明日から

「生きづらさ」という言葉を殴りつけたかった。
自分のわかりやすさを見えない何かに定義づけられているような気がしたから。
勝手に僕を決めるなよ、と。
同時に「生きづらさ」ってこれか!と外から与えられた枠に納得するのもかんに障る。
確かに外から見ても内から見ても、「生きづらい」のかもしれない。
ただ、それは僕自身が生きづらさを感じている、というのとは微妙に違う。
常に振れ幅がある。波打っている。
だから、外から提示された生きづらさの枠を超えるときもあるし、その範囲の中をさまよっている時もある。つくられた生きづらさ、という言葉で、カテゴリーされて僕を説明してほしくない。

―――――そんな風に思っていたし、今でも少しは思っている。
だけど、変化があった。
僕の「生きづらさ」の一番の原因だった病気が治るかもしれない、ということだ。
顔も名前も知らない人から、大切な臓器をもらって。
当初、人から命をもらってまで生きる価値が果たして自分にあるのだろうかと迷った。年齢は同じぐらい。二人分の人生をこれからしょい込むと考えたとき、何かにつぶされそうだった。ギュウギュウだった。
同時に、今までこの病気が傍らにあって、自然とアイデンティティにしていた部分もあったから、30年間の自分が崩壊するかとも思った。
仕事も長く休まないといけない。決まっている休める期間を超えたらクビになる。
たとえ病気が治っても仕事がないのはきつい。その後も医療費はかかるし、生活費もかかる。かと
いってアピールしたり、稼げたりするような資格もスキルもない。やりたいこと、好きなこと、夢中になれることもない。
さてどうしたものか。
意識高い系の動画を読んだり、自己啓発本を読んだり、必死に自分探しをしていた。
だけど、ギュウギュウがやむことはなかった。
生きていて、ここまでわかりやすく新しい自分に生まれ変われそうな機会に恵まれるのは幸運なのかもしれない。
「はい。今日から今まであなたを襲っていた苦労はなくなりましたよ!これからは自由に生きてください!」
ここまで極端ではないものの、移植治療という選択肢は僕にとってこれぐらいの意味を持つイベント。
ただ、移植をしたからといって完全な健康になるわけではない。副作用がある免疫抑制剤を一生服用しないといけないし、感染対策には今まで以上に気を使わないといけない。
それでもできることは圧倒的に増える。今までダメだったプールや海、温泉にも入れる。外国にだって気軽に行かれる。体を鍛えて、その分筋肉に繋がる。ムキムキになれる可能セリがある。
人生の楽しみ方が変わる。
指をくわえて見ていただけの世界がグワッと広がる。それはもしかしたらとても楽しいことなのかもしれなかった。
同時に「勉強しないと」と思うようになった。今までなんとなくやっていた勉強を、ちゃんとやりたくなった。
移植治療を集中して行う期間は約一年。一年あれば何ができるか。
プログラム言語一つマスターしてアプリでも作る?英語を勉強して海外の人とzoomでつながって
みる?資格の勉強をして、仕事やプライベートで生かす?ずっとやめていたピアノをまた弾いてみる?積読してある本をじっくり読んで読書ブログを書く?
――――――この記事を書いているとき、僕は病室にいる。三月末にオファーがかかり、移植手術を終えたからだ。
まだ二か月足らずだが、既に何度もしんどい。多分これからもたくさんしんどさはあると思う。
だけど、今までの治療は、どんなにしんどくても、あくまで元の生活に戻るための対処療法でしかなかった。
これを超えた先には、何か新しいものがあるかもしれない。新しいものは楽しいものかもしれないし、そうじゃないものかもしれない。だけど、それは移植治療を受ける前では感じられなかったり、
見いだせなかったりしたものだと思う。
おかしい。元々ここまでポジティブではなかったはずだ。
だけど――――いつの間にかギュウギュウはどこかへいってしまっていたんだ。 


さらみ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?