三十歳で貯金が二千円だった話
みなさん、こんにちは。
最近、「ふるさと納税をした」とか固定費を見直すために「格安simにした」とか「電力会社とガス会社も変更した」とか「家計簿アプリを使い始めた」とか言い出したはんぺんたです。
「急にどうしたん? 悩みあるなら聞くよ?」って思われてるフォロワーさんも多いかもしれませんが、私は元気です。
12月に入ってからお金の勉強を少しずつ始めました。きっかけはふるさと納税や格安simのことを友だちと話したことからです。初心者でもわかりやすいYou Tube動画を教えてもらっていろいろと学び始めました。来年からはつみたてNISAを始めようと思います。
ところで、なんでお金の勉強を始めようと思ったのか。それは老後の資金が心配だからです。子どもにお金のことで迷惑をかけたくないのです。
幼少期から私には「お金もちになりたい」っていう願いがありました。つまりは当時からお金に困る生活をしていたからです。
両親は、私が生まれて半年くらいで別居しました。理由は父が他の女性と暮らし始めたからです。二人ともクラブやスナックで働いていました。当時は日本の景気もよくて、掃いて捨てるほどお金が入ってきた父は相当モテたそうです。(現在は履いて捨てていたその時のお金を取っておけばよかったとよくいっています。)
母も友人と共同経営していたスナックが順調だったので、高額なベビーシッター代を渡して近所の人に私を預かってもらってました。
でもバブルが崩壊し、景気が悪くなるとだんだんと生活も変わっていきました。
小学2年生くらいから、夜もひとりで留守番するようになりました。このへんからどんどん家計は大変になっていきます。だけど、いま考えると普通に生活していれば母の稼ぎでもまだちゃんと暮らせていたのでは? と思っています。
母は浪費家だったんです。当時は子どもだから気づかなかったけど。
宝石や新しい家電が大好きでした。それからオシャレな洋服や靴、カバン。美容にかける金額も相当だったと思います。バブル期の儲かってしかたなかったときの生活水準を落とせなかったんですね。
そのため支払いがどんどん増え、家賃、水道光熱費の滞納は当たり前。水道代は一ヶ月遅れても止められないとか余計な知識が増えていきます。
購入した宝石などの支払いも遅れて催促がくる始末。当時は携帯電話もないし、ましてや留守電メッセージもない固定電話でした。父や友人からの電話しか取らないようにするため「ツーコール」という決まりを作っていました。2回電話を鳴らして切ってもらう。そのあとにずっとかけ続ける。それがア・イ・シ・テ・ルのサイン、ではなく借金とり以外からというサインです。
子どもの頃にとてもイヤだった私の仕事があります。それは滞納しまくった家賃や宝石代を母の代わりにお店に支払いに行くことです。子どもに対しては店の人も強くいえないと考えてのことでしょう。「お母さんは?」と店の人に聞かれたら「具合がわるくて病院にいってる」と嘘をつくように母からいわれていました。
当時、父が私のためにと一千万円ほど貯めてくれた預金通帳がありました。父は子どもだった私に大事にしまっておきなさいと渡してくれましたが、母は自分が大切に預かっておくからといって私から取り上げました。それもすべて支払いに充てられました。
ただ、家計はひっ迫しお金がない状況でしたが、食うものに困るほどではないんです。母がつきあう男性が援助してくれることもあり、どうにか暮らせていました。
また、学費に関しては父がすべて支払うという約束があったようで進学するお金には困りませんでした。
そんな状況がずっと続いていましたが、私が就職してから悪化しました。スナックの経営が本当にうまくいかなくなったからです。繁華街のお店の家賃は本当に高い。それから従業員の給与を支払うと母の手元にはいっさい残りません。
私が働きはじめたので、うちの家賃や生活費は私が負担するので、母は仕事をしないほうがいいと結論づけて店をしめました。
それから母は当時つきあっていた男性からお金を少しもらって、家にいるようになりました。そうすると家にいる時間が前より増えたせいで、24時間TVショッピングを流すチャンネルにハマりました。魅力的なの商品の数々に元来の浪費癖の血が騒いだのかバンバン買いまくりました。
ちなみに母は自分名義のクレジットカードを持てなかったので、私の名義のカードを渡してあったこともよくなかったのです。
支払の催促の電話が私の会社にもかかってきました。母がちゃんと期日までに支払うと私と約束していたものを払ってなかったんですね。その日は帰ってから大げんかしました。
カードキャッシングで返済して、また他のカードでお金を借りる。自転車操業が続きます。ボーナスがでたらその返済にすべてあててどうにか止めました。
それから、母が地獄のリボ払いで買っていたことも発覚してそれをまとめて返済するためにつぎのボーナスがすべて消えます。
母もお金を工面するために宝石を質屋にいれました。だけど、質に流したくないからといわれ給料日に利息を払いにいくという、結局お金がかかる始末。
ひとつ完済したと思ったら、あらたな督促状が届くのは本当につらい日々でした。
延滞金がどえらいことになっていたのは母の国民健康保険と住民税でした。これらも支払うといっていたのに結局はらっていなくて、派手な色の封筒で届いた督促状を私がみつけて発覚しました。役所にすぐに相談にいくようにいいました。交渉の末、毎月少しずつ定額で払い、ボーナスが出たらまとまった金額を払う形でいいとしてくれました。役所から督促状が届いたら、すぐに役所に相談に行くのがいいと学びました。
何度かのボーナスを支払いにあてて、ようやくすべてを返済し終えました。気づいたら私は三十歳を少し過ぎても預金通帳に2000円しか入っていませんでした。でもここからようやく貯金できると思ってがんばって毎月少しずつ増やしていきました。
いまは母にクレジットカードは持たせず、毎月お小遣いを渡しているので基本的には大丈夫ですが、たまに買いすぎて支払いの請求書が届いてるのをみつけます。そういうときはきつく叱るのでしばらくは買い物も控えてますが、やはり少し経つと浪費癖がでてくるようです。
お金の勉強の話に戻りますが、お金に苦労した過去から、貯金できるだけで大満足だったんです。だけど、毎月少しずつの貯金だとたいして増えていかないから老後が不安だと思っていました。
勉強をして、iDeCoやつみたてNISAを活用すればただ貯金するよりもよほどいいと知りました。もっと若ければ高配当株で配当金生活を目指したかもしれません。
ながながと書きましたが、私がなにを伝えたいかというとお金の勉強をきちんとすれば、母のように収入に合わない支出はしないだろうし、騙されずにすむし、生活が豊かになると思います。
若い人たちにはとくに勉強をしてほしいなぁと思いました。だってきちんと勉強をして早く投資を始めたら、大金持ちは無理でも小金持ちになることは可能だからです。
お金がなくても愛があれば大丈夫なんて、私は決して思いません。お金があって余裕がないと人は優しくなれない。お金は大事です。
いまは貧乏ではなくても、いつ状況が変わるかは誰にもわかりません。
そのときに困らないように勉強をしておいて、備えておいてほしいと思います。
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