学童を辞めた理由 ①

 就業時間を削られ、給料も減らされて、仕事は山のようにあるのに残業してもジレンマで気が狂いそうになるだけなので、努力して定時に帰ろうとしている。しかし大体は難しい。気付けば30分以上過ぎていた…なんてことは日常茶飯事で、自分に腹が立ってイライラ。それでも仕事が終わらずイライラ。結局何に苛立っているのかさえわからなくなってくる。
 嘗て世を騒がせたある事件をきっかけに、放課後、学校の運動場が遊び場として開放される機会が減ったようであるが、うちに関しては一定時間まで開放されている日もある。また、隣接している放課後児童会が外遊びに大方使用しており、地域のスポーツクラブが週に何度かサッカーの練習場所として借り受けていることもあって、児童が帰った後も運動場はそれなりに賑やかだ。
 この日の最終下校時刻は午後4時半。放課後、運動場開放を終えての最終下校時刻である。
着任当初、終業時刻は5時であったが、報連相がうまくいっておらず、子どもから聞いたままに、4時半までの図書室開館を一年以上続けていた。お陰で仕事は終わらず、書架の片付けも終わらず、児童を送り出した後は毎日半泣きになりながら雑務に追われた。
 その後、実態を知らなかった職員との話し合いで、【放課後開館は4時まで】に変更され、利用者対応以外の仕事を片付けるために一時間は確保されるようになったのだが、まぁ定時で素直に帰る子はおらず、残業は減らない。要は気持ちの問題で、余裕0だったのが1か2に増えただけでも大きな進歩であった。
 とはいえ、4時半までの放課後開館が悪いことばかりでもなかったのだ。
 
