ウラジオ日記を書籍化しました。

ウラジオ日記を書籍化しました。

noteで連載したものに、書き下ろし「写真を捲る」と詩を15篇加えた特別版です。栞も付いてきます。

リンク先の紹介文は、深夜特急のパクリです。最初の一人旅がインドだったこと、香港で大小にハマったこと。深夜特急は旅に行く度に思い出す。今読むと、あんな感傷的になるかとうそ臭くも見えますが、それがまた魅力的なのでしょう。参考にしようと深夜特急の紹介文を見てみたら、ウラジオストクに行った年齢と同じだったので、うれしくなって「運命」とこじつけてパクらせてもらいました。

旅行を中止して、かなしい思いをしている人はいっぱいいると思います。ぼくも4月はマレーシアとオーストラリアに行く予定でした。そんなかなしい気持ちの人たちに、気分だけでも味わってもらえたら幸いです。

ほとんどの日記は無料でnote内で読むことができるので、そちらを読んでいただいても構いません。うれしいです。

本の方は作品として出させてもらうので、気に入って買ってくれたら、うれしいです。

こぞって無料で、作品や表現を配信してしまうことには危惧があります。それがずっと続いてしまえば、作品や表現を貶めてしまうことになってしまう気がするからです。無料が当たり前になってはいけない。無料にする試みにもそこには矜持があり、ぼくもまたaikoやカネコアヤノや眉村ちあきに感動したのだから、それらを否定する気は全くないです。しかし彼女らに感動したのは無料ということよりも、その対応の早さに感動したのでした。事実眉村ちあきが有料配信を行っているように、それらは持続されるべきではないと思います。無料で配信されたものがきっかけで、出会ったものが今たくさんあります。だからそれはこれからの文化にとって大きな遺産となるでしょう。それでも表現に触れる機会は無料であることが当たり前になってしまう危険を思うと、複雑な気持ちになる。作品や表現は生活や労働の下位であると宣言するようなものだと思うから。今は文化もまた「不要不急」でないことを思い直すいい機会であると思います。だからこそ、そうした行為はあたかも文化が「不要不急」のものであると思われかねない。そういうあやうさを含んでいると思うのです。
それにちゃんとお金をとることは、緊張感を生み、作品をよりよいものに変化させたりします。無料のものもまた、後にそうしたお金をとるものへの橋渡しとして機能するべきでしょう。そして文化の萌芽を生んだり、新たな広がりを作ったりするでしょう。無料であること、有料であること、それぞれにきちんと意味を持って行うことが大事なんだろうと思います。

だから「きっかけ」としての無料記事と

緊張感を持って編んだ有料の本

どちらも置いておきたいと思います。

旅行中ももちろん楽しかったですが、書いているときが一番楽しかったです。書きながら思い出し、景色がゆっくりと形をまとってくさまはとても中毒性があり、こうして振り返る言葉の中でも旅をすることができるのだと思いました。

今は気分を気ままに旅する楽しさを見つけたいですね。思い出ばかりの人間はつまらないから、後ろ向いたりはしないで。

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