あなたは誰ですか?

「韓国なんて要らない」も「安倍死ね」もどっちも最低な言葉だ。

いやになる。
何で俺が傷つくのかわからないが、傷ついている気がする。たぶんそういう人がいっぱいいる気がする。

どっちも正義のような顔をしているのがこわい。

死んでいい人なんていない。多分安倍晋三が死んだら、その人たちは「本当に死んだw」とか平気で書くような気がしてこわい。要らないなんて言っていい人もいない。そもそも「韓国なんて」という言葉の中に誰の顔もなくて、そこには人がいない。「~~というポジションは~~にとって必要ない。」という言い方ならまだわかる。「一方で~~というポジションは~~にとって必要だ。」という言葉が付随するからだ。

その言葉は、ある個人に対して死ねと大勢で罵っていいということだし、国籍や出身の所為で、人を切り離してしまっていいということだ。だからそれは密やかに自分にも向けられているのだ。その刃は無防備に振り回されている。自分も含めたあらゆる人に刃は向けられている。だから私は傷ついているのかもしれない。

そもそも私は市井の人だ。日本というのは日本政府で、韓国というのは韓国政府のことを指している気がする。市民の声が政府の声と大きく隔たっているように感じる。世界史でローマ市民権って習ったなと思い出す。日本には多分市民権みたいなものもない気がする。韓国はわからない。市民ではないから。

日本に生まれてよかったと思ったことはないし、日本人でいたいと思ったこともない。そしてそういう人は韓国の中にもいるし、どこにでもいる。

関係ないとは言わない。でも直接関係しているわけではない。たぶん、日本人の多くは無闇に報道を信じない。ニュースが嘘を吐くということを知っているから。大本営発表から、その性質は変わっていないことを知っているから。だから冷めている人が多いのだと思う。日本史の授業で教えられたように。そしてたぶんそれは政府にとって都合がいい。

外人という言葉がある。外人さんと呼ぶならそれは敬称なのかもしれない。外人、外の人。外をあまりに恐れすぎる。というか外とは何か。内と外の境目がわかるのか。大陸と違ってはっきりと見えないから恐れるのかそれは。海がはっきりと隔てるから恐れるのか。海がこわいということなのか。

海の向こうは異界だ。そこからやってくる未知のものは恐れ、畏れられるものだ。それは海沿いの村にならどこにでもあるような些細な信仰だろう。そんな心で外国を見つめているのだろうか。海の向こうに住んでいるのも人間であるとわかっている今でも?

国を家に例える人がいる。だから知らない人が入ってきたらこわいだろうと言う。日本人のことなら知っているというのだろうか。僕はあなたに知られていない。

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