 私が着任する前、三ヶ月で司書が三人変わったせいか、書架の整理整頓が行き届いておらず、何が何処にあるのか新人には理解も判断もつかない状態だった。児童にレファレンス対応を求められても、授業がフルで詰まっているので、事前に確認する暇もなく、また、分類など全く無視された状態の書架に、利用者は返却の本を放り込む。片付けの信憑性ほど信用できないものはなかったが、まさにトイレに行く時間を見つけることさえ困難を極める忙しさだったため、合間を見つけて書架を整理するということなど到底不可能であった。
 一学期の授業を一ヵ月熟した直後、蔵書点検作業が既に日程として組まれていた。機械は市内全校共有なので、個人の都合で変更することが出来ない。手順と機械の操作方法を他校の司書から教わり、当時図書担当をしていた教員に手伝ってもらって行ったのだが、結果、蔵書の2割近い不明本が出て慌てに慌てた。何処を探しても見つからず、また、その際に初めて、日本十進分類法に基づいて、書架が分類されていることを知ったのだった。とはいえ実際は分類などまるで無視。ありとあらゆる本がそこかしこに放り込まれている。夏休み中の勤務は、二学期に向けた二校分の片付けが仕事の主体になった。
 夏休みは児童や保護者に対する夏休み開館として出勤を求められていたので、開館はしており、ちらほら利用者は現れたが、司書はひたすら片付けに専念する。
 本来夏休み開館というものは、夏期休暇中の児童に対する居場所づくりや、普段利用する機会のない保護者に対し、学校図書館を周知する目的を兼ねている。しかしその年のうちに、私がそれをきちんと理解することはなかった。後日、夏休みの利用者数の集計を求められ、開館中、どのようなイベントを行い、集客に努めたか…というアンケートを取られた。結果は教頭会などで報告され、市内全校の統計が司書にも回ってきたので驚く。私は引継ぎどころか何の説明も受けずに行った夏休み開館がどういうものか、それを見て初めて知ったのだった。
 どこもかしこも趣向を凝らしたイベントを行い、相当数の利用者が集っていた。イベント内容に【書架整理】と書いたのは勿論、唯一私だけ。そもそも引継ぎ事項にすらなかった案件だが、準備するだけでなく、起案する時間も考えも必要性にも気付かなかった。前任者が、「こんな仕事続けてられへん。大変過ぎる!」と言って去って行った姿が何度も過った。
 小規模校で、片付けを手伝ってくれた児童がいた。着任して一ヵ月足らず。週二日で授業も3回ほど経ただけなので、いくら小規模とはいえ、全校児童の顔と名前を一致させるのは難しい。すごく可愛い子で、体形やその落ち着き具合から、4年生以上だったと思われる。
「こういう片付けとか好きやねん」
 そう静かに呟いて、黙々と作業を手伝ってくれた。
「明日も来るわ」
 十日ほどの夏休み開館中、二・三日であったが、彼女は片付けの為だけに来館し、作業面だけでなく、司書のストレスを和らげる重要な即戦力として活躍した。
 彼女のことは決して忘れないほど助けられたのに、誰だったのかが思い出せない。基本、顔と名前を覚えるのは得意なのに、業務が膨大過ぎて余裕がなかったのか、彼女が控えめ過ぎたのか…。その学校には二年以上勤務したので、何人かの女子に当たってみたが、誰も首を縦に振らず、結局あの子が誰だったのか判らず仕舞いになってしまった。
 大規模校では、蔵書数が小規模校の倍を超え、先ず、処分しなければならない本を抜粋することから始まった。修理不可能なものが山のようにあり、書庫にも勿論入りきらない。はみ出し、上乗せされ、小口がこちらを向いているなんてことは珍しくない。本が棚の高さに合わず、背表紙を下にして入れられているものが少なくないのは、どちらの学校でも変わらなかったが、背表紙が見えないのに本を探せるわけがない。書架整理は整理というより、書庫から棚を一人で移動させたことも含め、リフォーム宛らの事態となった。
 どうしても二学期に間に合わせたかった。
 三千冊もの不明本は普通じゃない。
 前年度まで勤務し、市内の他校へ異動した司書に連絡を取ると、彼女の前任者共々、サポートに駆けつけてくれた。
 問題の本は書庫にあった。小規模校にはなく、大規模校にはあったそこは、鍵がかけられ、児童向けに【立ち入り禁止】の貼り紙がされていた。中に入って思わず仰け反る。棚という棚には古い本が縦に横に押し込まれ、寸分の隙間も見当たらない。床は敷物が見えないくらい物が散乱しており、足の踏み場もなかった。掻き分け、時に踏みつけながら、二人について入ると、突き当りの奥にいくつもの段ボールが積み上げられていた。重みでひしゃげ、重心が何処にあるのかもわからない。
「これちゃうか?」
 開けてみると中には、学校の蔵書であることを示すバーコードがしっかり貼られていた。どうやら、除籍するために引き上げたものの、作業が追い付かず、引き上げただけで放置されていたらしかった。
 気付けるわけがないと思った。
 先ず、鍵がかかった場所を探検する暇もない。入ったところでこの有様。何処をどう触れと言うのか…。
 三人がかりで十数個の段ボールを運び出し、バーコードをスキャンしていく。不明本は大分減ったが、それでもまだ全然足りなかった。本が密集した書庫の中に、〝不明〟とされているものが潜んでいる可能性が充分にある。既に勤務時間は過ぎていた。
 書庫をこんなにしたのは誰か?と問いたい気持ちを押し殺し、いずれにせよ一日二日で何か出来るものではないと判断。幸い、市へ提出する蔵書点検の報告は直ぐでなくて良いということだったので、長期戦になることを見越し、協力に頭を下げて、後はひとりでやることにした。
 先ずは表舞台が先だ。夏休み中に処分するものを抜粋し、大まかに分類を整えた後、一つ一つの書架の見直しは、二学期に入ってから、放課後に行った。動かしようのないよう、整えた棚は、児童が乱しても必ず元通りにし、一歩一歩進む。それでも入りきらない本は山のようにあり、シリーズものを抜粋して別置するなど、いくつもの工夫を要した。蔵書の数に対して、棚が確実に足りなかった。
 一万冊近い本の処分を申請するなり、市の担当者から事情説明を求める電話がかかってきた。トイレに行く暇もないのに、何故電話に出られたのか記憶にない…と思ったら、勤務校が別の日にかかってきたのだということを思い出した。小規模校では、一応空きの時間がある。
 処分の対象となる本が、修理不可能なほど劣化していること、置いていても人の手に取られることがないだけでなく、棚にすら入らないこと、利用の妨げにしかならない実情に切羽詰まっていた私は、必死の勢いで捲し立てたに違いない。担当は最終的に要望を呑んでくれたが、一度に大量の除籍は控えるよう苦言を呈して電話を切った。
 後に知らされたが、一度に一万冊もの除籍は絶対のタブーだという。私に電話を掛けた後、担当者は前任の司書にも電話を掛けていた。それ程の除籍が必要なのかと問われた前任さんは、静かに伝えたという。
「はい、本当に必要です」
 着任一ヵ月で信用も実績もない新米司書が、彼女の説得力あるその一言で、大きな仕事を一つ片付ける結果となった。

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