まわすのはもちろん、夏休みの宿題の昆虫採集もここでする。学校で使う竹細工の材料もここ
でまにあわせる…
…右がわが高いがけで、木がおおいかぶさっている。左はこんもりとした小山の斜面だ…」
佐藤さとる『だれも知らない小さな国』1959
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「…竹やぶの後ろの山は、もう按針塚―塚山公園の下にあたり、ここからは塚山公園にのぼる近道もある…
…ここから軍港を見おろすながめもすばらしい。だが、花見のころをのぞけば、めったにおとずれる人もなく、たいていは子どもたちの天国だった…」
『わんぱく天国 按針塚の少年たち』1977
⭐︎

後にこの按針塚の真下にトンネルができ、自動車専用道路が通ったことから、周辺は見えないところで景観を変えてしまった。同時に公園の整備も進んで、休憩所
や遊歩道なども作られ、昔のおもむきはなくなっている…
『オウリィと呼ばれたころ』2014
嗟安針氏  
海外漂寓  
有功國家  
報以恩遇
義不忘恩
生死仰慕  
永護江都  
東面其墓
安鍼塚碑 詩 三島毅1914

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【スカ4】
丸木舟から軍艦、新幹線まで
横須賀自然・人文博物館
水源から河口までコンパクトに見られる三浦半島という特異な地形が生み出したもの
横須賀製鉄所でナウマンゾウが見つかるなど
「…そのころの横須賀は、なんといっても天下の軍港だった。
海軍最大の基地があったのだから、軍神をまつった鹿島神社は、たいせつにされていた…」

「…だいたい横須賀市というところは、軍港としてはたいへんにすぐれていたために、むりやり大きくさせられた都市である。
地図を見ればわかるが、三浦半島の先端に近く、東海岸にあって、東京湾のくびれた入り口をにらみつけるような位置にある。ここでにらみをきかせていれば、どんな船も、日本の首府である東京にはもぐりこめない…
佐藤さとる『わんぱく天国 按針塚の少年たち』

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【スカ5】
三浦半島の突端のひとつにある
横須賀美術館
関東学院などの建築系大学、農家、アートを組み合わせた
Koyart(小屋アート)
三浦半島や東京湾向かい側の房総半島で活動
野菜の販売明日まで⭐︎
「…小屋とアートを重ね合わせた造語です。空間やアート、サイエンスを表現する各団体が、主に野菜の販売小屋をテーマにして社会課題に実践的に取り組む「小さな実例」となる作品を通じ、参加団体の活動をご紹介致します。活動を通じて、新鮮な野菜を求め、のんびり、ゆっくり未来を眺めるため近隣や遠方から来られる方と地域のコミュニケーションが広がることを目指します…」
⭐︎
横須賀美術館
https://www.yokosuka-moa.jp/
koyart
https://www.koyart.net/blank
27〜29日には
代官山デザインアート東京でも
https://univ.kanto-gakuin.ac.jp/news/20211014-0001.html

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【スカ6】横須賀三笠公園
「…「明治三十八年の五月二十七日、日本の連合艦隊は、日本海にロシアのバルチック艦隊をむかえうちました。
東郷司令長官は、旗艦「三笠」の艦橋にいて、作戦の指揮をとっていました…
…これが、世界海戦史にいまものこる、 有名な『東郷ターン(転回)」です…」
…毎年、海軍記念日が近づくと、校長先生は全校生徒を講堂に集めてそんな話をした。ことしも、おなじだった…
『わんぱく天国 按針塚の少年たち』1977
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「…町は焼かれ、人は目ばかり光らせていた…
…毎日が苦しいことばかりだったが、また底ぬけに楽しかったような気もする。

家が焼けたことを、まるで得意になって話しあったり、小型の飛行機に追いまわされて、バリバリうたれたりするのが、おもしろくてたまらなかったりした。

これは命がけのおにごっこだったが、なかにはおににつかまってしまう、運のわるい友だちも何人かあった…」
佐藤さとる『だれも知らない小さな国』1959
https://www.kinenkan-mikasa.or.jp/

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【スカ7】ヴェルニー公園 造船ツアーなど
「…いつか日本は、戦争のうずにまきこまれていた。
ぼくの身のまわりも、だんだんきびしくなって、ゆめのような思い出などは、消しとんでしまった。
戦争はますますはげしくなって、ぼくの父も出ていった。
そして、空襲がはじまるころ、船といっしょに南の海にしずんだ…」
佐藤さとる『だれも知らない小さな国』1959
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「…当時、貧しく向学心の厚い少年には二つの進路があった。
一つは師範学校にはいること、
もう一つは海軍の志願兵になることで、海軍でも特に機関科には、さまざまな学校があり、技術その他を教育してくれた。
父はあとの道を選び、五等機関兵からたたき上げて士官にまでなった…
…別れるときには挙手の礼を交わす。いわばもう癖になっている当たり前の仕草だった。
父のほうも、こんなときはただうなずくだけですませる。
それがこのときの父は、さっと足をそろえ、将校マントをはねて真っ白な手袋をひらめかせ、年季のはいった海軍式の挙手の礼を返してくれた。それがぼくの見た父の最後の姿
だった…
『オウリィと呼ばれたころ』2014

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【スカ8】
「…ある日のこと、ぼくは、町で外人の牧師さんから、大声でよびとめられた…
…ぼくは、あきれて、牧師さんの顔を見た。あの黒いかげは、ぼくだけが感ずるのではないのだ
ろうか…」
佐藤さとる『だれも知らない小さな国』1959
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米軍基地に隣接したカトリック横須賀教会は横須賀製鉄所の関係で、幕末1866年に起源
プロテスタントでは、横須賀教会
[ 日キ教会 ]1886が最古か。
戦後は、デッカー大佐の肝煎で始まった衣笠病院1947、カマボコ兵舎で始まった横須賀中央教会[ 同盟基督 ]1948、基地横の横須賀学院1950、
復興を願って創立された横須賀小川町教会[ 日基教団 ]1952、横須賀ルーテル教会1954、設立年は分かりませんが基地横には、国や人種をこえインターナショナルな横須賀バプテスト教会

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【スカ9】すごい空間⭐︎
#さいたま国際芸術祭 で活躍された平川恒太さん⭐︎
横須賀カスヤの森現代美術館で12月19日まで展示中^_^
竹林に囲まれ、常設もボイスやパイクや禹煥なども共鳴。
うっかり
「黒い板」
と思いきや…
トリニティ(広島)、トリニティ(長崎)、トリニティ(福島)…
立体、ペインティング様々。銀座展ともまったく違います。
“Talk to the silence”
11月には対話イベントも
「…本展では、カスヤの森現代美術館が教会をイメージして建てられていることに着目し祭壇画などのキリスト教美術からのイメージや手法を用いながら、平川が予てより取り組む「記憶のケイショウ」をテーマに新作を発表します。
「ケイショウ」とは「継承、警鐘、形象」など複数の意味をもちます。本展では、私たちの記憶から失われていく歴史に、リサーチを通して対話するように…」

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【スカ10】「…世界は、たくさんの国々にわかれています。
大きな国もありますが、なかには、モナコ公国やバチカン市国のよう
に、豆つぶのような小さな国も、いくつかあります。
ところが、そういう小さな国とくらべても、まだまだけたはずれに小さ
な国があります。
それも、遠くではありません。
遠いどころか、日本のすぐとなりにあるのです…」
佐藤さとる『だれも知らない小さな国』1959

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