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シン・ウルトラマン観た -特撮ファンのファンメイド映画-

僕は特撮ファンではない

 僕は特撮ファンではありません。
 人並みの男の子として、子供のころは「ウルトラマンになりたい」とか「仮面ライダーになりたい」とか言っていた気はしますが、最後に見た仮面ライダーシリーズは確かアギトでした。卒業は多少早い方だったと思います。
 特撮を見なくなった理由は、単にいわゆる「ニチアサ」に起きるのが辛くなったからだったと思います。あとは……戦隊シリーズやライダーシリーズに通ずるストーリーの空気感みたいなものが、年齢を経るにつれ合わなくなってきた、という理由もあったように思います。
 とはいえ、フォーゼはちょっと見てました。あまりにもフォームが特殊すぎたので、どうしても興味があって序盤の数話は視聴しました。ただ……メテオのデザインが……好きじゃなくて……。

 そんな僕ですが、「シン・ゴジラ」は見ました。ゴジラシリーズはマジで一作品も見てません。話題性に負けました。友人に誘われて立川の映画館で大音響上映みたいなやつを見たことを記憶しています。上映時間を把握しておらず、ヤシオリ作戦の前の地下室での会話くらいのところでどうしてもトイレに行きたくなって、ここしかない! と思ってトイレに抜けたこともよく覚えています。評判通り、大変面白い作品でした、「シン・ゴジラ」。

 その数年後に上映された「シン・エヴァンゲリオン」も見に行きました。当然エヴァンゲリオンシリーズも一作品もまともに見ていません。友人にエヴァ好きが多かったので誘われました。流石に最終作品を見に行くなら……と思って前日までにシン・エヴァ3作品を見てから行きました。序中盤のポカポカストーリーとか終盤の最終戦のやつとか賛否両論あるみたいですが、僕はジュブナイルとしてすごく好きな映画です。

 その後発表された「シン・ウルトラマン」。ウルトラマンシリーズは子供のころちょっと見た気がしますがもう覚えてません。既に「シン」を2作品見たわけなので、これは見に行くしかないだろうと。見に行きました。

※ここからガッツリネタバレあります













これ特撮ファンじゃないと楽しめない映画だ~!

 ガボラ戦あたりでうすうす感じてたんですが、ザラブ編で確信に変わりました。これは特撮が好きだとか、ウルトラマンを見ていたという人じゃないとちょっと楽しめないかも……。
 少なくとも、「シン・ゴジラ」を見て、「シン・ゴジラ」みたいな作風をイメージして見に来た人は結構面食らうと思います。これは特撮ファンが、ウルトラマンが好きな人が作った特撮ファンやウルトラマンへのラブコールの映画だ!

何が「シン・ゴジラ」と違ったか

 ものすごく端的に言うと、「シン・ゴジラ」で観客(ぼく)ができていた科学ごっこが、「シン・ウルトラマン」ではほとんどできなかった、というのが大きかったのかなと思っています。

物分かりが良すぎる

 ウルトラマンが味方だって確信するの早すぎない? 人型巨人が襲来して怪獣と戦って帰ったからと言って、次に現れたときも味方だとは限らなくない? みつどもえの関係の可能性あるじゃん?
 
ここがガボラ戦で気になってしょうがないな……と思いながら見てたらザラブ編でその話が出ててやっぱそうじゃん! ってなりました。
 「シン・ゴジラ」は一応科学っぽいことをやってるので、敵の行動分析や攻撃を繰り返しながら、その怪物がどういう性質を持っていて、何が人類にとって脅威で、どうすれば撃滅できるか、というのをトライアンドエラーでやっていってるんですよね。でも「シン・ウルトラマン」は、ウルトラマンがこっちを一瞥して怪獣をどっか持って行ったら「あれはアイコンタクトに違いないわね」ってなる。いやいや早急やろ! って感想になる。

攻撃が……何?

 撃てるなら最初から気円斬を撃てーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!!!!!!!
 その縦回転は何だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!
 
いやわかる、最初から必殺技出したらロマンがないもんな。でも謎のグルグル回転キックが出たら初見だとどう反応していいかわからんのよ。

「特撮」のお約束がわかってると楽しい

 実のところ、上記の「グルグルキック」なんかは、ウルトラマンファンにおいて「回れば何とかなる」というミームが成り立つくらいお約束らしいです。昔の特撮では、アクターにできない動きを表現するために、人形をグルグル回転させて必殺感を出す、みたいな手法が使われてたとかなんとか。

 この作品は実はウルトラマンシリーズの最初期の「ウルトラQ」および「(初代)ウルトラマン」のリメイクに近い立ち位置らしく、ウルトラマンファンにとっては垂涎の展開がいくつもあるようです(一緒に行ったウルトラマンファンボの友人に教えてもらった)。僕もゼットンくらいは流石に知っていたので、「1兆度の火球」の話が出てきたときはちょっと興奮しました。

