恋人とどのくらいの頻度で会うのか、は、学生時代にはなかった問題だった

 こんにちは。私は学校で働いているんですけど、まじでエアコンのない部屋を撲滅したい。大学生のときは私大だったので超超快適でした。教室だけでなく廊下にもエアコンが効いているし、どこもかしこも快適。トイレは綺麗だし、歩いてもきしまない床。私大、どこよりも快適な環境説あるな。

 はのとです。初めまして。


 私には、付き合って1年と少しが経つ1つ年下の恋人がいます。私は22歳社会人1年目、恋人は21歳大学4年生。我々は大学の軽音楽部で出会い、出会ってから1年と少し経ったころに付き合い始めました。人生何が起こるか分からないなと思うわけですね。

 大学生のころは、週に2回から3回は部活で大学に行っていました。部活がなくても、教職課程に登録していた私は、4年生になっても週に2回も大学に行って授業を受けていたし。つまりね、会おうとしなくても恋人と会えたんです。

 それに私たち、どちらも恋愛経験が多くない。恋人は私がファーストキスの相手だし、私だって別に2人目だし。女子高でぬくぬくと育ったものでね。恋愛に夢も抱いていたりしたが、異性が苦手という根本のせいでなんやかんや苦労したこともありました。

 まあそんな話はどうでもいいんですが、デートをしなくても頻繁に会えて、練習後に一緒にご飯を食べて、みんなで飲みに行って、どちらかのおうちに帰って、次の日のんびりして解散する。そんなものが日常になっていました。環境に恵まれていたなあと今は思います。

 もちろんデートもしていました。でもそれはすごく特別感があるもので、普段でかけたりすることがないから、部活もないのに待ち合わせて出かける、というのは結構大きなイベントでした。それはそれでよかったな。


 ところがですね、4月に私が社会人になったのをきっかけに、「次いつ会う?」という会話が生まれるようになりました。今までそんな会話したことなかったのに。2人で会うために予定を立てて、どこかへ出かけて、という普通のデートをするようになったのです。

 4月は私も恋人も忙しく、1度も会えませんでした。いくらなんでも1か月間会えないというのは結構やばいんじゃないか? 頻度として、月に1回はさすがに少ないほうじゃない? てか普通に4月1回も会えなかったの結構きつかったよ。

 そしてGWに1か月ぶりに会ったわけです。1か月も会わなかったことが今までなかったので、久しぶりに会える高揚感みたいなものを初めて知りました。あれはあれでいいね。ありがたみを改めて確認することができたような気がしました。


 その翌々週には、恋人も含めた後輩たち数人に誘ってもらった飲み会がありました。その日はみんなで飲んで、恋人のおうちに帰ってのんびりと過ごしたこともあったな。そしてそのさらに翌々週、一緒にBUMP OF CHICKENのライブに行ってまた翌日のんびりと過ごした。

 そんなことをしていたら、なんとなく2週間に1回という頻度が定着していきました。次いつ会おうか、となったときに、じゃあ2週間後の週末で、という結果になる。自然とね。きっと、私たちにとってそれがちょうどよかったんだと思う。

 1週間に1度は多い。だって、私たちにはそれぞれ別にコミュニティがあって、別に会いたい人たちがいて、別に使いたい時間がある。個々の時間を大切にしたいというのは共通の思いだったので、互いの時間を尊重しようとすると、1週間に1度は多いのです。

 実際に8月はイベントが重なり、1週間に1度以上の頻度で会っていました。そのときはさすがに、「多いな」と感じた。1回の価値が相対的に下がってしまったような気がして、少しだけ寂しい気持ちにもなった。もっと大事に過ごしたいのに、また〇日後に会えるし、という感じになってしまう。

 2人でそのことについて話したこともあって、そう思ってしまうことがまず寂しかった。会うことに不満はない。会えば楽しいし、色んなことができて嬉しい。確実に、いい時間を過ごすことができる。

 でも、もっと他にもやりたいことや会いたい人がいる中で、恋人にばかり時間を使ってしまっていいのだろうか。恋人にとって、この頻度が荷物になっていないだろうか。負担になっていないだろうか。申し訳ないな。そんな風に私は思っていました。恋人は、相対的に1回の価値が下がっている気がする、と感じていた。私も、感じていた。

 とはいえ、結局高頻度で会っていたうちの最後の日は別れがさすがに惜しかったし、家に帰ってすぐに「もう会いたい」と連絡がきたときは安心したな。頻度って、大事だな。長い時間を共有するのだから、先々のことを見据えてもやっぱり「会い足りないけど会えない」という状況が大事なのだな。キイチはいつでもあまりにも深い真理だぜ。


会い足りないけど会えない
物足りないような日があっても
たまに会えるからいいんじゃない?
それはそれで

世の中のこと分からない/キイチビール・アンド・ザ・ホーリーティッツ


 私たちは、お互いにお互いを必要としている。はず。他人の思考なんて100%理解できないものだから、なんとなく断言はできないけれども、そういう信頼関係の下で一緒にいる。

 そして、一緒に居続けるためには、それなりの理解が必要だなと思うんですね。私の持つ考え、恋人の持つ考え、すり合わせられるものと、どうしても譲れないもの。それぞれがいろいろなものを持っていて、そのいろいろをそれなりに理解したい。受け入れたい。


 一緒に住んだら、1週間に1度とか超えてくるけど大丈夫なのか? それが最近のテーマです。恋人も、口には出さないけど思っているんじゃないかな。でも、一緒に住んで毎日顔を合わせることと、別々に住んでいて1週間に1度顔を合わせることは、同じ種類の出来事の延長として考えてはいけないような気がするの。

 一緒に住んでいれば、だって毎日会っているわけでしょ? ってことは極論、月に1回デートできればいいんじゃないの? それ以外の時間は自分のために使えるんじゃないの? むしろ今までより時間的に拘束されることが減って、なんかお互いに充実した日々を過ごせるんじゃないの?

 そんなことを楽観的に思っている。きっと実際は一緒に住むことで、自分のために使ってくれる時間が減った、と面倒くさいメンヘラみたいな思考に陥るのかもしれない。そもそも人が時間を自分に割いてくれるなんて奇跡なんだから、上を求めちゃいけないよ、未来の私。


 なんて先のことを考えていても仕方がないですね。私は私、恋人は恋人、そして友人は友人だし、その恋人はその恋人なのです。私たちには私たちにとって心地よいペースがあって、他の人たちには他の心地よいペースがある。そう思うとさ、だいたい同じような価値観の人が恋人であることに、その巡りあわせに感謝しないとね。


 さて、私は現在、絶賛「うわー-------ん、仕事やめたいよー---------、別に何かあったわけじゃないけどやめたいよー-----------」という時期に差し掛かっています。本当に嫌なことがあったわけではないし、過労というわけでもない。なんなら逆。こんなにいい職場ないと思ってる。なのに、イヤイヤ期。

 そんな私の頭を、全力で100回撫でてくれ。恋人よ。

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