便所考

トイレは魅力的だ。家の中でもそこだけが異空間であるかのように、その閉ざされた空間は孤独に寄り添ってくれるだろう。ズッコケ三人組でハカセが愛した空間も確かトイレだった。トイレにいるとき、ハカセは誰よりも集中するのである。

トイレに置かれた白い陶器は無機質な表情をしていて、そこが家でなく公共の場であったとしても器物の羅列は魅力的に映るだろう。場によってはその壁を巡らされた配管が露わにされ、近代的な空間にロマンを覚える。公共施設に並べられた立小便器の整列。並び立つ自動化された機械は人為の介入を隠蔽し、そこに集う人々は規定された作業を最も効率的な仕方で行動する。介入から退出までが徹底されたその行動は、生理現象というよりも儀式と呼ぶ方が相応しいのではないか。

後ろを振り返れば、閉ざされた個室が並んでいる。隠蔽された個人空間の都市性。しかし巡らされたシステムによって能率的に処理されているそれらは、つまるところ繋がりを示す。孤独に寄り添う空間同士が、システムによって繋がっている。そこにつながりを見出すことが逆説的に孤立を露わにする。その閉ざされた、どこまでも個人的な、秘密という呼称の似合う空間、その一方で、隠蔽されるべき事実が共有される空間でもある。孤立が共有されるのは興味深い事象と言えるだろう。

モノクロームを基調とした空間色調もまた、ラングのメトロポリス的近未来を想起させる。消費されたカラーは逆説的に過去になった。モノクロのほうに未来を感じる。色なんていい加減で、同じ色なんてどこにもなくて、誰も同じ色なんて認識できず、色の名前が増えれば増えるほどに色も認識も世界も孤立していく。逆説的にモノクロームが孤立空間を彩る。

あらゆる逆説が交錯する空間において、それが逆説的であるが故に人々の意識に上らず、多くの場合焦燥が印象を隠蔽しているのであるが、ただ生活の一部として街中に乱立され、隠蔽と露呈を同時的に行う孤立空間で私は尿を垂れ流すのである。

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