 他にも、僕は一応ウルトラシリーズをほんのちょっとだけ知ってるので、最初のタイトル部分のぐにゃ~ってやつとか、ウルトラマンの例のスーパーマンポーズとかも、出てくるだけでリスペクト感じてちょっと興奮するところがあります。僕は見た瞬間絶句してそれ以降の記憶全部曖昧になってるんですが、もしかしたらラストバトルラストシーンのあの場面もなんか元ネタがあって、ファンからしたらすごく感動的なシーンなのかも。僕は「シン・エヴァ」のラストバトルである程度耐性ができていたとはいえ、流石にあのシーンは苦笑を禁じえなかった。

 下記レビューで見たんですが、「ウルトラマンシリーズのお約束を現実的な部分に落とし込んで説明している」というのが、「シン・ウルトラマン」の立ち位置としては重要だそうで。

 確かに、「シン・ゴジラ」もやっていることは多少似ています。ゴジラが実際に日本に現れたら、日本社会はどのくらい混乱するのだろう? 世界はどうやってゴジラに対抗するのか? それをある程度現実的な目線で落とし込むことで、人類にとって「怪獣」とは何なのか? というテーマを描き出しているようにすら思われる。ここにおいて重要なのは、「シン・ゴジラ」がなぜ存在できるのか、という科学的考察は後回しにしていること。「シン・ゴジラみたいな生物が実在できるわけないじゃん!」という感想はナンセンスでしかないから、そんなことは考えなくていい。

 「シン・ウルトラマン」で現実的に落とし込まれているのは、「スペシウム光線ってなんやねん」とか、「1兆度の火球を生み出すエネルギーなんてどうやって出すねん」とかそういうことになります。僕がゼットンを知っていた理由は、「空想科学読本」が流行った世代だからです。ゼットンの火球を地球上で出したら、劇中でも言及されていましたが、太陽系が滅亡する。同じようなネタでポケモンのマグカルゴとかも有名なので、「シン・ポケットモンスター」とかできそうだな……などとゼットンのシーンで考えてました。
 ただ、これだけだとまだ説明できないところが、劇中でどうしてもちらつくんですね。それはたぶん僕がウルトラマン、ひいては特撮ファンではないからです。「シン・ゴジラ」が核エネルギービームを撃てば、僕はそういうものだとわかる。なぜならゴジラシリーズをまったく見ない僕でも、ゴジラがビームを吐いてるシーンは見たことがあるから。さらに、劇中では「シン・ゴジラ」が核エネルギーを元に動いているということがざっくり説明されています。じゃあビームも放射性物質を含んでてもおかしくないなと。でも「シン・ウルトラマン」はウルトラマンを見ていない僕には「なんでウルトラマンがグルグル回るんだ?」が気になる。たぶんウルトラマンを本当にまったく知らない方が見ると「なんで変身するのによくわからんスティックみたいなのがいるんだ?」とかまで行くかもしれません。
 「シン・ゴジラ」がヒットした理由は、日本人が「ゴジラのイメージ」をあまりにも共通的に持っているせいもあるかもしれません。少なくとも、「シン・ウルトラマン」が含む「特撮コンテクスト」は、「シン・ゴジラ」のそれより強いように感じました。

