見出し画像

2021は心に脂肪がついた年だった。

自由に解き放たれた私は何かを失ってしまったのか。

「JKバックパッカー」から「社会人」「ノマドワーカー」「大学に行かないアフリカ少女」そんなふうに皆の私をディスクライブする肩書きは変わっていった。

学校の単位を心配することはもうないし、学生割引は使えないし、課題や授業の時間に焦ることはないし、学生団体の定例ミーティングはもうないし、そんな変化が私に「もう前の私なんていない」ということを呼び覚ます。

卒業式を終え、4月から南アフリカのコンサル会社のメンバーとしてパソコン一台でアフリカ大陸と繋がり仕事に励み、秋までに40都道府県を旅し、60軒近くの友達の家に泊めてもらい、毎日ヒッチハイク生活をし知らない人のおうちに泊めてもらい、毎週のように企業訪問をし、旅先でバーテンダーから農家まで多種多様な短期バイトを経験し、選挙応援や政治インターンで嵐のように感情揺れる日々を過ごし、たくさん講演会でお話しさせていただいた。

どこにいても誰といても自分のコンフォートゾーンを生み出すのが得意だったから、毎日旅をしたし、ストレスを感じることなく多くの人間と暮らした。

自分が目を向けなかった世界を見ようと、ユーモアとコンテンツしかない日々を無我夢中で生きていた。

私を縛るものなんて何もなくなったから、自由に解き放たれた私はあれもこれも挑戦して私の中に経験と感情が積み重なっていた。
が、しかし、結果的に挑戦が当たり前になった日常に刺激がなくなり恐ろしく悲しくなった。

何をしても、刺激が、ない。感情が、揺れない。

アフリカのパワフルガールと呼ばれ毎日爆発を起こすくらいに尖りまくりで理想を見ていた高校時代を思い出しては戻りたくなり、しかし、そのような私はもう存在せず、変わってゆく自分を常に感じた。

消えた感覚


それまで何も知らない自分は、
新しい世界を見たら興奮してそこしか見えなくなり、
美しい景色を見たら感動して涙を流した。
優しい人に出逢うためにどこまでも旅をした。

でも、たくさんの人間と出会った私には、だんだんと社会を包み込むような絡まりや、物事の裏にいる悲しむ人間やしがらみが目に見えるようになってきて、それが少し寂しかった。

前の感覚を、取り戻したい。
真っ直ぐに、よじれることなく世界を見たい。


ずっと、そんなことを毎日感じていた。

人との関係性は劇的に変化した。
自らが多くのコミュニケーション量を欲しなくなったからだ。

毎日洋書を読んだ中学生活、海外経験・校外活動が当たり前な高校生活を歩んだがために自分の見えなくなった世界に触れようと自分と程遠い世界に赴いた。

その結果、仕事で携わるデジタルアクセラレーションのサービス展開で南アフリカ人のメンバーと頭を抱えて戦略を練ったり、東京にいる時は経営者との会食に毎週参加したりする私が存在し、と同時に、
バーテンダーとして働いたお酒の場にいるお客さんにとっては「ハオが子供産むときは〜…」と結婚・出産する女性の私が存在して、
30年間離島から出ていないおじいちゃんからは「え!ハオちゃん、なんで黒い人のためにアフリカなんて行っちゃうの?」と驚かれ、
キャバクラで働く友達からは「私には海外に行くお金なんてないから‥」という言葉を聞き、
家庭環境が異なる友達にとって私の「この前私のお父さんがさ…!」というたわいもない会話で傷つけてしまうのではないかと言葉を選んだ。

私は幼い頃から人を傷つけることに大きな抵抗があり、また、旅している私にとって「自分の世界を変える」ことは容易なことであった。
だからこそ、他人の悪気ない「当たり前」で独断的なアイデンティティに当てはめられ、虚構でもリアルでもある複数の私が人を傷つけまいと働き、私は自分から自然に出る言葉に自信を失い、コミュニケーションが消極的になり始めた。

