自己理解(その1)

昔から俺を知っている近しい人に自分を理解しろと言われて、

それ以降自分と向き合う事を念頭において日々を過ごしている。

今日分かった事が一つある。

備忘録として此処に残す。

自分は、自分以外の誰か、他人、キャラクター、自分の概念や思考の及ば無い者(自分の思い通りに成らない者)が「何かをやっている」事を観る、感じる、事が好きだ。

例えば、飲み会の場、遊んで居るとこ、映画、アニメ等々。

安心する。自分が居ない事で成り立つ物が其処にあって、自分が近くに居る事、

鑑賞出来る事に喜びを感じる。


俺は長男として産まれ、何をするにも責任感と自己犠牲を強いられているような気持ちで生きて来た。自分が「何か行動をする」「行動を起こす」事でしか解決できない事が多いと感じてきた。

アイデンティティを分断し、それを確立する事に精を出してきた。

長男である自分、親戚である自分、クラスメイトの自分、部活の自分、

彼氏の自分、友達の自分。

自分を偽るつもりは無かった。でも続ける事で自己を見失っていったのかもしれない。それでも出来た、築けた関係に偽りは無い。その相手が成立させてくれたから。

自分が居ない事で成り立つ世界を傍観する事はとても楽。楽しい。

更に学びすらある。至高、最高。

今後も変わらず「それ」が好きな事に変わりは無い。

その分、自分の行動に起因する物事に「楽しさ」をもっと求められるように

なりたい。


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