6月9日

 電話を待っていた。
 昨日、かかって来た保育の求職サイトから、問い合わせた内容に関する回答が10時に掛かって来るはずだった。トイレにまで子機を持ち込んだが、結局電話は鳴らず…。恐らく、私の経歴が色々と引っかかったのだろう。良い返事が出来なかったか何かだと予想している。
 予定に反して、午前中で仕事を終えて帰って来た母が、電話に着信があったと言った。履歴を確認してみると、12時過ぎに例のサイトから着信があったようだ。留守番電話にメッセージは残されていない。2時間も遅れて掛けて来た理由は判らないが、こちらの都合を考慮した上で10時に掛けると言ったのは先方だった。
 経歴を否定されたと感じた違和感が、既に私の中で保育業界への柵を解き放っている。だからといって何が出来るのかはわからない。学校司書経験だけでは、事務職の実務として弱いことも痛感している。経歴や実務経験が不問と書かれてあっても、書類選考すらなかなか通らない。コロナの関係か、年齢が理由か、そもそも前途有望かもっと色々なことが出来る人が多過ぎるのか、想像する以上に知識が無いのである。
 就活以外のことを考える時間を確保しないと、気が狂いそうだ。
 
 2時頃電話が鳴った。求職サイトからではなく、昨日受けた面接先からであった。本当は明日、合否の結果が来るはずだったが、適任が見付かった様子。ハローワークの求人票が無効になっていた。
 
 収入の目途が立たないのに、支出の請求ばかりが追い駆けて来る。今日、国民健康保険の振込用紙が届いた。国保、健保、住民税に、バイクの自賠責保険。引き籠って暮らしているだけで大きなお金が外へ出て行く。飲み食いしなければ生きて行けないから、そこにお金が必要なことはわかるが、生きているだけでお金を払わなければいけないことは、なかなか納得し辛い。
 
 一つずつ片付いて行く。
 辿り着ける場所があるのかどうか怪しいまま、時間だけは過ぎて行き、私は一人の人間として、たった一度の人生の中で、一体何度同じ課題にぶち当たり、解決できないまま繰り返すのかと路頭に迷う。
 生涯をかけた仕事を全うする。私にとって、何と高い壁なのだろうか。
 違うことを考える時間を作る。
 見えて来るものが違ってくる気もするが、現実的でない気もしてくる。私に科せられた使命とは、一体何なのだろう。
 大きな罪の意識なく犯してきた何かが、現世で罰として与えられているような気にさえなって来る。善良で居ようとすることはとうの昔に捨てたが、かといって不良になろうと思って実践している意識もなかった。
 したいこと、なりたいものは決まっているが、出来る場所、なれる場所がない。それは自分で作ろうとして作れるものでもなかった。
 私に何が出来る?
 私は何になれる?
 頭の柔軟性を取り戻すために、健全な生活リズムを取り戻すことから始めようと思う。

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