周りの友達に会うたびに「変わったね〜」「落ち着いたね」と声をかけられる。私が私らしくない。

聞く側に徹することが多くなった私は、たくさん相談を受け、人の心の奥深くまで見させてもらった。それは自分が欲していたことでもあった。旅中に出会ってプロフィールを紹介し合ってインスタを交換するだけの関係値でなくて、大切な人ともっと深く、深く向き合いたいと。

人を理解するのに、自分の意見があるならその真逆の立場にいる人も存在するはずだから、あえて過激思想をもつ人や本に触れ続けた。

平均値をとり共感性を生むような自己啓発本や設定されたゴールに誘導しがちなイベント、都合の良いSDGs、薄情な人間などはすごく毛嫌いして、
一人一人の物語を感じようと大切な人のために死や愛、孤独について模索し、葛藤した。

その中でだんだんと自分のなりたい人間の姿は「すごい人をしている人」でなく、
思考の範囲が超越し自分でも気づけない自分に気づかせてくれたり、繋がっていない時でも温もりを与えてくれたり、人を傷つけることが要されても本来の自分の姿を見せられたりできるような、人間味のある姿に変化した。


生まれて初めて愛に向き合ってその発生を感じた。それは能動的でいかにも人間らしい挑戦であり、切なくも人間の優しさを感じさせてくれるもので、自分の中で受けいれるというスペースができたように感じた。

それから知ったのはどこまで行っても人間は孤独ということ。それには逆らえないし、それから逃げようとしても無力だ。
人間は核兵器で世界を滅ぼしてしまうくらいの力があるのに、寂しい時は愛情が風船で飛んでいってしまうのではないかと思うくらいに儚い。
ずっと愛おしくてたまらない、赤ちゃんのような対象がいたらいいのにな。

一人で本を読む時間は尊く、色んな思想や人間について本からの知識を得ては涙を流し、友達とディスカッションする日々を過ごしていると、私の中には色んな思想をもつ自分が形成された。色んな自分が色んな物を欲している。

頭と心が分離した自分もたまに存在した。そんな自分に飽き飽きして静かに錯乱状態の日々を過ごした。


と同時に、そんな時でも自分と寄り添ってくれるような友達とは、より深い関係性を構築できるようになった。

年末に近づく頃には、友達にステキな音楽と映画と文章をおすすめする、そんなことができるようになった。

つまり、それくらい一人一人との時間と向き合ってその人の感性と自分の感性を重ね合わせたり比べたりできるようになった。


きっと生まれてきた星は間違っていない

私は幼い頃から幾度となく、自分の感性に共感してもらえない経験をし、「生まれてくる時代間違えたわ」「生まれてくる大陸間違えたわ」なんて言葉を笑いながら口にしていた。

今、
自分が一番予想できなかった高卒で自由に動く自分が存在している。
飲み会で大学生の友達が発する「人生設計」や「就活」「安定」という言葉に驚きを隠せない。
一体、私は一年後、どこにいて何をしているのか1㍉も検討がつかない。

でも、数日前、友達が「葉織はN数1の人だよね」と教えてくれた。

そうやって一人の人間である自分を全体性として捉えるようにできようになった変化を感じると、生まれてくる星を間違えなくて良かった〜地球に生まれてきて良かった〜。なんて思う。


自由に解き放たれた私は何かを失ってしまったのか。

この題に対して、
一年前の私の想像した「高校卒業後の自分」はどこにも存在していないし、予想外にも外部からの刺激と感覚を失う経験をした。

しかし、この一年を通して自由になった私は人間として成長して生き方の精度を上げる努力をし、自分に向き合ったことで自分の内部で能動的な成長を繰り返し、心に脂肪がついた。

長くも短くも私が生きたのは19年。
2021年で、これからの人生で人を受け入れ自分を受け入れる準備ができた。

きっとこの大きすぎる成長は今後アフリカで自分の事業に向き合うときや大切な人を救うとき、見ず知らずの人を幸せにしたいときにも大いに役立つと思う。


私は炎を失ってしまったのではない。今はジリジリと線香花火のような炎を永遠に灯し続けているのだと内省した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?