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黙ってたって過ぎてゆく - 2020.11.17

寒くなってきたのでこたつを出して満足していたら、まだ扇風機がデンと構えていることに気が付いた。そういうとこだぞ、僕。必要だから出すのはできるのに、必要ないから片せないのはもうだらしなさと呼ぶ他ない。そんな訳で、我が家には今こたつと扇風機が共存している。思えば衣替えをしなかった今年の夏は押入れで夏物と冬物がシェアを奪いあっていたし、下駄箱に空きがあるのにも関わらず玄関には未だにサンダルが三足並んでいる。こういうのを片付けると「暮らしてるなぁ」という実感が得られるのだけれども、こと片付けにおいて僕の腰は重い。丁寧を標榜しながら実情の伴わない僕の暮らし。ちゃんとしなよ。

そんなことを考えていたら、NYでこたつがブームというニュースが飛び込んできた。僕からすれば「ようやくか」といった心持ちである。こたつが素晴らしいことなんて、一度でもあれに足を突っ込めば誰しも身を以て体感できる。あれほどまでに下半身の温かさを担保してくれる道具はそうそう無い。床暖房やオイルヒーターも勿論良いけれども、こたつってもうあれ文化だから。温まること以上に「こたつに入る」っていう行為それ自体が目的みたいなところもある。手段と目的がごっちゃになっているのは重々承知だが、日本人ならその意味がわかるはずだ。

となるとだ、NYで話題になっているこたつは、きっとその本質を欠いている。日本文化の象徴としてではなく、暖房器具としてだけ使われるこたつには、機能美はあれど様式美はない。ニューヨーカーよ、我が家へ来い。半纏を着て、こたつに入って鍋を囲むのだ。食後にはお茶を淹れるから、一緒にみかんを食べるのだ。こたつのなんたるかを学び、世界にKOTATSUを広めるのだ。

あなたのおかげで生活苦から抜け出せそうです