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ねがいごとをもつことは 途中まで行ったのとおなじこと

これは、絵本研究者の正置友子さんがご著書『絵本の散歩道⑤ 絵本があって 花があって』(1994年創元社)にサインとともに書いてくれたことばだ。

正置さんは1970年代から90年代まで大阪のタウン誌「千里タイムズ」にエッセイ「絵本の散歩道」を書いていた。それをまとめたのが「絵本の散歩道」シリーズ全5巻である。

その頃、大阪に住んでいた私はこのエッセイが大好きで、毎週「千里タイムズ」が届くのを楽しみにしていた。あるとき、私が通っていた「絵本の会」に正置さんがゲストで来ることがわかり、これはチャンスとばかりに、このシリーズ全巻を大人買いした。正置さんは各巻にサインと短いメッセージを書いてくれたが、いちばん心に残ったのが5巻のこのことばだった。

当時の私は、いつか童話作家になりたいと思いながらも、子育て真っ最中のバタバタの中では、そんな夢みたいなことを願ってもなぁ、と半分諦めに似た気持ちもあった。しかし、「ねがいことをもつことは、途中まで行ったのとおなじこと」だという。えーっ、本当に?と疑うような気持ちと、そうであってほしいと願うような気持ちで、その後の人生を歩んできた。そして、諦めずに書き続けてきた結果、2冊の児童書を出してもらうことができた。

久しぶりにこのことばを思いだしたきっかけは、サッカーW杯だ。日本の敗退が決まったあと、森保監督は「国民の皆さんに新しい景色を見せられなかった」と残念がった。けれど、あるバラエティ番組のコメンテーターは言ったのだ。「新しい景色はもう見せてもらった」、と。そのことばを聞いて、私はハッとした。

森保監督が言う「新しい景色」とは、決勝トーナメント一回戦に勝ってベスト8入りしたときに見られる景色のことであり、コメンテーターの言う「新しい景色」とは、監督と選手たちがベスト8進出を賭けて全身全霊で戦い、その一歩手前まで行った姿だ。特にクロアチア戦は最後までどちらが勝つかわからない真剣名勝負だった。彼らが「新しい景色を見せたい」と強く願ったからこそ、私たちにその景色が垣間見えたのではないだろうか。

これからも彼らが「新しい景色を見せたい」と強く願い、そのための努力をし続ければ、いつかその願いは叶うだろう。

ねがいごとをもつことは 途中まで行ったのとおなじこと

このことばをサッカー日本代表チームに捧げると共に、ねがいごとをもつすべての人に贈りたいと思う。

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