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ポウや。
ポウくんが見えなくなってどれくらい経ったろう。。。
ニンゲンの記憶は、不思議だ。
ほとんど、覚えていないのだ。
今まで生きてきた膨大の時間のほんの何秒かの「部分」しか覚えていないのだ。
しかも、編集されている。
そこに真実はないんだろう、全て記憶という「妄想」だ。
あんなに毎日彼に寄り添って、彼を見ていた。
けれど、どうだ?
何を覚えているのか?
覚えていると勘違いしているのは写真で見たものだ。
彼の表情、彼の仕草、全てインスタで見たものだ。
それがいい。
ぼくは思う。
ぼくの記憶は嘘をつく、でも機械は嘘をつかないんだ。
ただ、悲しい、
彼のものに触れた時。
ぼくは彼の柵を壊す。
柵の前に彼の姿が見える。
そこに横たわって昼寝するのを好いた。
彼のお気に入りのボールも
彼の大好きなヌイグルミも
彼が横たわった敷物も
彼が使った皿も
彼のものに囲まれて、ただ、悲しい。
昔読んだ、内田百閒の「ノラや」、を思い出す。
百閒のしつこいくらいのノラへの恋しさが切なかった。
猫好きの妹に貸したら、「おんなじことしか書いてなくてつまらない」と言われたもんだ。
今、もう一度読んだら、ぼくは、どう思うろう?
きっとあの時とは違った風に感じるやもしれない。
動物は、不思議だ。
彼らはニンゲン語を、解するが、話せない。
彼らとの思い出は純粋に「ふれあい」だけだ。
「あの時お前はこう言った」
そういう思い出はないんだ。
ただ、彼の温もりが、彼の匂いが。
彼の出す音が。
グーーー、ピーーー、ブーーー。
彼は、何を見てたろう。
彼は、何を覚えていたろう。
ぼくを見てくれただろうか。
ぼくを覚えているだろうか。