高度に説明されたSFは現代科学と区別がつかない

 もうひとつだけ、多次元宇宙の説明は要らなかったんじゃないか? と僕は思っています。人間がゼットンという超科学的脅威に対抗するために、ウルトラマンから授かった友情パワー(超科学知識)で全人類が団結する! という展開は確かにアツい。けど、それが超科学を陳腐化しつつ、さらにストーリー的に新たなる脅威も生み出しちゃってるんじゃない? というのが頭をかすめる。
 「シン・ゴジラ」が人類にとって「怪獣」とは何か? というのを描き出している(ように思える)ように、「シン・ウルトラマン」が描き出したかったことのひとつは、「人間の二律背反的な勇気」だったように思います。
 僕が劇中通じて一番好きなシーンは、ガボラ戦(だったかな?)で、禍特対メンバーが禍威獣対策で山に行くときに、虫がパソコンにつくのを見ていやがっているシーンです。なぜなら、あのシーンでは「禍威獣の存在が日常的になりすぎて、人類を脅かす恐怖に麻痺し始めていること」が描かれているからです。これはラストシーンでのゾーフィの言葉が対比的で、「死にたくないと思いながらも、死を恐れず立ち向かう勇気」が人間のすばらしさなのだ、というようなことを言っています(これが一番うろ覚え情報なので間違ってたらマジですいません)。目の前に致死級の危険が迫っているのにも関わらず、目の前の虫への生理的恐怖が一時的に勝っている。これに似たような話はもう一個劇中であって、スペシウムやプランク次元の科学技術を聞いて絶望した禍特対メンバーが、「超科学の存在に人間があらがえるわけがない」という話をしています。
 直前にメフィラスとのやりとりがあったからこそ、人類が超科学を手に戦う、ということの説得力が与えられてるわけですが、逆に言えば人間の「科学」の形式に外宇宙の超科学が押し込められたことで、「人間がいつか到達できる境地」にまで、超科学が陳腐化されているのではないか? と思います。正直、ウルトラマンと全人類の友情パワーで元気玉的にウルトラマンにパワーが集まって、ゼットンを撃破するとかでも観客は納得できたんじゃないの? とすら思う部分があります。
 僕はクトゥルフ神話TRPGをやるんですが、クトゥルフ神話というのはもともとコズミックホラー、つまり「理解できないものへの恐怖」を扱ったものであるにも関わらず、クトゥルフの怪異や神格の情報があまりにも周知のものとなってしまい、その恐怖が薄れているという問題があります。そういうことが起こってるんじゃないの? と思います。超科学は超科学であるまま、説明されない方がいっそ観客は納得できる。スペシウム133はスペシウム133です。という説明くらいがちょうどいい。
 あと、シンプルに「人類がウルトラマンの技術を得ると全宇宙の脅威になる」ってゾーフィが警告してるのに、ウルトラマンと人類がゼットンを撃破したところで、「やっぱ人間生きてた方がいいわ」って宗旨変えしてるのが気になった(後半あんまり覚えてないから本当は違うかも)。いや僕も人類滅ぼした方がいいと思うよ。ザラブやメフィラスがもたらした技術による政治的混乱、描かれてないだけで絶対全宇宙を脅かすから。ザラブやメフィラスなんか目じゃないくらい、人類の歴史は侵略の歴史ですからね。

特撮を楽しめ!

 モヤったところは全部書いたので、ここからはよかったところを書きます。僕は「シン・ウルトラマン」は面白くなかったと言いたいのではなく、「特撮ファンじゃないとこの映画を楽しめないかも」と言いたいだけで、「特撮としてしっかり面白い映画だった」と思っています。
 ザラブの特撮っぽいキャラ作りとか能力とかも好きでした。透明化とか電子機器を壊すとかは、昔の特撮でどんな風な画になるだろう、ってのがスーッと頭の中でイメージできて面白いですよね。キャラクターや設定やCGや戦闘シーン全体的に好きなのはメフィラス編で、ストーリー的にもかなり重要な位置の話であり、非常に完成度の高い内容でした。メフィラスとの戦闘シーンの音楽もすげー好きだった。音ハメが最高。
 特撮のよさって戦闘シーンだけでなく、人間ドラマ的な側面もあると思います。「シン・ウルトラマン」で描きたかったことのもうひとつは、人間ドラマを通して描き出されてるのではないかなと思っています。それについては下記レビューがしっくり来たのでリンクを貼ります。

 誰のツイッターか忘れたんですが、「ウルトラマンって人間が好きなんだ、ってことが結論」みたいな感想を見たのを覚えてます。人間の信頼関係っていうのはめちゃくちゃ非合理で、友情だの「バディ」だのあまりに曖昧に見える。それを理解しようとすること、その先で互いに理解し合おうとすることで、ウルトラマンもまた「人間くさい」存在に変わっていく。

 ていうか、そもそも「特撮映画」ってまあいろんなアスペクトで楽しめると言っても、デカいやつや変な形状の怪物がバシバシ派手に戦ってるの見て カッケー! ってなればそれで正解なんだと思うんですよね。変な前提を持って見に行ってしまった僕がはっきり言って悪い。もう一回見れば、特撮映画として頭をまっさらにして見れるのかも? とも思っています。

シン・仮面ライダーも見たい

 と、いうことで、「シン・ゴジラ」を僕みたいな視点で見ていた人は注意してね、というだけで、「シン・ウルトラマン」は楽しい特撮映画でした。話題も話題なので、ぜひ一度見に行きましょう。米津玄師の「M七八」も、YouTubeに上がっているMVのコメントにありましたが、劇場で聴くとまた違った広がりがあって感動もひとしおです。

 逆に言えば、「シン・ゴジラ」も「シン・エヴァ」も「シン・ウルトラマン」も見たわけなので、たぶん「シン・仮面ライダー」もいずれかのアプローチに類するのでは? と思っています。とくれば、僕はもう「空想科学映画」としても、「特撮映画」としても楽しむ準備ができたわけです。とはいえ、ゴジラもエヴァもウルトラマンも基本巨大なのに仮面ライダーだけ人間サイズなので、またなんか違った感じになる可能性はあるな……。

 「シン・仮面ライダー」も、友人引き連れて見に行こうと思っています。

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