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躾ラレル者



「それは田舎者の散歩です」



子どもも、イヌも、躾が大事。
して、その「躾」なるもののは誰のためにするのか。

この世にはたくさんの躾ハウトゥーが存在する。
どの教科書も説得力があり、それなりに学べばそれなりの効果が期待できるのだろう。
しかしだ、そこにも宗教と同じく「宗派」があり、凡人が見ても一体どれが一番いいやり方なのかわからず、混乱するばかりなのだ。


ぼくが直面する「ドッグトレーニング」だけれど、あまた存在する「宗派」はぼくと隣人を混乱の極みに陥れるのだ。

いつのことだったか、ポウくんの姿が見えなくなってすぐ、ぼくらは道に迷っておった。ひとりになったまだ子供のリルをどのように育ててゆくのか。
保護犬なれど、何やら洋物ミックスの彼女は人間にとって割と都合の良いイヌだった。
常にそばにいる、逃げない、言う事を聞く、粗相をしない、吠えない、咬まない、だ。
そんな彼女の唯一困ったところは、興奮しやすく、アゲアゲパニックになりがちなとこだった。
他のイヌやサルを見るととにかく突進したがる。
加えて、27kgの彼女は若く、エネルギーに満ちた筋肉の塊なのだ。
散歩中に凧揚げ状態でモリモリ引っ張る彼女にうんざりしたぼくらは「ドッグトレーナー」を訪れた。

他人のことをとやかくいうのは面白くないので詳しく書かないけれど、ぼくらはゾッとしたのだ。
一言で言うとそのやり方は、ぼくも隣人もリルも、誰も楽しくなかったのだ、言うなれば、ぼくらはそれをやる気がしなかった、一刻も早く帰りたかったし、もう行きたくなかった(恐怖に固まったリルの表情を見るや一目瞭然だ)。
気のせいかと思い、もう一度行ってみたが、やはりゾッとしたのでもういくのはやめようと満場一致で終了した。

気立の良いリルだから何事もなかったけど、神経質で頑固なポウくんなんか連れてった日にゃ取り返しのつかないことになったかもしれない。
あの時はついていけなかったぼくらがロクデナシなのだと気落ちしたけれど、今思うとやめてよかったのだと心から思う。

なぜなら、ぼくはイヌと「愉しく在りたい」からだ。

今、ドッグトレーニングにもいろんなやり方(宗派)があり、それらは決して相入れないことも知った。ニンゲン(トレーナー)はそれぞれ己の哲学があり、それが正しいと考え、実際そうなのだろう。
けれど素人のぼくらにとって大事なことは、「自分はイヌとどう在りたいか」だけなのだ。

玄人は言う、「こうあらねばならない」「こうすべきだ」と。
けれど、それはその人の考え、その人の「正しいこと」であり、ぼくの「正しいこと」ではないのだ。
ぼくがぼくの相棒に望むことは、ぼくと一緒にいることが何よりも愉しい、と思ってもらうことだ。
ぼくは君と軍隊ごっこがしたいわけでもないし、ぼくを恐れてほしくもないんだよ。
一緒に走ったり、プロレスしたり、なんでもいいけど君の自然な笑顔が見たい。その笑顔はいつも違っていてそこに感情があることがわかるから。


最近よく思うのは、「田舎者の散歩」は馬鹿にできないということだ。
このど田舎で、みんなイヌが大好きでイヌを散歩するジイサンバアサンがたくさんいる。
みんな地元の人だけど、むろん誰もトレーニングなんかしたことなんかない。けれど、彼らは「愉しく繋がって」いるように見える。
イヌは飼い主と一緒にいることを幸福に思い、飼い主もイヌと一緒にいることを幸福に思っているように見える、ぼんやりと「平和」なのだ。
せわしいものが何もない田んぼの畦を、静かにゆっくりその時を味わっている。

「いいなあ」
ぼくは思う。

そのイヌどもはみんな飼い主と同じようにジイサンバアサンなのだ。
彼らも若い時があり、それなりに暴走し、それなりに悪さもしただろう。
けれど、その時は過ぎ去ったのだ。

リルは暴走している。
彼女はまだ2歳だ、ぼくらがティーンの時のようにエネルギーが有り余っていて自分でもどうしようもないのだ、それを恐怖で押さえつける必要があるのだろうか。
いいじゃないか、若さゆえだ、走りたいのよ。
走らせてやればいい、引っ張るなら一緒に走ってやればいい、ぼくらはまだそれができる。
悲しいかな、彼女はぼくらより先に走れなくなるのだろう。
今、短くも華やいだ若い時だ、そんな短い間くらい走らせてやりたい。
ぼくはイヌと走るのが好きなのだから。

玄人はいう、

「事故が起こってからでは遅いんです」

そうですね、おっしゃる通りです。

けれど、別の玄人はいう、

「事故が起きないところで事故が起きない相手と遊べばいいじゃないですか」

「この子に問題はないですよ、楽しく遊べる環境を与えてあげればいいじゃないですか」

ぼくも隣人も後者の先生の哲学が気に入ったのだ。
リルもこの先生が大好きなのだ。

あれはダメ!これもダメ!はみんなイライラするんだよ。
それはイイネ!これもイイネ!は愉しいし、クリエイティブなんだ。

ぼくらは楽しく新しいことを学べる。
それってサイコーじゃないか?