学級委員長だったy へ

学級委員長だったy へ

 お久しぶりです。成人式で久しぶりに会ったときに、思ったより変わってなくて驚きました。見た目も、中身もね。あの頃と同じように、飛びぬけて明るくて、いつも笑顔で。変わってなくて、嬉しかった。

 yとは、小学校の委員会で仲良くなって、それ以来お互い持ちつ持たれつで頑張ってきたね。学級委員会で、一緒にa先生のおふざけに付き合いながら一生懸命やってた。私にとって委員会は、クラストは違うもう一つの居場所だったんだ。おかしいよね。普通委員会なんて、面倒なだけなのに。

 yとは一回も同じクラスになったことないよね。同じクラスになったらどちらか一人しか学級委員になれないから、先生たちが配慮してた以外考えられないけど。とにかく、同じクラスにならなかったからこそ築かれた距離感で、関係で、yのことはすごく信頼してたよ。

 六年生になって、学級委員長を務める代になった。勿論、なれるのは一人だけ。私とyが立候補して、選ばれたのはyだった。すごく悔しかった。学級委員長は私の一つの目標だったから。本当に悔しかった。人生で初めて、誰かに負けた。それがyだったの。
 でもね。自然と、醜い感情にはならなかった。五年生のときの担任の先生と話しながら、「yが選ばれたんだよ!」「yはこれから大変だから、私が支えてあげないと!」って綺麗事言ってる内に、それが私の本音になっていった。不思議とね。

 その言葉通り、私は学級委員長のyを支えるために頑張った。a先生も私の気持ちを汲んで、難しい仕事を任せてくれるようになった。だから、委員長はyだけど、私はみんな同じ責任で頑張ってる、yだけに負担をかける訳にはいかないって思ってたよ。

 運動会の代表の言葉は、yにとって最初の大仕事だったね。朝礼台に立って、全校生徒の前で、たった一人で話す。それがどれだけ大変な役割かなんて、容易に想像ついた。だから、私は運動会の司会に立候補した。出番を緊張しながら待つyを一人になんて出来ないじゃん。
 まあ、私の心配をよそに、大成功してくれちゃったけどね。やっぱり、学級委員長はyで良かったんだって、心から感じた。

 中学生になって、私たちはまた、学級委員会で顔を合わせた。はずだったのに、yはその場にいなかったね。yのいない学級委員会で、私は学級委員長になったよ。選ばれたんだ。でもさ、私のライバルはyしかいないの。そんな場所で学級委員長になっても、ね。

 後になって、yは生徒会を目指してるから学級委員会に入らなかったって知った。ずるいよ。いつも自分ばっかり先に行くんだ。なんて漫画みたいなこと言ってみたけど、本当は違う。私には、生徒会に立候補する勇気がなかった。yは、本気でそこを目指してた。それだけ。
 そりゃそうだよ、私がyに勝てる訳ないんだ。もう、違いは明白だったよ。

 私は、yがいない学級委員会で委員長として務めた。私なりに、上手くできてたと思う。上級生に囲まれた委員長会議でも、なんとか場に応じた態度で臨めていたと思う。

 そしてyは、生徒会選挙に正式に立候補した。私は、選挙活動をするyの隣にいた。どうして、どうしてyはそんなに私のことを信頼してくれてたの?どうして、私に大事な役回りを任せてくれるの?私とyは、言ってしまえば小学校の委員会だけの付き合い。だけど、こうやってまた、私はyの横でサポートをしてる。

 嬉しかった。yが私を認めてくれたような気がしてた。ありがとう。
 yはその後無事に選挙で勝って、生徒会の書記として活躍し始めた。いつも見ていた先輩たちの姿の中に、いつからかyも一緒にいた。嬉しかった。

 学級委員長、代議員長、生徒総会議長。私は、色んなポジションを体験した。貴重な体験だったよ。どこにも、yはいなかったけどね。特に生徒総会の議長は大変だった。発言席で好き放題の後輩をなだめたり、時間通りに終わらなそうな議題をなんとか収めたり。
 そしてyは、一年間の生徒会活動以降、表舞台に立つことはなくなった。それが、生徒会総務としての辛さを、物語っていた。

 私もそうだったけど、中学生は何かと出る杭は打たれる環境。生徒会総務、テニス部部長。それだけで十分だった。yが排斥される理由は、十分すぎるくらいに揃っていた。
 辛くて投げ出したくても、yはそんなことしなかったね。自分の責任は全うするとか言って、自分で解決しようとしてたけど、所詮中学生。中学生に出来ることなんてたかが知れてる。

 ある日の朝、yがうつろな表情で私のクラスを訪れた。私は求めに応じてyの話し相手になった。yの表情はみるみるうちに強張っていって、ついに爆発した。yの中に溜まっていたものが全部、瞳を通じてあふれ出てきた。
 私は急いでその場を離れて、yを人気のない廊下の陰に連れて行った。yの嗚咽は止まらなかった。

 ごめんね。気づいてあげられなくてごめんね。ずっと我慢させちゃってごめんね。yを支えるのは、いつだって私の役目だったのに。yのSOSに、私は全然気が付かなかった。

 卒業の日。yは、他のみんなと同じように、私の卒業アルバムにメッセージを書いてくれた。私の身長をいじって「小さいけどこれからも頑張ってね」なんてありきたりな言葉で埋め尽くされた私のアルバムに、「助けてくれてありがとう」と足してくれた。救われたよ。私は、救われた。私という小さな人間が、誰かを助けることが出来ていた。
 気が付くのが遅れたのに、yは最後にそう残してくれた。ありがとう。

 助けられたのはむしろ私の方なのにね。私は卒アルになんて書いたかな。あほのy、とかしか書いてないかも。
 yがいなかったら、私は小学校の学級委員会も中学校の学級委員会その他諸々も、挑戦を続けられなかった。たった一度の学級委員会で辞めていた。yはいつも私の隣で、私の光になってくれてた。目立ちたがりの私が、唯一、この光の下でなら影になってもいいと思った。それが、yだった。

 本当にありがとう。私の中学校生活に、沢山の刺激をありがとう。辛いことも沢山あったけど、そんなこともう忘れた。残っているのは、素敵な日々だけ。ありがとう。

 これからyが、どんな大人になるのか楽しみです。お互い、遠い場所で幸せになろうね。


2021年2月18日 はのと

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