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黙ってたって過ぎてゆく - 2020.11.16

「趣味が無い」の意味がよくわかっていなかったのだけれども、要はそういう人って意味を求め過ぎているだけなのだと、先日友人と話していて思い当たった。自己肯定感にも近い概念で、私が絵を描いても誰が見るのとか、趣味と言える程のものではとか、そういう人からよく聞く言葉には、趣味に対して必要のない謙遜がある。別に趣味なんて、誰かのために持つものではない。始めたかったら始めればいいし、つまらなくなれば止めて良い。実益を兼ねた趣味は勿論素晴らしいけれども、本体そこにクオリティや利益は紐付かなくても良い。いつの間にか趣味と自己完結が乖離したのは、やはりインターネットの功罪だろうか。

ブログ周りの友人の話は、いつだって面白い。皆インターネットに自分の創作物を公開する程度にはイカれているので、裏を返せばそれを発進したくなるほど好きなものがあるということだ。そしてそういう、特定領域のオタクの話がこの世で一番面白い。ガジェット、カメラ、カルチャー、ファッション、植物、DIYなどなど。何かを突き詰めている人の話は面白いし、そうでなくても自分の知らない領域の話はそれだけで既に圧倒的に新鮮だ。僕はそういう話を聞くのが好きだし、そういう領域を持っている人を無条件で尊敬する。好きなものを語るその姿が、素敵でなくてなんだというのだ。

そして趣味の何がいいって、上手でなくても究めようとしなくても一向に構わないのだ。長く続ける必要も、お金をかける必要もない。趣味友達がいなくたっていいし、SNSの発信だってしなくていい。ただ日常の中に趣味があって、そこに自分だけの喜びを感じられればそれだけで良い。できなかったことができるようになるでも、飽き性な自分が3ヶ月もハマれているでも、その時だけは時間を忘れられるでもいい。その趣味はきっと暮らしを豊かにするし、あなたを人間にしてくれる(その日の食糧にすら困る狩猟採集の時代には、趣味という概念が存在しない)。そして願わくば、その話を僕に聞かせて欲しい。何が好きで、何が楽しくて、次は何をしようとしているのか。それを聞くことは、数多くある僕の趣味の一つなのだ。

あなたのおかげで生活苦から抜け出せそうです