優しいの価値基準を教えてって話

 こんばんは。最近ね、HoneyWorksがめいちゃんに提供した「小悪魔だってかまわない!」っていう曲をずっと聴いています。めいちゃんって、中学生の頃知って好きだったんですけど、なんか久しぶりに見たらすごく歌上手くなっていて、偉そうに何言ってんだって感じですがびっくりしました。懐かしいっていう感情、やっぱり世界で一番えもい。

 はのとです。初めまして。


 私、優しいとか最近よく言われるんですよ。でも、それってたぶん違います。単に偽善者だとか、人の優しくしてる自分に酔ってるとか、そんな感じです。本当にその人を心配しているから声をかけることは滅多にないです。その人が欲しそうな言葉をかけてあげたい。それを優しさと呼ぶなら、きっとそうなのかもしれません。

 大学の授業に部活にバイトに、そして自分の情緒。色んなものを抱えて、私の周りにはいつもパンクしそうな人で溢れています。彼らはみんな、その辛さ、苦しさをSNSに書き込んで、暗示的に助けを求めます。最早それを暗示的と呼べるかは謎ですが。

 私には、明示的に思えてしまうんです。だって、あえて大衆に見える場所で発信するんだもん。誰かに届くことが前提で発信された言葉。直接誰かに助けを求めるわけではなくても、不特定多数の誰かに助けを求めている。助けを求めているのか、それとも、単に心配されたいだけなのか。

 で、私はそんなSOSを察知すると、その子に個人的に連絡を取ります。「どうした」とか、「大丈夫か」とか、「電話する?」とか。全員にそんなことはしないです。自分が好きだと思う人、見捨てられない人に、そういうことをします。

 そうしている内に、私は『優しい人』になりました。でも、私にその表現はしっくりきません。申し訳ないですけど。

 最近では『優しい人』だけでは飽き足らず、『いつも余裕のある人』だとか、『なんでもそつなくこなす人』だとか、『この人に頼めば間違いない』だとか、飛躍した解釈を持たれるようになりました。過大評価。そこまで来て初めて、私は自分の行動を顧みました。

 あのねえ、私だって人並みに病むし、抱え込むし、悩むし、爆発しますよ。あなたたちと違うのは、それをSNSで発信するか否か、誰かに相談するか否か、の小さな差だと思います。どっちが正しいとかではないです。むしろ、私の方が間違っている気さえしますもん。人に相談しないって言うのは、いいことではないでしょうから。

 でも、誰にも相談しない訳ではないですよ。そんな、たった一人ですべて解決できるようなスーパー人間じゃないですから。家族とか、一部の本当に親しい友だちとかにぶちまけます。それはもう人様にお聞かせできないような表現を多用することだってあるよ。

 自分の悩みや不安を隠すことに、ある種の美徳を感じている。そんな気もします。でも逆な気もする。自分でも本当のところはわからない。

 人に悩みを話すことが苦手。というかそもそも、人に自分の話をするのが苦手なんです。誰も自分に興味がないと思っちゃって、なんかあれだね、変なとこで卑屈だ。興味のない話を聞かせるくらいなら、自分が興味のない話を聞いていい感じの空気作る方がいい。

 うん、私が、大して距離の近くない人の相談を受けることが好きでないってのもあるな。まあ、相談ならまだいいですよ。単なる愚痴だったり、あとはそうですね、昨日だれだれとこんなことしてさ、みたいな話。あと、私高校生のときね、みたいな話。盛り上がりはしない話題じゃないですか?せめて共通の友人や共通の思い出であれ。

 そう自分が感じてしまうから、そういった類の話を人にするのが苦手なんです。自分から話すことも。いつもいつも、質問ばかり投げかけては、私という話題から遠いところへ相手の気を持っていこうとする。

 そのくせ、心の底では、自分のことをもっと知ってほしいだとか、もっと質問してほしいだとか、心配してほしいだとか、願ってるんですね。言葉にしないと伝わるわけがないのに。

 そんな感じで天邪鬼(?)なので、私が手を差し伸べた子たちは、私にならいつでも相談していいと思ってくれています。それ自体はとっても誇りに思えることです。人に頼られていい気しない人なんて、なかなかのひねくれものですからね。素直に嬉しいです。

 でも、そんな悩みを聞いてくれるはのとには悩みもないし、彼女は完璧に生きている、なんて思われたらちょっと困る。そんな思考をもたらす起源は、まあ私なんですけどね。

 人目を気にしているわけではないです。たぶん、私は見返りを求めているのかな。人に優しくしたら、私が本当に困っているときはその人が助けてくれるかもしれない、って。無意識のうちのそれを期待しているのかも。汚いですね、素直な気持ちから人に優しくなれたらいいのに。

 なんかさ、そんな汚いことを考えている自分に気が付いたとき。これが一番しんどい。あ、私ってすごい嫌なやつだって、気づいちゃうから。それで落ち込む。また人に優しくしようとしても、これって優しさなのかなって、いらんことを考えてしまうんです。面倒な性格だね。

 何も考えず、自分のしたい話をする。気軽に人にSOSを出せて、気軽に話ができる。そんな人に、私は憧れます。飾らないその人が見えるから。飾りまくった私には、そんなみんなが眩しいです。とっても素敵だと思います。

 どうしたらなれるかな。そんな人に。


 なんか懺悔みたいになってしまいましたね。たまにはいいでしょう。また明日から、楽しく生きていきたいと思います。アーメン。

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