#存在証明 自分にとって大切なこと

いつも自分はこの世界においてどんな存在なのかと考える。

明るいのか、暗いのか。優しいのか、怖いのか。どんな人物なんだろう。いつも考えるけれど、答えがなかなか見つけれていない。残念である。

では、自分の特徴は何だろう、自分が譲れないと思っていることは何だろう。そう考えたときに小さいころから大事にしていることがある。

それは挨拶だ。

人と会ったときは、必ず快活明朗に挨拶をするということを決めている。今通っている学校で、同学年の中でも一番いい挨拶をするように心がけているし、バイト先では先輩に負けん気で挨拶をする。

そんなん普通じゃん。これが当たり前。挨拶なんてマナーの基本中の基本だ。できないのはオカシイ。

そんな風に思うかもしれない。でもどうだろうか。よく周りを見てほしい。相手の目を見て心からというのはいささかやりすぎかもしれないが、言われた相手にとって気持ちがよくなる挨拶はできていると胸を張って言える人は何十人いるだろうか。いや数人だけもしくはゼロだというの場合もある。

なぜテキトーな挨拶をするようになってしまったのだろう。恥ずかしいから?大声を出すのが嫌だから?面倒くさいから?

当たり前を馬鹿正直にすることって案外大変だと思う。いつかこんな馬鹿正直なの飽きたと思うときが来るかもしれないし、相手にウザがられる時が来るかもしれない。よくそんな風に挨拶続けられるねなんていわれる日が来るのも近いかもしれない。

でも私は絶対にやめない。挨拶という魔法の言葉は、トーンだけでその人の気分や体の調子を教えてくれる。あの人ちょっと調子悪いのかな、それとも嫌なことがあったのかな?ちょっとした事を気付くきっかけになってくれる。はきはきと明るくあいさつしている子が、いつものように挨拶してくれた後に少し暗い表情になったらどうしたの?って声を掛けたくなる。

私はここにいる。私は元気です。今日の私は元気だけどちょっぴり寂しいの。こんな気持ちを教えてくれるのが挨拶なのかもしれないと思っている。挨拶は自分を表現し、存在を明確に相手に伝え、自分を肯定する一つのツールとして成り立つのではないだろうか。声を出すことこそ自分の存在を伝える手段だと思うし、続けることで相手に認めてもらい自分の存在を肯定してもらった気分になる。褒めてもらえたらなおさら頑張ってしまう。

相手の目を見て言ってごらん。馬鹿正直になって言ってごらん。当たり前だと思っている挨拶を、ちょっと馬鹿真面目になって取り組んでみてほしい。そうしたら気分爽快、頑張ろうって思えるよ。私はみんなにそう伝えたい。

私は13年続けてこれた。自分にとって大切なことだし、これからも挨拶ナンバーワンであり続けたい。誰にも譲れない一つのアイデンティティ。

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