加害と被害



きのうレイトショーを観てきた。映画「怪物」。上映が終わった後、しばらく座席から立ち上がれなかった。いつも一人で歩く時はイヤフォンで音楽を聴くんだけど、きのうは心がいっぱいになりすぎて音楽すら受けつけることができず、ただ雨の音だけを聞いて帰った。何を書いても薄っぺらくなりそうで言語化するのがこわいけど、いま思ってることを少しだけ共有する。
わたしたちは、物事を自分の都合のいいように解釈して、行動している。誰かに向ける優しさや正義って、本当に100%その人自身のためのもの?誰かを助けたい、守りたいっていう気持ちに偽りはないと思う。ただそれと同時に、自分の中にある悲しみや苦しみ、怒りなどの感情を、優しさや正義といった行動で解消しようとしていないか。理想の自分(強い母、いい先生、etc)を押しつけていないか。
ジャンプに出てくるような、いわゆるヒーローと悪者って現実の世界にはそういなくて。実際の問題はぐっちゃぐちゃに絡み合っていて、自分が見えているものは、ほんの一部分でしかないんだなって思った。
あと、自分のことを被害者だと思うことは簡単かもしれないけど、自分が加害者になっていることに気がつくはむずかしい。人のためと思ってやったことでかえって、傷つけてしまうこともある。自分の行動はぜんぶ自分の価値観に基づくもので、相手の価値観は目に見えるものじゃないから、完全に理解することはできない。特に大切な人のことだと主観的になってしまい、なおさら視野が狭くなってしまう。無意識に傷つけないため、優しさを振りかざさないため、なにができるだろう?
仕事のことも少し考えた。悩みがある人、辛い経験をした人、社会的に弱い立場にある人たちのお話を聞く機会が多い。その度に、寄り添うってなんだろうって考える。というかわたしに、寄り添う資格なんてあるんだろうか、とすら思う。綺麗事並べてるだけなんじゃないかな、とか、逆に傷つけてしまうんじゃないか、とか。言葉に責任を持たないとと改めて思ったし、
この映画を観た人と語りたい。そしてわたしはたぶん、もう一回観に行くかも。Amazonプライムも便利だけど、映画館で見た方が伝わってくるものが断然多い。街に映画館があってよかったな。

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