#考え方の違い

後期の授業が始まりました。今日は初等科の国語についての授業と、身の回りの科学・物理がという授業が面白かったです。色々とバイトで小ネタにできそうな情報もらったなぁと思っています。

高校時代はあんなに物理が苦手だったのに、どうしてあんなに物理苦手だったんだろうって今振り返ると、変な文字式の理解ができていなかったからだと思ってしまいます。もったいないことしたな、、、と。たまに物理の問題集を解いているんですが、苦手意識が根底にあるのはもったいないとつくづく思います。私の身の回りにいる人は、英語が苦手とか嫌いとか言ってます。マンツーマンで英会話をするバイトでは中学生の講師をしていますが、「どうして英語があるんだろうね、みんな日本語で喋ればいいのに。」なんて言われてしまいました。このことを踏まえて今度じっくり考えてみることにします。



さて本題。



今日は私が最近悩んでいることについて書かせてください。

大学での対面授業が増え、同じ学科の人とも話す機会が多くなりました。夏季休業中何してた?前期のこの先生がどうだったよね。あの先生怖い。だのくだらないことではありますがたくさん話します。人とのつながり・コミュニケーションを取ることができてすごく嬉しいんです。これからも話して仲良くなりたいですし、どこか出かけたりとかもしてみたいです。

でもこうやって人と話すうちに、最近私だけ違う考え方してるのかなって思うことがあります。ほぼ九割のウェイトを占める悩み事は学業に対する考え方です。(別に私だって頭はよくない方ですから、どっこいどっこいな部分はあると思います。)

同じ科目を取った人と話すことがあって、私が話した人はみんな「単位取れればそれでいい」という考え方をしています。別にこれは悪い考え方ではないと思います。バイトを頑張りたい人が多いところにいますから。でも私の中では、ひっかかりを感じてしまって今もずーっともやもやした状態でいます。

今度一日学校参観という附属の小学校を見学する機会があります。成績に関するレポート課題はないのですが、児童の様子や現場で働く教員の動きを見ることができる最初で最大のチャンスだと思っています。高校の時にも一度、市立の小学校さんに協力してもらって一日見学に行ったことがあります。それと似たようなものなのですごく楽しみにしていて、たくさん観察しようと思っていました。

でも、友人は「めんどくさい」とか「スーツがだるい」とか。色々言っていました。どうしてかなって思います。私よりも放課後クラブのバイトや、子どもと関わる仕事をしているのにもかかわらず、どうしてだろうって疑問に思ってしまいます。私は相手を理解していないからでしょうか、相手のことを考えずに真っ向から心で否定しているからでしょうか。どうしてもこのマイナスイメージを持ってしまう発言に納得いきませんでした。せっかく大学側がこの状況なのに機会を用意してくださっているのにどうしてだろうと思ってしまいました。本当につい最近の話です。

大学での成績はGPAという数値で示されるのがメジャーだと思うんですけど(高校でのこの点取ったら5が付くよってやつと同じ感じ)、「別に成績気にしてない」とか、さきほどの「単位取れればいい」みたいなことを言う人が多くて。まあ、大学生ってこんなもんなのかなって考えるようにはしていますが。私は成績も妥協したくないと思っているので、グループ学習での提出締め切りの時に「少々時間過ぎても大丈夫でしょ」とか思っているのがすごく嫌でした。まさに考え方の違いだと思いました。

終いには、対面授業中なのに「パソコンで某音楽番組見てた」とか言いだす人もいて。は?って切れそうになりました。私は真面目すぎるんでしょうか。私は幼少期から比較的厳しいしつけを受けてきたと思っています。髪は染めない、化粧はほぼしない(年齢相応のことをする)、挨拶や返事ははきはきする、人の話は目を見て聞いて、話すときは相手の目を見る、時間は守る、授業はきちんと受ける。まあ多少内職しましたけど。それなりに真面目に生きてきたつもりです。曲がったことが許せないという性格的な面も相まって、かっちり生きてきたと思います。

こういうときどうすればいいのかな、って常に考えてしまいます。後期に入ってからこの悩みが顕著なので。

遠回りなこの悩みの結論の出し方になりますが。ここ最近、大学で友達作るのは少数でいいのではと思うときがあります。どうしてこの結論に至ったかというと、結局自分のことは自分でどうにかしないといけないし、高校のような結びつきが無くても大学では生活できると思ったからです。高校では仲が良い友人がいて、同じ授業を受けて、同じ空間で過ごして、一緒にお昼を食べたり、何気に会話をしたり、、、結びつきが強いのではないかと思ったんです。でも大学は、自分の好きな教科を取って、自分でカリキュラムを作って、課題をこなしてってなると思うんです。困ったときは友人がいて、課題を一緒にこなしてくれるというのは確かに良いことですしありがたいですが。大学に通う生徒それぞれに意義や目標があって、授業を受けているって考えるようになってしまいました。だから学業に対して単位だけとれればいいと思っている人もいれば、妥協しないで頑張りたいと思う人も出てくるわけです。

成績に関しても、今回の学校参観に関しても、目的があってやるべきことをこなすという風に考えて取り組もうかな、、と思います。でも、また私と友人での考え方の違いが出てきそうだなぁ、、。コンフリクトしたら書きます。

そういえば英語担当の先生に、「前期凄く頑張ってたでしょ!伝わったよ!」と言ってもらえたのが今のモチベーションですね。褒められるとなんでも頑張れる気がします、きっとどこかで折れるけど。笑


色々話が飛びましたが悩みはこんな感じです。

結局のところ大学でも「他人は他人、自分は自分」という一つの線引きは必要であると思いました。やはり自分の人生はどう生きるか自分で選択するべきなんですね。親がどうとか周りの友達・先輩・後輩がこうだからとか関係ないんですよ。自分がどうありたいか、どうやったら理想像に近づけるのかを一番に考えるべきだということを学んだ気がします。今学んだのかよ、遅。っていう突込みは無しです笑

まあこれも、ほかの側面から見れば「この人何言ってんだ?独りよがりな考え方じゃね?」って思われること間違いなしだと思いますが。


あ、備忘録かねて全然関係ない話をするんですけど。笑 

昨日国語科の課題でiMoveを使った絵本の読み聞かせという項目で「11ぴきのねこ」という絵本を動画にしていた班がありました。謎に小学校三年生の時に全校音楽大会でやった青島広志氏のミュージカル版を思い出し懐かしくなりました。合唱と言語で何か論文書けないかな、、、と思っている所存です。



誰にどう思われようと自分は自分

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