ある日
皆さん、お元気でしょうか。
元気。Mac book Airを手に入れて、1ヶ月経たところ。
まだ慣れないながらも、キーボードを叩いております。
数年前までは、スタバでMacを弄る輩を嘲笑っていた時期も有りました。
相変わらずですが。
noteを始めてからというもの、映画を観る角度が変わりつつあります。
色んな方の長々としたレビューや端的な最早書く意味あんのか?みたいなレビューを読み、少なからず、影響を受けた次第です。
また、どこの馬骨か不明な輩の駄文を読んで頂き、ありがとうございます。
貴重な時間を割いて、俺の脳味噌を覗いてくれるのは、馬鹿か、底抜けの良い人です。(Amwayとか気を付けてください)
タイトルにある、ある日、今からちょうど、5年ほど前に幼稚園?小学校?から面識のある友達が亡くなりました。
彼は東京の某鉄道線路に身投げした様です。
その2週間ほど前に彼とはinstagram上でやり取りをしました。他愛の無い話です。「どこにいるの?なにしてる?」ピコピコやりあって、ふと昔を思い出した。
彼は、とても痩せていて、身長が低く、中性的な顔立ちでした。後から気づいた事ですが家庭環境が悪く、余り物を食べなかったからかなと思います。
県営住宅の号棟が一緒でよく遊びました。環境のせいか、学校を休むことが多く、マブのダチんこの山田と朝起こしに行ってました。毎日いつも勝手にドアを開け毛布に包まる彼を叩き起こしました。部屋には何も無く、ちゃぶ台の上に昨夜食べたであろう菓子パンの袋。ドラゴンボールが数冊。隣の部屋には彼の姉と彼氏?が寝ていた。
彼の通学の準備が終わるまで、大抵は山田と二人ドラゴンボールを読んで待っていました。時間はとっくに登校時間を過ぎてる。でも先生に彼を迎えに行ったからと言えば許してくれるので、公に遅刻が許される優越感に浸る自分も居ました。
記憶はそこまで。登校中に何を喋ったのかは未だに思い出せない。
何度も一緒に登校したはずなのに。
中学校に上がると思春期真っ只中で彼に構う時間は減りました。
たまに遊ぶことはあれど一緒に登校する事は無くなり、高校に上がると彼は定時制に進学し、俺も引っ越してしまい、接点が無くなってしまいました。
成人する前に少しだけ一緒に飲んだことが有りました。その時も彼は東京に行くと言っていた様な気がします。
打っていて思い出しました。彼に言われた事を。
「お前は面白い」って言われた。
彼が人生を終わらす事を選んだ地で、俺は新たなスタートを切り、彼を思い出し、生きています。
「面白き事は良きかな」
これも彼の言ですね。
てか住んでるのは千葉だけどな。
paalam na.
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