幸い(さきはひ) 第十章 ①
第十章 第一話
盛りを迎えた花の花弁が、とある洋間の一室に迷い込む。
小さな舞姫はひらひらと華麗に舞い、テーブルの上に優雅に着地した。
それを合図にしたように部屋にいた男は、自分の対面に座ったもう一人の男に、瓶に入った液体を差し出す。
「これで最後になります」
そう告げる表情は重く、深く、沈んでいる。
「すまない」
差し出された男は頭を下げ、それを受け取る。
いつもなら受け取ったらすぐに帰るはずの男は、席を立とうとしない。
代わりに傍にいた従者にそれを渡し、下がらせると本人はそこに残った。
眼前に座る男に聞きたいことがあったからだ。
男はずっと胸に秘めていた疑問を目の前の男に、率直に尋ねる。
「あの子はどうして桐秋のためにここまでする。
あの子はいったい何者だ」
問われた男は今日が最後と言った時点で、この質問の予想がついていた。
・・・覚悟を決めていたつもりだった。
が、これから話すことは胸がひどく搾り取られる。
男は乾いた口に机に置かれていた緑茶を口に入れる。
含んだものはまずい。
もうここにはお茶を上手く入れられるものはいない・・・。
男は茶の半分を一気に流しこむと、味を感じないよう一口で飲み込む。
それから一拍《いっぱく》置くと、ゆっくりと口を開いた。
「あの子は私たちが殺した女性の娘であり、私たちの最愛の人を殺した男の娘ですよ」
その言葉に“尋ねた男”南山は息を呑んだ。
「昔、帝国大学にいた北川春朗《きたがわしゅんろう》という男を覚えていますか」