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末っ子の妹から、あんちゃんの人へのお手紙

読み返すほどに、この記事が好きになる。微笑ましいし、あたたかい。最近は温度を感じる記事に心が鳴りやすい。

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わたしには姉と兄が一人ずついる。
「義理の」まで範囲を広げると、さらにひとりずつ姉と兄が増える。
この先、よほどダイナミックな出来事が起こらない限り、わたしの人生に弟や妹という人は登場しない予定だ。

私には、妹と弟がいる。妹とは4つ。弟とは7つ離れている。

私は昔から、彼らに「あんちゃん」と呼ばれている。

最初は、なんて昔気質な呼び方、と思った。でも後に記載されている通り、確かに今なら女の子の名前のように聞こえるんだろう。意味と音韻で性別が逆になるなんて、興味深い言葉だなという新しい発見。

でも今は、「あんちゃん」と呼ばれるのが好きだ。他の呼び方よりもずっと、距離感を近くに感じるし、かっこつけなくていい、ゆるい自分でいられる安心感を感じる。

姉や兄がわたしに「ねえちゃん」「お兄ちゃん」と呼ばれるのをどう感じているのか、わたしは知らない。

彼らは年子なので昔からあまり上下関係はないらしく、逆にわたしとは年齢差がありすぎて、いわゆるきょうだい関係の距離感は計りにくい。
ふたりともわりと大幅に変わった人だから、何も考えていなさそう。

兄は変な人なのでそもそも何を考えてるかわからないし、姉は世界一わたしに甘い人間だが、妹だけで飽きたらず、いろんな人の世話を焼いてばかりいる。“ステークホルダーみんなの姉”みたいな人に見える。

20を超えてくると、年齢の差をほとんど感じなくなり、兄弟の距離感は徐々に近づいていくような気がする。段々と、対等な関係性に変わっていく。

これには深く共感できる。

母のおなかの中にいた時から存在を知ってる人間が、世に出てきて、赤ん坊から子ども、大人になっていく過程のすべてを彼らは見て、覚えている。
わたしの場合、対等な関係性にはたぶん死ぬまでなれない予感がしているけれど、社会人として仕事をして、結婚して子どもまで産んじゃった小さい妹のことをどんなふうに見ているのか、いつか訊いてみたいなと思った(姉に)

にいちゃんではなく、あんちゃんであるからこそ、兄と妹、弟という枠を少し外れた違う関係性が築けたのかもしれないとふと思う。

否定ではなくて主観だけど、山本さんはなんて呼ばれていようと、どの角度から見ようと、どうしようもなくお兄ちゃんだ。
まなざしの温度がお兄ちゃんだし、受け皿のサイズ感がお兄ちゃんにしか見えない。
筋金入りの「末っ子の妹」が、強く強く主張したい。
呼称や関係性の枠とはまったく別物の次元で確かに存在している雰囲気、趣き、気配の温度が、とっても「あんちゃん」だとわたしは思う。

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この作品は、共創プロジェクト『不協和音』の作品です。このプロジェクトでは、エッセイを通してお互いの価値観や発見を共有し、認め合う活動をしています。プロジェクトについて興味を持ってくださった方は、以下の記事も合わせてご覧ください


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